フライデー事件


フライデー事件(Wikipediaの内容を元に編集、教団側の一方的なPR部分を削除)

フライデー事件とは、講談社による幸福の科学に関する報道に関して、幸福の科学が講談社に対して1991年9月に行った一連の過剰な抗議行動。幸福の科学および同教団会員らは一連の争議を「講談社フライデー事件」と呼んでいた。また、幸福の科学側では「講談社事件」、「希望の革命」とも呼んでいる。

宗教法人幸福の科学・幸福の科学出版・幸福の科学会員と、講談社・日刊現代社・記事の執筆者の間で多くの訴訟が行われた。最終的には執筆者側は複数の記事の一部に違法性が認められたのみである。一方、幸福の科学の抗議行動については大川隆法および幸福の科学の指示による業務妨害行為であるとして違法性があると認定された。

推移


1991年5月、講談社は雑誌『フライデー』『週刊現代』をはじめ系列のメディアで、宗教法人幸福の科学に対する批判的な記事の出版を開始し、『フライデー』8月23・30日合併号(8月9日発売)の「急膨張するバブル教団『幸福の科学』/大川隆法の野望」をはじめ、批判的な記事の連載を同年11月まで行った。

幸福の科学および代表(当時「主宰」)大川隆法はこうした一連の記事のうち、『フライデー』8月23・30日合併号に掲載された、旧姓中川を名乗る若い大川隆法が東京・墨田区で人生相談をしている者にノイローゼの相談に来たとの内容が虚偽であるとして、名誉棄損で講談社と『フライデー』編集長、および記事の執筆者を告訴するとともに提訴し、その他の『フライデー』の記事や『週刊現代』の記事について同様の訴訟を行った。

また、訴訟の開始前の9月2日から6日までの5日間に、幸福の科学会員は講談社の本社に直接抗議を行なうとともに、社屋近隣での数百名を動員したデモや、同社および株式会社日刊現代に対する多量の手紙・電話・ファクス送信による抗議行動を行い、これに対して日刊現代および講談社は幸福の科学による組織的な業務妨害であるとして同教団を相手に告訴・提訴を行った。その後、9月7日から同教団の全国の会員は、当時の有名人会員景山民夫と小川知子を会長・副会長として「講談社フライデー全国被害者の会」を結成し、全国7つの裁判所で「悪意に満ちた記事で信仰心を傷つけられた」として講談社などに損害賠償を請求する提訴を行った。幸福の科学側はこれを「精神的公害訴訟」と呼んだ。

その他、幸福の科学やその関連会社と、講談社やその関係者間に複数の訴訟が提起され、最終的に、2002年に至るまで係争が続くこととなった。

抗議行動の違法性が認定された裁判


訴訟において幸福の科学は、一連の抗議行動が幸福の科学の指示による組織的動員であることを否認したが、東京地裁(1996年12月20日)は一連の抗議行動の違法性を認定した上で、幸福の科学が大川の意向を受けて抗議活動の展開を決定、会員を招集・扇動、抗議の各作戦を立案し、各支部・各地区に詳細な指示を与えていた事実を認定し、抗議行動は幸福の科学の統一的指揮指令に基づくものであると認められるとした。その上で、言論機関に対する抗議行動を宗教活動と位置づけた大川の講演(9月15日)などから、各抗議行動そのものが幸福の科学の指示若しくは教義に基づく実践行為であり、幸福の科学は民法七一五条に定める使用者責任を負うものとした。講談社の損害額については一審(東京地裁)で1000万円としたが、控訴審(東京高裁)において120万円へ変更、上告審(最高裁第二小法定)は幸福の科学の上告を棄却して判決が確定した。

これは一連の抗議行動が大川隆法および幸福の科学の指示による業務妨害行為であると認めたものであった。

記事の一部に違法性が認定された裁判


一連の事件のきっかけとされる『フライデー』8月23・30日合併号の記事は違法性を認定されなかった。

記事の一部に名誉棄損が認容されたのは、1998年11月の東京高裁判決の『フライデー』10月4日号(9月20日発売)、2001年6月の最高裁判決の『週刊現代』7月6日号(6月24日発売)、9月28日号(9月16日発売)など数件のみで他の多くの記事に対する違法性認定はされなかった。

幸福の科学会員が全国7か所の地方裁判所に起こした訴訟のうち、景山民夫・小川知子2名が名誉毀損を加えて提訴した訴訟においてのみ、東京高裁(1995年10月30日)は、『フライデー』9月27日号(9月12日発売)、同11月8日号(10月25日発売)、『週刊現代』1992年6月6日号(5月25日発売)の3つの記事について違法性が認定され、これが1999年3月の最高裁判決で確定した。



名前:
コメント: