平川秀幸

hirakawah(続)で、特に原発・エネルギー問題のように、311までずっと「リアリティの片側」が
トンデモ扱いされ政治・メディア・産業・専門家集団によって封印されてきた圧倒的な政治的・
認識論的不均衡がある問題では、全体を見渡したかのような客観的態度は既成の権力関係への
ナイスなアシストでしかない。 via TweetDeck
2011.07.30 16:04


302 自分:御用聞き 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 (東京都)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 13:37:36.47 ID:VVKtlCr/0 [14/21]
@hirakawah と@kikumaco の対話 欠如モデルほか
http://togetter.com/li/145435

今朝のTLの一部の感想。「原発危険派の研究者はリスクの存在ばかり喧伝して、
リスクと現代社会の維持とのバランスをどうするかという観点を欠いている」とか
「自然エネルギー派の人はそのメリットばかり語る」とか。
それぞれ言ってることは正しいし、これからの現実的な話をしていくには、
「いずれ」または「そろそろ」言説の組み立て方を変えてく必要が反原発・
自然エネルギー派に必要なのはその通り。
でも311から「まだ」3か月。 その前に何十年もそれら言説がトンデモ扱いされ
メディアに無視されてきた圧倒的な政治的不均衡のことを、ちっとは
考えてんのかとも思ってしまう。今だってこの不均衡は残ってるし、
それに抗ってする発言に対して「偏ってる」って、どんだけ既得権側に優しいわけ?


303 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(京都府)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 13:59:42.52 ID:A+y5Mpes0 [2/2]
まぁ片方から見たらそうかもしれんが
もう一方から見たら「必要だから安全です」論に偏っている認識がないね
経済性ばかりみるから
あ。そのリスクは無視していいよ。それも無視。それもこれもあれも。。となって
結局は指摘されいた箇所が原因で事故が起きました。
それで事故後に「リスクばかり指摘するのやめて!必要なんだから」と言われてもねw

304 自分:御用聞き 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 (東京都)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 14:19:48.55 ID:VVKtlCr/0 [15/21]
303
平川氏のコメントの秀逸なのは、

「何十年もそれら言説がトンデモ扱いされメディアに無視されてきた
圧倒的な政治的不均衡のことを、ちっとは考えてんのか」

「どんだけ既得権側に優しいわけ?」

という部分。



305 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(京都府)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 14:23:48.27 ID:qvsIzVoV0
politicall charged atomosphereの中で原子力は推進され反対されてきた、その結果が今の事態だとなぜわからんかね。
科学そのものが政治の対象なのに。
科学リテラシー云々だけとりあげて政治リテラシーを切り離せる訳は無い。

306 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府)[] 投稿日:2011/06/07(火) 14:41:23.93 ID:mhbWr2Oz0 [5/5]
「圧倒的な政治的不均衡のことを、ちっとは考えてんのか」
「どんだけ既得権側に優しいわけ?」

これがエア御用の特徴なんだろうね。

原発にかぎらないけど、賛成派・反対派双方の意見を
公平に取り上げるのが「中立」な態度だという幻想。
そして、とくに少数意見側に対して節度や冷静さを求める傲慢さ。
少なくとも現時点では、これらは結果的に既得権側を利することにしかならない。

ふくいちの1~4号機の姿を見れば、そんなことは明白だと思うんだけどね。


307 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(関東・甲信越)[] 投稿日:2011/06/07(火) 14:52:18.19 ID:yBDM6g0yO [12/12]
「中立」に対する幻想があるね。
社会に関わる上で自分だけが超越的立場で客観的に意見を述べられるなんてことはあり得ないのにね。
客観的に正確な数値を羅列するだけで中立で超越的立場からモノを言えることはあり得ないというのは、
東電や保安院のデータの出し方を見て嫌と言うほど思い知らされた。
数値データの選択には自ずと選択や恣意が入り込むことは避けられない。
中立を目指して当たり障りのないようにやろうとすれば既得権益層に優しいデータ収集になるのは必然だな。

308 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 14:54:13.13 ID:Bk79ZsbQ0 [5/9]
306
エア御用村は話題が政府・東電批判になると一般論に逃げるしね。
そして御用学者ついては話題にもしない。
山下擁護や班目・小佐古批判をしている菊池が良心的に見えてくるほど。


309 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(千葉県)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 14:54:57.86 ID:9OABq5wZ0 [2/4]
彼らは真空中に生きてるんだよ。
質点と摩擦のない世界。


310 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 14:57:51.33 ID:Bk79ZsbQ0 [6/9]
307
数値データの選択には自ずと選択や恣意が入り込むことは避けられない。
文系学部卒の素人から見ても当たり前の事なんだけど、なんで早野とか野尻は教授のくせにああなのかな?

