アイマイミーさんブログ記事、「酷師は俗物、聖者などではない」ミラー (誤字は修正)


アイマイミーの独り言 「酷師は俗物、聖者などではない」


2010-01-31 12:47:49 記事NO 90

 拙ブログの読者のみなさまには、にわかに信じがたいことであるかもしれないが、私は、一時期、酷師に接するきわめて近い立場にいたことがあった。そのときから、否、それ以前から、ズーっと心にひっかっていた問題があった。それは、酷師からにじみ出る「徳」が全く感じられなかったことである。

実は、わたしには、「徳」ある人の存在を間近で感じたことがある。その方は、ご高齢だったが、全身から発せられるなんともいえない高貴な雰囲気に、思わず頭を垂れるしかなかったことを思い出す。遠くからでも、お姿を拝するだけでも,至福の感情が沸き上がってきたものだった。

それに対して、たとえば、ある宗教団体の指導者は写真を見るたびに口元が蛇に見えたり、オウムの麻原のように薄汚く感じたり、統一協会教祖のように胡散臭さを感じたりしたものだ。それほど、宗教者には、その人の持つ雰囲気のようなものが、醸し出されているのがよくわかる。

それでは、酷師に対してはどう見えたのか。正直に話そう。まったくといっていいほど、ふつうの人間、もしくは、それ以下の「俗物」にしか感じなかった。身近
で見れば見るほど、ふつうの人間以下にしか見えなかった。「徳」なるものを感じたことなどこれっぽっちもなかった。マインドコントロール下に置かれていても、「徳」は感じなかったので、いつも不思議に思っていた。

わたしは、最初期からの会員である。会員番号も3桁の番号の若い方。初期からの講演会やセミナーにも参加した。西荻時代の事務所にもいった。そこには、安田
氏(講談社事件の最中に職員を辞めた)や背筋をピンと伸ばして対応していた山口君(後に秘書を経てどこかにいったのか?)にもあった。しかし、酷師とは、講演会などで遠くから見るしかなかったので、間近には接したことがないので、鳴り物入りで喧伝されていた「釈迦の転生」を信じるしかなかった。

あるとき、わたしは、早い段階で上級セミナーに合格し、祝賀会に呼ばれて、まだ独身だった酷師にあった。「偉大なる人」と吹き込まれていたわたしは、ずいぶ
ん緊張して酷師と対面した。身近で感じた第一印象は「ふつうの人だった」。それでも、自分自身には「偉大な人」なのだからと無理矢理言い聞かせていた。

酷師の本や小冊子を繰り返し読みながら仕事に精を出していた頃、職員への転職を勧められ、ちょうどHSが華々しい宣伝を世間様に対して行っていた時期でもあったので、「バスに乗り遅れるな」ともいうべき焦りの感情をたきつけられて、つい、職員になってしまった。それからしばらくして、講談社事件を酷師が起こし、「しまった、早まった、もう引き返せない」と臍をかんだのをいまでも覚えている。

さて、酷師と身近に接していて、いろんなことを感じていた。

まず、第一は「常識がない」こと。最初期は「偉大なる常識人たれ」と吹聴しながら、一番常識がなかったのが酷師だった。宗教法人取得のために「都庁にデモをかけよ」とか、東京ドームの講演には法衣という名目で仮装ショーを演じたり、自分のノイローゼ時代の証言を抹殺したくて講談社事件をおこしたり、その他、枚挙にいとまのないくらい非常識な行動をとった。酷師は非常識の固まりのような人間で、その例を書き出すと、一冊の本になるだろう。ここでは、掲載を割愛させていただく。

第二は、「正語」ができないことである。講演会では、確かに表面的にいいことを言うが、日常生活では、悪口のオンパレード。人の欠点をあげつらい、気分で人
事異動をやらかしてしまう。この悪口は、聞くに耐えない。ストレスが本当にたまった。なお、御奥様の鬼嫁もこれに輪をかけていたが・・・ これについては、本ブログ「正語ができない酷師と鬼嫁凶子 」 http://maruta.be/imyme/9 を参照されたい。この項目は、本ブログでは、なぜか、アクセス数1位になってしまった。

第三は「小心者」。これは、父親の善川三朗氏がいつも言っていた。「気のチンマイ男で・・」と。講談社事件を起こしたのもこの気の小ささによるもの。「ノイローゼ」といわれれば、救世主としての権威が落ちると思ってか、必死で反撃したのだ。その後の裁判における高額訴訟での相手の意見の封殺や、正直に書いていた自伝部分を、最初から「偉大な人物であった」と書き換えるあたりは、自分の評価ばかりを気にする、まさに小心者である。

第四は「金銭感覚」。政治家の金の使い方を調査させたり、初期は税金対策のために必要経費を大きく認めてもらうように税務署と交渉させたり、HSそのものがバブル崩壊で資金難に陥っても、酷師の印税は貸さない、職員の給料は下げても自分の給料はそのままにしたり、ワリコー・ワリチョーなどの債権数億円や、金相場(指南役は現KJ党党首の木村=元銀行員)に手を出したりと、財産関係はがっちりと握っていた。

直接、布施を受けても(意外に思うかもしれないが、高級品の菓子や果物の差し入れを要求していて、一時期そういう差し入れが一人の人しかしない時期があったとき、「会員は○野さんしかいないのか」とぶつくさいっていたこともある)感謝がない。「当然のことです」で終わり。三輪清浄は建前にすぎなかった。

余談だが、これで思い出すのが小沢一郎との対比である。小沢一郎の父は苦労人で、金に苦労をしたと週刊「新潮」に出ていたが、酷師の父の善川氏も金銭で苦労
していたらしい。ある講演でこんなことを言っていた。「『赤貧洗うがごとし』というが、洗ったらなにも残らないくらい貧乏だった」と。酷師も小沢も親の苦労をみているだけに、金銭には異常なほどの執着であった。

だからこそ、あれだけ、執拗に、手を変え品を変え、書籍や、グッズ、そして、祈願、さらには酷師を模した像や写真までも、さらには、お墓までも売り出し、一方で、布施を功徳があると称して集めまくっているのである。最近は、宇宙人に関する霊言とか、ダイエット祈願とか、思いつくものはなんでも商売の材料にしている。商魂たくましいですなぁ。

かつて、私が拙ブログをはじめたとき、酷師がこうした物品販売に対して、会員から永遠に収奪をつづけたいがために言った言葉が、多方面で物議をかました。
2chでも話題になったらしく、一時期、その話題で2chの書き込みが埋まったという。そのことばは、「会員は、毎月約7万円を納めている計算になる。生かさぬよう、殺さぬよう.」。これは本ブログ「会員は生かさぬよう、殺さぬよう・・・」 http://maruta.be/imyme/13 を参照されたい。これが本音なのである。

これらの酷師の言動を身近で見れば、よけいに、酷師に「徳」あるとは思えなくなるのはおわかりいただけるであろう。しかし、それでも、わたしは、必死に「酷師が救世主だる」ことを自らに言い聞かせようとしてきたのだ。でないと、HSという組織内では生き延びれませんからね。残念ながら、恥ずかしながら、生活防衛のためでもあったのだ。いま思えば慚愧に耐えない。

それだけに、いくら酷師が、「自分の光は20km四方を照らしている」だの本尊からの光だの、正心法語を唱えれば「口から金の泡(言霊の意味?)」だのいわれても、実感がまるでなかった。思いこもうとして、思いこもうとして努力を重ねても、なかなか自分自身を説得できなかったのだ。

職員をやめたあと、古くからの友人に酷師の評価を聞かれた際、次のように答えた。「俗物である。新たな天皇になりたかっただけ」と伝えると、友人たちは即座に酷師の人となりを理解していった。世間の客観的評価というのはそういうものだ。

いま、思い起こしても、酷師のご尊顔を思い起こしても、どこにも聖者としての面影は思い出せない。全く、「徳」という美徳のオーラも感じなかったし、いまでも見いだすことはできない。否、むしろ、総選挙に際に見せた酷師の「悪魔」のようなすさまじい形相には絶句した。2chのアンチの方が、2ch上でわたしに見るように呼びかけた「酷師の演説動画」のある場面、眉をぴくぴくと上下させた場面にはホントに驚いた。何千万もする腕時計を見せびらかす場面など吹っ飛ぶ暗いの衝撃だった。(残念ながら、そのログが見あたらないので、読者に直接確認いただけないのが残念だが・・・)

いやしくも、仏陀を自称するなら、仏陀とは東洋の聖者であるのだから、東洋の聖者の資質のひとつである「徳」が求められる。しかし、酷師にはそれがない。ふつうの人間以下の欲望の固まりである。最近は、鬼嫁が怖いのか鬼嫁を排除しつつ、複数の愛人を囲い、カーマ・スートラを裏聖典として、愛欲生活に忙しいそうだ。そして、選挙で金を使いすぎたのであわてて、集金にいそしんでおられる毎日だそうだ。これを「俗物だ」といわずに何という。宗教をビジネスにした強欲な輩だ。

 会員さんよ、一刻も早く、酷師の呪縛から逃れいでよ。徳ある聖者は自らを偽りで飾らない。自ずとにじみでる「徳」で人を感化する。酷師から「徳」がにじみでているか?幻想をすてて、真実を見極めていただきたい。


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最終更新:2012年10月23日 23:07