会員らは、九月二日午前八時三〇分ころから同月六日午後九時ころまでの間、被告講談社本社設置の全業務用ファクシミリ回線に対し、・・・被告講談社の本社に送信されたファクシミリ文書は総数にして約五万五〇〇〇通、重さ約二四〇キログラムに達している。また、会員の右電話の内容も同月六日からのものはほとんど無言電話化した。また、会員らは、北海道、東北、中部、関西、中国・四国及び九州の各支社においても同月二日午前九時ないし午前九時三〇分ころから、一斉に電話を間断なく架け続け、・・・このため受信の極度集中によりファクシミリが故障する事態も生じた。会員らの右電話等による抗議行動は同月六日午後九時ころまで続き、これにより、電話回線及びファクシミリ回線は業務上の使用がほとんど不可能な状態になり、この間、被告講談社の本社及び各支社では、印刷所、著者、書店及び出版関係者らとの通信ができなくなった。
普通の週刊誌と同じ大きさで、本文は計48ページ。値段は400円とチトお高い(中略)まず15日に横浜アリーナで開かれた、大川主宰の講演会の写真と講演抜粋が手回しよく収められている。大川氏のマスコミへの『宣戦布告』を読まされた後は、一連の反『フライデー』運動に関する写真と記事が続く。
「あれだけ『フライデー』を批判しているんだから、写真誌とはかくあるべきだtぴう手本を示すような雑誌なのかな、と思ってました。ところが、出てきたのは宣伝パンフみたいなもの。がっかりしちゃいましたよ。(中略)一般の人の多くは感じていたと思うんですが、事件以後は、はっきり拒否反応に変りましたものね。この写真誌も、そういった動きを助長するだけですよ」(ある『幸福の科学』に詳しいジャーナリストのコメント)
(「逆襲に転じた『幸福の科学』写真誌の意外な不人気」 週刊新潮1992年10月3日号)
「幸福の科学」側は、「大げさにはしたくないが、抗議をしたいので」といって石原を説得した。(有田芳生『「幸福の科学」を科学する』)
記事が出て本当に大変なことになったと思った。怖かったんですよ、『フライデー』も『幸福の科学』も。でも、怖さを天秤にかけたら『幸福の科学』の方が怖かった。だから謝りの電話を入れたんです。証言文に書名したのは、間違いでした。(『サンデー毎日』91年9月21日号)