綱紀粛正(1989年1月7日)


綱紀粛正の内容

1/7/89 大川
綱 紀 粛 正

1、阿部氏 当会幹部としての発言、行動が社会的常識に欠け、三宝帰依の精神がない。また自己変革の意思がない。
 * 来週より二週間、自宅での反省を命ずる。
 * 指導局課長解任。
 * 青年部講師、当分の間資格停止。
 * 二週間後の反省期間後、多少本来の姿になっておれば、事務局付で勤務、又は大阪への配転を考える。反省の色がないようなら、退職勧告をする。

(中略)
<全体的展望>
  1. 当会の性格からいって師と弟子の信頼関係は絶対必要。高級霊への信仰も必要。神を裁く性格の人はいられない。(正しき心の探究)の基準の運用による(破門)も検討の必要がある。
  2. 今回は青年部講師再考のよい機会。人生経験未熟で大人になりきっておらず、社会常識を疑われる講師の登用は避け、(研究員)あるいは(研究生)とする方向へ切り替え必要。

関谷晧元著「虚業教団」より、関谷氏の回顧

    • 「明けて1989年1月。年末年始の10日間の休暇を、家族という常識世界に触れてすごした阿南は、心を固めて東京へ戻ってきたようだ。彼は大川に、この話はなかったことにしてはしいと訴えた。大川のワンマン体制下では、その意向に逆らえば、会から追放されても文句は言えなかった。よほど勇気が要ったに違いない。なにしろ仏陀の指示を拒むのである」
    • 「阿南浩行は自分の心に正直にしたがった。たとえ、全知全能の神の命令でも、自分がおかしいと感じたら、やはりおかしいのではないか。彼は自らの行動で、そのことを私たちに問いかけたのである。けれど、私たちはまだ自分の〝浅はかな考え″よりも、大川の霊言を信じていた。『神は自分の心の中にある』と高橋信次は繰り返し説いた。そういう心の中の神を、真っ直ぐに見つめることのできた人間から、順番に会を去っていった。『明日から出社におよばずだ! もう出てくる必要はない!』大川の憤慨は、私たちもはじめて見るほど激しいものだった」


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最終更新:2012年09月21日 09:04