関谷氏と信次氏実弟・興和氏の会談(1988年10月27日)


関谷晧元著「虚業教団」より、関谷氏の回顧

  • 「はじめて見る信次先生の弟さんは、予想していた通り温厚な紳士だった。『私は実の弟です。兄の性格は百も承知しています』と彼は念を押した。『ほんとうに兄の霊がでてきたなら、すぐにでも飛んでいって話をしたいと思います。でもねェ、関谷さん。違うんですよ。巧妙に似せてはありますが、兄じゃないんです。私も残念なのですが』とても真摯な話し方をされた。肉親だからこそ言える実感がともなっていた。私としては、抽象的な反論をするしかなかった」
  • 「『二つはハッキリしています。関谷さんも気づきませんか。一つは、″愛の波動が伝わってこない″ということ。愛を説く言葉は上手に並んでいるけれど、暖かみが伝わってきません。ハートではなく頭で理解させ、うなずかせる感じです。二つ目は、″冗談の言い方の違い″ です。大川さんの冗談には品性がありません。兄はあんな下品な言い方のできない人でした』こう言われてしまうと、なお反論することができなかった。感じや、身近な人しかわからない品性の問題を持ち出されては、マトモな議論にはならない。それだけに、弟さんの言葉にはウムを言わせぬ説得力があった」
  • 「『このままでは兄の悟りは、この程度の浅いものとして広まってしまうんです。『新幸福論』『愛の讃歌』はひどいものです。あれでは猥褻書以下です。何が神理ですか。一人ひとりに対して、兄はもっと真剣な愛を持っていました。そこのところを正しく伝えなくてはならないんです』この猥褒さについては、私も違和感を持って読んだ一人だった。たとえば、『高橋信次の愛の讃歌』 にはこういう一節がある。『ライオンが、この女性の上にのしかかって、この女性を犯しておるようであります。……かわいそうにこの女性は、350年の間、こうしたライオンを中心とした人間に犯され続けたようであります』霊言をまるで信じない心理学者なら、著者の潜在的欲望の現れと見なすだろう。確かに、高橋信次の口から語られたとは信じがたい」
  • 「話し合いは二時間ほどつづいたと思う。私の勉強不足に、弟さんは物足りなさを感じているようだった。勉強不足とは、宗教界全般についての知識のなさである。そうなのだ。〈幸福の科学〉の多くの会員と同じように、私も宗教に対してはほとんど何も知らず大川の本と出会った。そして、入会後に読むものといえば、ほとんどが大川の著作である。それもそのはずで、『おれの本以外に本が読めるなら読んでみろ』とでも言わんばかりに、立て続けに本が出るのである。会に帰って会談の報告をしたが、ありのままを言うことはできなかった。大川のためにも自分のためにも、適当にお茶を濁すしかない。あらましを聞いた大川は、『もう煩くは言ってこないだろう』と安心した様子だった」


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最終更新:2012年09月22日 13:53