幸福の科学出版株式会社設立(1987年12月24日)


関谷晧元著「虚業教団」より、設立の裏側

  • 「ここで、〈幸福の科学〉のいわば生命線であり、会の発展に大きな貢献をした(幸福の科学出版)の設立について述べておきたいと思う。ご存じの方も婚いと思うが初期の霊言集は、潮文社から出版されていた。大川の霊言テープあるいは原稿を、善川が持ち込んでの出版だったらしい。ところが八冊目か九冊目で、潮文社社長のK氏と大川父子が対立した」
  • 原稿はできても本にしてくれる出版社がない。困っているところへ助け船を出したのが、やはり中原幸枝だった。中原の紹介で、彼女の本を出版したことのある土屋書店がピンチを救うことになった。また、高橋守人が社長をしていたコスモ印刷の協力で、幸福の科学出版名で 『高橋信次霊訓集1・2・3』『神霊界入門』を出している。
  • 第三の大黒天と言われた高橋守人も、〈幸福の科学〉の草創期からかかわり、苦い思いを抱いて去っていった仲間の一人だった。現在は、会とは独立したかたちで、幸福の科学出版株式会社が出版活動をおこなっているが、そのもとになった幸福の科学出版は、もともと高橋が大川に提案してつくられたものと記憶している。大川もいずれは本格的な出版社を持つつもりでいたのだろう。出版社を興したら重責に据える約束で、高橋に全面的な協力を求めた。前記の四冊などは、出版経費の全額をコスモ印刷で負担している。機関紙の印刷も原価でおこない、会員への発送も会社で引き受けるという献身ぶりだった。しかし幸福の科学出版株式会社が設立されてみると、高橋のポストはどこにもなかった。彼が憤るのも当然だろう。この事件ついては、高橋本人が雑誌やテレビで告発しているので、ここではが詳しく触れない。

高橋守の証言(江川紹子構成「私は大川隆法に裏切られた 『幸福の科学』元幹部が告発」 『週刊文春』1991年10月3日号掲載)

  • 私の知らないところで(会社設立の)計画が進められていたんです。いきなりこういう文書(「幸福の科学出版株式会社設立案」)を出されて、言うべき言葉も見つからないという感じでした。
  • 年を越してから決定的なものがやってきました。幸福の科学出版の社長になったH・Kさんが「覚書」と題する一通の書面を持ってきたんです。
  • これまでうちの会社で出版していた7冊の本の出版契約を解除し、版権を幸福の科学出版に戻せという内容でした。大川氏直筆の出版契約書では、5年の契約だったのですが。
  • H・Kさんに「神理のものは神理に戻しなさい。あなたも会員で、しかも役員でしょう。版権を返しなさい」と言われました。私は印税を払っていましたので、なんでこういうことになるのか分からない。
  • その話がまとまらないうちに、彼らはうちにも、発売元の出版社にも無断で、大手取次に口座を開設しようという動きに出ました。
  • しかも、私や発売元がそれを妨害しているようなデマが聞こえてきましたので、私はそれに抗議した。すると、大川さん直筆の手紙が届いたのです。
    • 3月2日付のその手紙は、高橋氏への"詫び状"だった。レポート用紙にサインペンで書かれたもので、〈私自身の組織運営上の未熟さから、高橋様にも種々ご迷惑をおかけしているのではないかと反省される点も多々ありますが、ご寛恕頂ければ幸いに存じます〉などと記している。(江川註)

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最終更新:2012年09月21日 22:50