肥田舜太郎

1917年、広島市生まれ。1944年、陸軍軍医学校卒。
軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。
1945年8月6日、原爆被爆。被爆者救援にあたる。
全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)の創立に参加。
全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長。
この間、海外渡航32回のべ33か国で被爆の実相を語り、核兵器廃絶を訴える


995 返信:名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 14:30:13.93 ID:yRers+pf0 [5/5]
993 スレ立てなどいつもありがとうございます。
別スレに書いたのですが、貴重なお話が続いているので、こちらで紹介させていただきます。

14:00- 15:30 Ustライブ 肥田舜太郎さん講演「内部被ばくがもたらすもの」
OurPlanetTV http://ustre.am/y6vh

120 名前:163(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 01:10:14.85 ID:1q2TEsng0 [2/5]
114 島薗進さんご指摘の 1)広島・長崎原爆被害者の調査の隠蔽については、
103 の肥田先生(28歳の時広島で陸軍病院の軍医として被曝。)も以下のように証言。
(00:25:00頃から)
「終わった直後、日本はアメリカに占領されました。
アメリカが上がってきたのが9月の初めですね、1月経って。
その前に、占領軍のいろいろな指令とか、"我々が日本を占領したらこういうことをする" というのが流れてくる。
(中略)
問題は、直接爆弾を受けないで、後から町に入ってそういう症状を起こす人は、これは、
その人に出るすべての影響は、全部アメリカの軍隊の秘密である。
だから、これは人に喋ったり、書き残したり、写真で残したりしてはならないと。
で、そういうことを違反したものは、重罪に処すと。
それを訳したものが広島の方に伝わってくる。なんて伝わってくるかというと、"銃殺に処す"と書いてある。
アメリカは日本に直接来る前から、日本と日本の国民を世界に対して、原子爆弾で起こる被害は、
どんな被害であろうと軍の機密であると。
被曝した人は、自分の経験したことも、見たことも、聞いたことも、そういうことは一切喋っちゃいけいというような。」

肥田先生曰く、アメリカは当初から内部被ばくについては原爆と無関係と世界にアピールする意図があり、
被害者の証言隠蔽を図った。

肥田先生を含め、被曝した人は、アメリカの占領中7年間、アメリカの憲兵に監視され、
たくさんの患者の相談に乗っており反抗的だった先生も何度か憲兵に捕まったそうです。
(殺すとさすがに騒ぎになるので、見逃されたのではないかと。)

25 名前:地震雷火事名無し(新疆ウイグル自治区)[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 16:27:25.36 ID:BzzL14F30
日刊 SPA! 肥田舜太郎氏インタビュー (前・中・後編)

【前編】 内部被曝の恐怖 「何ミリシーベルト以下なら大丈夫」はウソ
http://nikkan-spa.jp/116116
“最後の被曝医師”が語る人体に与える内部被曝の脅威
  • 「年間何ミリシーベルト以下だから大丈夫です」というのは大きなウソ

【中編】 内部被曝の恐怖「放射線に対抗する唯一の方法は?」
http://nikkan-spa.jp/119088
  • 放射線に対抗する唯一の方法は、生まれつき持っている免疫力を弱めないこと

【後編】 内部被曝の恐怖「日本の医学界が被曝の影響を無視してきた理由」
http://nikkan-spa.jp/116117
  • 原爆の長期的な影響は、米国の「軍事機密」として隠されてきた

きちんと治療と補償が行われるためにも、「軍事機密」として調査を行わなかった
かつての過ちを繰り返してはならない。私たちは政府や東電に徹底した情報公開
を求めたうえで、正しい知識と効果的な対処法を身につけていかなければならな
いと思います。


肥田先生が講演会で語られている内容が集約されています。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2012年12月10日 16:34