経産省前テント村


2011/11/30東京新聞

世論の大勢にもかかわらず、脱原発の声は時間の経過とともに原発推進の霞が関官僚と、
電力会社やその労働組合と連携する民主、自民両党の多数派に封じ込められつつあるようにみえる。

そうした流れへの数少ない「抵抗」として、経産省敷地内の北西角に三張りのテントが張られている。
九月十一日に経産省を「人間の鎖」で取り囲んだ市民団体の脱原発行動の延長で、
1960、70年安保闘争世代の有志らが座り込んだ。

その一人である淵上太郎さん(69)は「不法占拠かもしれないが、原発事故という緊急事態。
国も年間1ミリシーベルトという法定の被ばく基準を無視している。
テントのスペースを休憩に利用していた職員らには少し迷惑をかけているかもしれないが、
やむにやまれない気持ちを黙認する程度の度量は見せてほしい」と話す。

この場所でハンストで原発反対を訴えた若者たちがいたほか、十月には福島や全国の女性たちが
座り込みを決行。海外や全国からさまざまな個人や団体が来訪する「脱原発」の象徴の一つにもなっている。

だが、管理する経産省からは連日撤去を求められ、十一月以降はテントは「座り込み禁止」「立ち入り禁止」
のポールやチェーンで囲われるようになった。連日のように民族派団体が街宣車で
「撤去」を叫び、同時に警察も登場する。強制撤去の緊張が高まっている。

淵上さんらは九月から敷地の利用申請書を提出してきたが、一カ月後に却下された。
現在は再申請中だ。来月一日からは福島や全国の女性たちが来年九月十一日まで
「十月十日」の間、避難支援と脱原発を訴える座り込みも予定している。

淵上さんは「記念日の行動だけでは、脱原発運動は下火になる。長く続けるためには、
目に見える形で毎日、発信する必要がある」と語る。

それと同時に「事故から半年以上が過ぎ、原発報道もトップニュースではない日が増えた。
脱原発の動きが停滞すると、国のたがも外れる」と危機感を募らせている。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2012年12月10日 16:51