つるりん和尚(阿部光裕)



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民の声新聞 2013年11月23日
http://ameblo.jp/rain37/entry-11702094071.html

現職市長の惨敗で終わった福島市長選。除染の実績を掲げた瀬戸市政に、市民は「NO」を突き付けた。
数字上は宅地除染が順調に進んでいるはずだが、現実には、依然として高濃度汚染が放置されている。
福島市が抱える問題は何か?原発事故以降、一貫して行政と対峙し、市内の詳細な測定と除染を続けている常円寺の住職、
阿部光裕さん(49)に語ってもらった。福島市内のホットスポットを巡りながら、阿部さんは言う。
「次の4年間、真剣に取り組まないと手遅れになる。市内はホットスポットだらけですよ」。

【出馬辞退の裏に汚染放置への危機感】
 10月15日、福島県庁の記者クラブで開かれた記者会見に阿部さんはいた。大内雄太市議(30)の市長選出馬会見に、
後援会長として同席するためだった。
席上、大内さんは「現職(瀬戸孝則氏)は汚染や被曝を無かったことにしようとしている」と批判。
「自ら率先して通学路除染に汗を流す市長になりたい」と力強く語っていた。
この時点で既に立候補を表明していた小林香氏に関しても
「除染の方向性はあながち間違っていないが、彼では子どもを守ってくれない」と話していた。
 しかし、事態は急転。同月30日、大内市議は会見を開き、出馬辞退を表明する。わずか二週間に何があったのか。
阿部さんは「彼が言っていることを実現できなきゃ意味がないんです。
次の4年間は相当真剣に取り組まないと、手遅れになってしまいます」。
「告示前の段階で、既に〝反瀬戸票〟の名簿が3万は小林陣営にあった。こちらの票読みは、良くて2万。
とても当選できる状況ではない。もし落選したら市議でもなくなり、向こう4年間は傍観者になってしまう。それで良いのか、と。
現実として政策にできなかったらいくら理想を言っても意味がないわけです」と振り返る。
 大内陣営は、出馬辞退と引き換えに小林陣営に政策協定の締結を迫った。
「小林氏と2時間話したが、彼には何らビジョンが無かった。これは頼られる可能性が高いなと思った」(阿部住職)。
福島県議の事務所で改めて話し合い、小林氏は、大内氏の政策を実現することを約束したという。
だが、文書に残すか否かで小林陣営が紛糾。小林派の福島市議が反対した。
結局。出馬辞退会見の直前、小林氏から直接、電話連絡が入ったことで政策協定が成立した。
「紙面には残さないが、必ず約束する」。この瞬間、小林氏の当選はほぼ確実のものになったという。
「大内君が退いたことがターニングポイントになった。これで、小林氏が明確なビジョンを提示しなくても良くなった。
そういう意味では、大内君の辞退は有権者にとっては〝罪〟かもしれないね」(阿部住職)。
選挙は、ダブルスコアを上回る小林氏の圧勝だった。
 「大内君は悔しかったろう。私を恨んでいるかもしれない。だが、彼には才能があるが、若さを危惧する声があったのも事実。
再び市議として地道にスキルを上げて、実行力を身につけて欲しい。将来、またチャンスはある。見捨てたわけでは無いですから」
 「この先、結果的に小林市長の手柄になっても良い。被曝回避を実行できれば良いのです」と強調した阿部さん。
それだけ、現在の福島市に危機感を抱いているのだ。

