43 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 03:54:10.39 ID:561ktGUK0 [1/2]
科学・9月号(岩波書店)読んでるけど、尾内隆之・本堂毅「御用学者がつくられる理由」で
上にある「科学的思考」の議論に関連することが書いてある。
いくつか言葉を拾ってみる。
未解明の潜在的リスクが社会的に問題となる場合に、そのリスクの厳密な証明があるまで
リスクを不存在と見なしてよいかどうかは科学自体では決まらない。
原発の安全性評価に対する「割り切り」は、工学者が彼ら独自の「相場感覚」で社会の
意思決定を代行してしまったものである。
制度としての「御用学者問題」に共通の課題は何かを探ると、そこには、科学的知見というものは
誰が導いてもひとつに決まる、と見る「固い科学観」が存在している。裏返せば、セカンド・オピニオンの
意義への視点が欠如しているのだ。
この辺が理論物理系の人たちの陥った罠のように思う。
あと、法廷における科学というものに構造的な欠陥があり、科学であり得ない、というのがなるほどと思った。
構造的要因の根本は、法廷における対審構造(註)にある。(中略)だがそこには、
専門知をめぐる議論や対話は存在しないし、構造的に存在しえない。主張は常に一方向的で、
専門家は孤独に反駁を受ける。分裂したそれぞれの専門知の妥当性を問うピアレヴューは、
ここでは当然ながら働かないのだ。(中略)
法廷には、科学的知見の有効性や限界とは無関係に、価値判断や社会的基準によって
特定の知見が「科学的」に正当化される恐れが潜んでいる。
(註:対審構造とは、対立する両当事者がそれぞれ自己に有利な法律上・事実上の主張および証拠を出し合い、
これにもとづいて中立の第三者(法廷であれば裁判官)が決定を下すしくみを指す)
▼ 45 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 04:11:19.81 ID:ZsY+4iNR0
43
やっぱりな。
特に高等教育の詰め込み教育が良くないんだよ。
討論的な授業や場が高校や大学でもほとんどないからな。
セカンドオピニオンとしてのオカルト科学の意義は大きいんだよ。
菊池教団はそれを排除する活動を大々的に行ったようだが
後に卑劣な御用学者に堕落したのは実に納得できる現象だった。
▼ 47 名前:地震雷火事名無し(東京都)[] 投稿日:2011/09/04(日) 04:17:35.49 ID:Hxk2Gdze0
38>>45
う~ん、それがどの程度関係あるかはわからん。
43
それ以前の問題があると思うんだ。
もっと単純に、科学、工学の一部の領域が巨大あるいは高額な設備を必要とする装置産業化したからってのがあると思う。
人、モノ、カネの流れが大量なので政治の直接介入を受けやすい。
中曽根が日本に原子力発電を導入したとき、「札束で学者の頬をひっぱたいた」と表現したように。
あと「学問の社会的有用性」みたいなこと、やたら言うのもどうかと思うんだよね。
とくに理学部とか、なんの役にも立たないけど面白いことをやってて何が悪い?それが文化。
それに、将来役に立つかどうかなんて今の人間の浅知恵で見通せるもんじゃないし。
研究者自身もその気になって社会的有用性をコジツケ主張しようとするもんだから、社会的に頓珍漢な意見になったりする。
「科学者」とかいったって、ふつーのおじさん、おばさんなんだから。
ていうか生活感覚とか政治感覚じゃ平均的には劣ってるかも。
そこんとこ自覚必要と思うよ。
▼ 50 名前:地震雷火事名無し(茨城県)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 04:28:49.99 ID:sCTbRk/G0
47
原発が実用化される前に決まっていたこと
- 安全で経済的というキャッチコピー
- 日本に輸入すること
原発の利益構造は原発を導入するために用意された面があるらしい。
▼ 52 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 05:04:27.84 ID:561ktGUK0
46
同論文によると、法廷における科学的思考を可能にする事例として、「コンカレント・エヴィデンス(concurrent evidence)」
というものがオーストラリアで試みられてる、とのこと。
それは、専門家同士が裁判官の目の前で議論し、それぞれの合意できる点とできない点を明らかにするという、
専門家の通常の意思決定プロセスを法廷で再現するもの、とのこと。
まあ、これで解決できる問題ではないけど、問題を認識している国もあるという事例。
47
そうですね。背景に原発推進の巨大なバイアスがあるのは間違いないです。
それでそのリスクを抱えた巨大な利権の暴走を科学が止められなかったのは、
その利権によって生み出された「科学」である御用学者vs高木仁三郎という構図があったときに、
「科学=答えはひとつ」だと勘違いした市民が、東大・京大といった肩書きを持つ
御用学者が正しい「科学」であるとしてしまったということかと。
▼ 62 名前:地震雷火事名無し(長屋)[] 投稿日:2011/09/04(日) 06:27:02.97 ID:VNaYZEUs0
あくまでも、科学的議論を学者に求める形になっていながら、こうなってしまうのはいったいなんなんだろうな。
御用学者化問題は両軸におこりうる事。(言葉の定義の問題でなく構図)
双方とも科学的な権威付けが求められ、科学的プロセスを無視したまま、
利益や個人の判断、主義思想から科学者としての範囲を飛び出してしまう事がおこる。
そういう状態になりづらくする為にも、両軸とも科学者の立場としてその枠を外れていないかのチェックが必要。
日本全体での科学リテラシーの普及、各分野内での議論(もしくは再確認の為の勉強会だろうか)が必要なんだろう。
52
コンカレント・エヴィデンスは面白い試みですね。科学者が外部と関わる際の解決策になるかもしれないですね。
▼ 46 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 04:17:11.62 ID:ZsY+4iNR0
43
法廷の問題は深刻だな。
証拠や事実の認定は自由心証主義だからな。
最終的には裁判官個人の良心や確信に委ねられる。
裁判というのは答の出せない問題にあえて答を出す営みだからな。
こうせざるを得ない面はある。
しかし裁判官組織が官僚的になってしまったら全員が御用化してしまう危険性が高いし
原発差止裁判では現実にそうなってしまったわけだな。
▼ 48 名前:地震雷火事名無し(茨城県)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 04:17:44.22 ID:sCTbRk/G0
41
教育を批判できるひとは、自分が受けてきた教育を相対化できているので、これは教育の成果ではないか、みたいなw
43
それは「御用学者問題」なのかなあ、自分の主張を曲げるのが御用の辞書的定義じゃなかったっけ?
- 間違うのが学者
- 嘘を付くのが御用学者
- 本人は嘘を付いてないと主張しても安定して政府寄りにバイアスがかかっている学者は、予防的に御用学者と看做す
▼ 79 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 09:53:35.13 ID:OJFPYafdP
43
▼ 182 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 20:58:05.44 ID:Yr/CEush0
43
すばらしい言葉だ!
是非wikiにも
▼ 200 自分:御用聞き ◆f1qmsMDFdM (東京都)[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 22:03:43.83 ID:BZ/KAdSo0
43
尾内さんて科学技術政策とかいうのやってるんだね。
いろいろ興味深い文を書いているようだ。
科学2007 VOL.77 NO.11 あたり読んでみたい。
最終更新:2012年12月10日 16:43