GLA教団から幸福の科学に相次いだ苦情(1988年春頃より)


関谷晧元著「虚業教団」より、関谷氏の回顧

  • 1988年の春、はじめてGLAから正式な抗議文が送られてきた。内容は、『繰り返しニセ信次先生の本を出されては困るから止めてはしい』というものだった。それを読んだ私たちは、『なにがニセ信次だ!』『信次先生の霊が語っておられるのだぞ』と大いに憤慨した。
  • しかし、GLAが抗議するのもあたりまえだろう。(中略)宗教学者の島田裕巳の調べによれば、その霊言集は16冊になり、大川に降りた回数も70回になるという。この数は、はかの霊とくらべて群を抜いて多い。〈幸福の科学〉を特徴づける最も重要な高級霊なのである。GLAとしては、当然心中おだやかではない。亡くなった自分たちの教祖、神とも崇める教団創設者が、こともあろうに何の関係もない他教団に出現し、生前には聞いたこともないような話をしだしたのだから。
  • その後もGLAからは何度も抗議文が送られてきた。内容証明も二度ほど来ている。しかし、このときの大川はフライデー事件のときと違い悠然としていた。『放っておけ。返答する義務はないのだから』と取り合おうとしなかった。GLAの幹部がついに中原の自宅まで訪ねてきた。事務所ではなく、中原の自宅へ行ったのはどういうわけだろう。大川の『高橋信次』は、元GLA信者である中原の影響によるものと見なしたからなのか。とすれば、彼らは私たちが当時見落としていたものを、敏感に察知していたことになる。この訪問は、たまたま中原が留守だったために空振りに終わった。しかし、その報せがもたらされると、〈幸福の科学〉本部にはたちまち緊張が走った。ついに衝突の時がきたか!と、誰もが顔を強張らせた。
  • 結局、何らかのかたちでGLAと接触しなければなるまいという結論に達した。『谷口雅春霊言集』もあるから、同じトラブルが生長の家とも起こる可能性があった。日蓮を祖とする日蓮宗、創価学会、空海の真言宗、親鸞の浄土真宗……可能性は至るところにあった。

高橋守の証言(江川紹子構成「私は大川隆法に裏切られた 『幸福の科学』元幹部が告発」 『週刊文春』1991年10月3日号掲載)

  • 高橋信次先生といえば、こんなことがありました。GLAから、大川さんに会いたいという申し入れがあったんです。最終的には内容証明がきましたから、これを役員会で検討した。
  • 私は「会ったらいいじゃないですか。そうすれば、大川先生の霊言の正しさが証明されるし、高橋先生の霊とお話しできれば、お弟子さんたちも納得する」と申し上げたんですが、結局彼は逃げたんですね。とうとう会いませんでした。

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最終更新:2012年09月21日 22:55