【「除染しても戻る」でなく「取り除けていない」】
 福島市で行われてきた除染の何が問題なのか。阿部さんは大きなファイルを広げて
「瀬戸市政では除染も仮置き場の設置も進まなかった」と話す。
常円寺での除染作業で「どれだけ放射線量を下げられなかったか」を写真入りで詳細にまとめさせた資料だ。
 「何カ月経っても除染作業が終わらない。はっぱをかけたら、しばらくして『終わりました』と言う。
本当に終わったのか、と尋ねると、威勢の良さそうな現場監督が『終わりましたよ』と。
じゃあ、俺が線量測るけどクビをかけても良いかと言ったら『良いっすよ』と答えた。
しかし、彼の顔が青ざめるのに数分とかからなかったよ」
 写真付きでまとめられた「下げられなかった報告書」。これが物語るのは「宅地除染をしても放射線量は戻る」は誤解で
「そもそも除染業者が放射線量を下げられていない、線源を取り除けていない」ということだ。
「放射線量の測定方法すらロクに分かっていないんだ。空間線量だけを測ったって、線源など特定できない。
30㎝四方のメッシュで細やかに測定しないと。それでホットスポットや線源を特定し、そこから優先的に取り除く。
馬鹿みたいに土を一斉に取り除いたって無駄な土が出るだけで、被曝回避にならない。
最小限の土で最大の効果を出さないと駄目なんだよ」。
 しかし福島市は、業者への発注数と完了数だけで進捗状況を市民に示し「除染は着実に進んでいる」とアピールしている。
「これが福島市の実態だよ」と阿部さんは怒りを隠さない。
 常円寺から車で数分走った場所に、阿部さんが仮置き場として市に提供した土地がある。
広大な土地の一角にだけ、真っ黒いフレコンバッグが並べられている。向かって右側が市の除染で生じた汚染物。
左側に阿部さんらが通学路で取り除いた汚染物。
「見てごらん」と阿部さんがポールの先に取り付けた線量計をフレコンバッグに近づけると、
市が搬入した汚染物では0.2μSv/hほど、しかし、阿部さんらが除染をした汚染物はけたたましい音とともに6μSv/hを超した。
「生活圏にある汚染物を取り除いて、生活圏でない場所に移すのが除染でしょ?
だったら、どのフレコンバッグも汚染度が高いはずだ。つまり、市の除染はただ取り除いているだけ。金の無駄遣い。
湯水のように金を使って、取り除けていないんだ。許せないよね」。
 市長選出馬を辞退した大内市議とともに、福島市の除染の現実を目の当たりにしてきた。
選挙戦に突入した途端に、瀬戸市長が国道沿いの目立つ場所の除染を始めたことも許せなかった。
瀬戸市長が市内の各種団体の代表者に「俺の言うことを聞かないと協力しないぞ」と圧力をかけていることを耳にした時、
旧態依然とした自民党的手法に「末期症状だ」と失望した。だからこそ、新しい小林市長に政策実現を約束させた。
指揮を執るのは誰でも良い。子どもたちを被曝から守れれば良いのだ。


【足の裏からの被曝を馬鹿にするな】
 「事故なんかじゃない。私は一貫して『原発事件』と呼んでいる。誰も責任をとらずに終わらせてはいけないからですよ。
事故ではない。事件なんだ」
大地震、そして大津波に端を発した放射性物質の拡散を振り返る時、阿部さんの語気は自然と強くなる。
 福島市から伊達市を抜け、相馬市へ続く国道115号。国道から少し入った脇道の緩やかな坂道の一角に、雨水が流れ着く場所がある。アスファルトから、すっと横滑りさせるように雑草の生えている土に線量計を近づけると、激しい警報音とともに50μSv/hを超した。「私はね、何も大騒ぎしているわけではないんですよ。2年8カ月が経っても、いまだにこういう場所があるということなんです」。
 阿武隈川に架かる文知摺橋。福島第三中学校の通学路としても使われ、信夫ヶ丘球場へ続く土手も、
依然として高線量を発し続けている。阿部さんの線量計は13μSv/hを上回った。
水素爆発以降、阿部さんは通学路を中心に地表真上の放射線量を測定し、除染を行ってきた。
「『福島の子どもたちはほふく前進をしているのか』という批判があるなら、
私は『では、福島の子どもたちは空を飛んでいるのか』と逆に聞きたい。足の裏からの被曝を馬鹿にするなと言いたいね」。
「東北六魂祭」でも会場となった市立第二小学校の校門で5μSv/hを超すホットスポットを発見したが、腰の重い市役所は動かない。
 小林新市長に約束させた、徹底した測定と除染。だがそれは、帰還の促進や避難の阻止につながらないのか。
「決して、福島市にとどまらせるために除染をするのではないですよ。福島市から遠ざかる『防護』も、
ここに残りつつ被曝を回避する『容認』も、どちらも悪ではない。ただ、このようなホットスポットが特別な場所ではない以上、
選択を認めるためにも除染は必要なんです。現実に行動することが大事なんです。
そうしないと、不信に陥っている人々に説明することができない」と阿部さんは話す。
 「福島市民は愚痴っぽくなっている。騙されてきたことによる不幸です」。“失われた2年8カ月”を取り戻すため、
「自分たちで動かないと安心は勝ち取れない」を合言葉に、今後も詳細な測定と除染を続けて行く。

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最終更新:2013年11月29日 18:04