神託結婚指示による関谷家崩壊


関谷晧元著「虚業教団」より、関谷氏の回顧

  • 「予想したことだが、妻は私の要求に態度を硬化させた。『なぜ、そんなに急ぐの。急に除籍しろなんておかしいわ』しかし私は、神様の指示で中原と結婚することになったとは、どうしても言えなかった。仮に言ったとしても、信じてもらえたかどうか。『こんなに急に無理を言われるなら、貰うものは思いっきり貰ってやるから。そうじやなければ、絶対に離婚には同意しない!』妻はいきり立ち、叫びつづけた。冬だというのに汗をかき、その後頭部からは赤い炎がポッポッと燃えているのが見える気がした」
  • 「あのときの妻はじつは菩薩ではなかったか、と思うときがある。菩薩という愛の仏は、ときには恐ろしい憤怒の顔をした不動明王の姿をとって現れ、手にした縄で人を縛り、剣で切り刻んでまで、その魂を救済するという。人の道に外れてはならぬと、妻は私に訴えていたのである。しかし悲しいかな、当時の私は、神の心が通じない愚かな女としか見なかった」
  • 「娘のことを考え、早々に切り上げて会社へ戻った。苦しかった。苦し紛れに、私は思わず中原に電話した。『こんなことをさせる神様は間違っていないか。あまりにも無慈悲だ。あなたから大川先生に、あと二カ月だけ待ってくれるよう伝えてほしい』すると中原は、昨日大川に言われたという言葉を私に伝えた。『恭子さんの身にもなってみろ。彼女は両親の反対を押し切ってまで決意したんだ。早く会員に発表してもらいたいと心待ちにしている。関谷さんは、そのくらいのことが解決できないのか』そう責められて、中原も困っているということだった」
  • 「大川はいつも中原を通して私と話をした。直接話そうにも、話せないように素早くお膳立てができてしまう。これは彼独特の、一種の処世術だった。この処世術は、会が現在のように巨大化してからも変わっていない。あのフライデー事件のときも、一人の事務局長を通して指令が下っていた。幹部こそいい災難である。指示を忠実に実行しようとして知恵を絞り、その結果がよければ、主宰の指導がよかったということになる。もし悪い結果が出たときは、末端会員の批判はその幹部に集まり、自分がツメ腹を切らされる。ご本人は奥にいて、滅婚に顔を見せない。したがって、真実の姿は一般会員にはまったく見えない。そのほうが、確かに神秘的である。講演会の後の質疑応答でも、霊言を求められると、大川はよく『安っぼくしたくないから』と言って断っていた。霊言に安っぽいも高いもない。神秘というベールをまとうことが必要だったにすぎない」
  • 「一挙に押し寄せてきた不幸なできごと。家庭の崩壊、商売の衰退、社員との行き違い、肩の骨折などはすべて、私にこの道を進ませようとする神の導きに違いない……。ここに自分の天命があるのだと、無理にでも納得するはかなかったのである」




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最終更新:2012年09月19日 10:59