関谷氏神託結婚の挙式(1988年6月26日)


関谷晧元著「虚業教団」より、関谷氏の回顧

  • 「中原と私の結婚式のほうは2カ月後の6月26日に、大川夫妻の媒酌によって、やはり同じ杉並会館でおこなわれた。複雑な気持ちで中原と夫婦の誓いをした。ただ一つの救いは、中原の両親がとても喜んでくれたことである。私は前々から彼女の父親と親しく、ゴルフの趣味も一致していたから一緒にフェアウエイをまわり、ゴルフ談義によく花を咲かせたりしていた。ご両親にしてみれば四〇を過ぎて、一生独身かと思っていた娘が、突然結婚すると言いだしたのだから、その喜びはひとしおだっただろう」
  • 「『中原さんのお父さんの寿命はもうほとんどない。6月いっぱいもてばいいはうだ。生きているうちに、娘の花嫁姿を見せてあげなさい』それを聞いていたから、私たちは大いにアセッた。中原の父親は、20年前に直腸ガンで死を宣告されたこともある。奇跡的に回復したが、そういう過去が大川の予言に真実味を与えていた。どうにかして6月中に式を挙げなければ、と私たちは思った。中原も最後の親孝行のつもりだったろう。ところが、この予言は見事に外れた。5年後の今もピンピンしていて、毎年100日以上もフェアウエイに出る。これは、いったいどうしたことか。しかし会の中では、あのときの予言に触れようとする者は一人もなかった」
  • 「ところで、中原と私の結婚生活はどのようなものだったろうか。それはまことに奇妙な夫婦だった。私たちは、車庫付きの豪勢なメゾネットタイプの新居に入った。大川夫妻の住まいより立派なのが気が引けたぐらいの豪華さだった。断るまでもないと思うが、これは会から提供されたものではもちろんない。そのメゾネットの一階と二階に別れて、私たちは生活した。最初に私が予感した通り、セックスのない兄妹のような夫婦生活。一度もベッドを共にすることなく、それに不満も、不自然さも感じなかった。不自然なのは、そういう二人の関係ではなく、無理やりつくらた夫婦という形だった」


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最終更新:2012年09月21日 09:15