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阿部浩之氏の神託結婚拒絶(1988年12月)


関谷晧元氏「虚業教団」より、関谷氏の回顧

  • 「阿南は28歳という若さながら霊的に非常に覚醒していた。仏教やキリスト教など宗教全般に詳しく、大川の霊言集に関してはどんな角度からでも、理路整然と解説できた。理論では会員中随一だったろう。一部上場企業の社員だったが、上司が止めるのを振り切って退職し、会の活動をしてきた」
  • 「私は彼の鋭い洞察力を密かに恐れていた。修行の足りない私の心の実態が、阿南には手にとるように読めるのではないかと怖かったのである。そういう私とはまた違った意味で、大川隆法も彼を恐れているように見えた。たとえば、学習会の席で鋭い質問をぶつけるのはいつも阿南だった。会に入ってから勉強したのか以前から学んでいたのか、該博な知識から発せられる見事な質問に、私たちはしばしば舌を巻いた。大川が阿南を恐れていたとすれば、その知識だったろう。幹部だけの学習会でも、阿南の質問に答えられない場面が何度かあった。むろん、わからないなどとは口が裂けても言わない。正面から答えようとせず、冗談に紛らしてしまう。大川のいつものやり方だった」
  • 「いくら神託結婚と言っても、奇想天外な組み合わせだった。今までの神託結婿は、中原と私をはじめ、奇想天外というのではなかった。二人の当事者には、ある程度のつながりがあったからである。しかし阿南と真知子の場合は、つながりはないに等しい。互いに口をきいたことすらなかったのだ。マジメで学究肌の阿南と、まわりに子分を集めてキャーキャー騒いでいる真知子。この組み合わせに、彼らを知るすべての会員が仰天した。誰の目にも不釣り合いだった。(中略)今にして私はこの不自然さに、阿南を煙たく思う大川と、真知子を自分の配下に置こうとする大川夫人の意図を感じる」
  • 「大川は阿南を呼んで、ちょっと話があると言ったらしい。後日、阿南本人から聞いたところを、そのまま書いてみよう。──指定の場所へ行ってみると、大川夫妻と真知子が待っていた。席についた阿南の前に、大川がカレンダーを広げた。『この日です』と大川は、カレンダーを指した。『私が自転車を走らせて、阿南さんのために、この日に式場の予約をしてきました』阿南が混乱していると、おもむろにこう言ったのである。『ここにいる佐藤真知子さんと結婚式を挙げていただきます』あっけにとられて、阿南はしばらく返事ができなかった。中原と私のケースで一度成功していたから、大川には勝算があったのだろう。自信たっぷりだったという。あのときの中原もそうだったが、真知子のはうはすでに言い含められていた。しかし私とは違い、阿南は簡単には言いなりになる男ではなかった。難色を示すと、大川は怒りを爆発させた。恭子、真知子の前で、彼を徹底的に侮辱したという。『あなたは何もわかっていないんだ。だいたいにおいて子どもすぎる。社会的にもっと飛躍しないと、神理を学んでも何にもならない!』」


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