大川隆法の挙式(1988年4月10日)


関谷晧元著「虚業教団」より、関谷氏の回顧

  • 「私の全面的な譲歩によって、ようやく妻との離婚問題が決着した。籍を抜いたことを報告すると大川は非常に喜んでくれた。その慰労もかねてだろうか、大川の婿礼が近づいたある日、二つのカップルが新宿のホテルで食事をともにすることになった。(中略) とても印象深く覚えているのは、私の心をくすぐった恭子のひと言である。『釈迦の時代の高弟たちも、みんながみんな家族と円満に別れて出家したのではないと思いますよ。それぞれが、関谷さんのように大問題を解決して自分の道を選び、生涯を懸けたのだと思います』」
  • 「当日は、会場に80名ほどが集まっただろうか。新婦の同級生らしい娘さんが四人ほどいた以外は、すべて〈幸福の科学〉の会員だった。″これは、仏陀の結婚式なのだ″誰もがそう思っていた。媒酌人として挨拶に立った私の言葉も、そういう全員の思いを代弁していた。『今、私たちが立ちあっているのは、偉大な魂の再来が挙げる結婚式です。霊性時代のはじまりを告げる式に私たちは臨んでいるのです』そんなことを私は緊張しながらスピーチした」
  • 「シンセサイザーやレーザー光線を駆使した″御生誕祭″をご存じの方は、さぞかしハデハデしい演出が施されていただろうと想像するかもしれないが、結婚式としてはむしろ質素で、新しい時代に向かって運動を起こしていこうとする人々の集いに相応しい張り詰めた空気が漂っていた。型通りに一通りの式がすむと、30分ほど大川の演説があった。物の時代はすでに終わった、これからは心の時代である。そんな話だったように記憶する。結婚式の後、恭子はすぐに主宰補佐に任じられた」


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最終更新:2012年09月21日 09:12