311 名前: 忍法帖【Lv=9,xxxP】 (長屋)[] 投稿日:2011/06/07(火) 15:10:24.86 ID:kxQjXBTO0
自称被告のカンチョクトが「原子力村」とか言って生き残りに必死。流石市民運動家。

314 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 15:37:27.11 ID:gXnciB1W0
305

科学リテラシー云々だけとりあげて政治リテラシーを切り離せる訳は無い。

政治的中立な科学的態度はありえないというのは確かなのだけれど、「科学リテラシー」を身につけることは必要だと思うぞ。

普通のTV聴視者が、mSb とmSb/hとが同一のフリップに図示されるの見て「あれ、次元が違うけど?」と気づくとか、
CTで被ばくするのと同程度なので安全ですと説明されても
「CTと比較しているけど、確か、健康診断(スクリーニング)としてCTを利用した場合余命が長くなるというエビデンスは希薄でなかったっけ?」
と疑問に思うとかの素養は必要ではないかと。

むしろ、科学者側に「政治リテラシー」が欠けているということなのか?

333 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 18:16:06.38 ID:swt891b50 [2/9]
hirakawah 平川秀幸
今朝呟いたことにも関係するが、圧倒的な政治的不均衡のもとで、意見や疑問を公的に発し聞いてもらう機会を
奪われてきた人々が声を上げると、「それは一部の特殊な声」とか言って牽制するのは、中立的でもなんでもなくて、
単に既存の政治的不均衡を補強するだけの政治音痴なエア御用でしかない。


ついにバッサリと言ってしまったね。
まあこのお二人は同じ阪大の教員で、これまでも緊張感を持ちつつ対話を続けてきた間柄だから、
今後も粘り強くコミュニケーションはしていくだろうけど。

339 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 18:42:37.32 ID:swt891b50 [4/9]
それにしても平川先生スイッチが入ったのか、怒涛のツイートだな。

この状況じゃ無理もないか。牧野氏、押川氏、勝川氏と言った人たちが
いくら真摯な態度で情報発信しても、ソフィストみたいなエア御用が寄ってたかって潰そうとする、
というか中和化しようとするんじゃ、救われない。

349 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 19:37:24.88 ID:swt891b50 [6/9]
@hirakawah 平川秀幸
oO(さっき呟いたことの一つ(「エア御用でしかない」でしめたやつ)が、きくちさんを念頭に置いたものと一部で受け取られたようう
だが、あれは全然違う方面の話なのです。)


あらごめんなさいね。平川先生。どうやら邪推だったようだ。

oO(ここのことでもないかもしれないけど

355 自分:御用聞き 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 (東京都)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 20:07:53.17 ID:VVKtlCr/0 [19/21]
平川氏は、反原発でないがまともそうに入れればいいの?
明確に反原発を言ってはいないよね?
危機的状況下での一部科学者の情報発信を問題にしているけど。

361 返信:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/06/07(火) 20:17:24.17 ID:swt891b50 [9/9]
355
うん、彼は反原発も脱原発も留保してると思う。
本音は限りなく脱原発だろうけど。日和見と言うよりは良心的な留保かと思うので、
「反原発でないがまともそう」がベストかと思います。


700 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(愛知県)[sage] 投稿日:2011/06/30(木) 09:29:14.02 ID:L2lC/JHhP [5/10]
平川さん、すごいですね。必要十分かつ明快な解説。
同じ組織にいるあの人レベルが違いすぎる。
http://hideyukihirakawa.com/docs/pubphil20110626.pdf

754 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[sage] 投稿日:2011/06/30(木) 17:56:49.31 ID:S8tgQf4X0 [10/11]
741
市民全員が科学者であるような社会
そこまで行かなくとも近代市民社会を理想としてる感じはある。

平川さんがそういう市民社会像を持っているようなので驚いた。
http://togetter.com/li/133328
このまとめの中の議論の既視感は異常。

746
渡邊先生は「上から目線批判」には下から目線が内包されていると言うけど、
そういう気持ちになったことはあんまりないな。むしろ、この人どこ向いてしゃべってんの?という気持ち

756 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[あらら] 投稿日:2011/06/30(木) 18:12:10.46 ID:xVGchjCm0 [10/10]
754
えーっと、ざーっと読んだだけだけど、依拠してるのがアレントなので、
全員が科学者という社会像とは、ある意味対極かと思うな。
アレント的に言うと、全員が科学者になる社会ってのは意見の相違が生まれない、
つまり全体主義に他ならないので。
そこで平川先生が強調してるのは、政治参加の重要性かと。そこでは、別に知識という軸は特に入ってこない。

渡邊先生はまた、独特の文脈で話すからね。彼が伝えたいことは、基本的には物事の多様な側面
なので、つまるところは、彼の話を聞いて怒り出す人にとって有益なお話なのね。

760 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/06/30(木) 19:48:26.49 ID:DFZ3Gawj0 [2/2]
756

えーっと、ざーっと読んだだけだけど、依拠してるのがアレントなので、
全員が科学者という社会像とは、ある意味対極かと思うな。
アレント的に言うと、全員が科学者になる社会ってのは意見の相違が生まれない、
つまり全体主義に他ならないので。

日曜日の講演では、研究および研究者のポートフォリオ化という提言でした。
当然、研究者の立場・提言に違い・差異があることを前提としたものです。

アレント的に言うと、全員が科学者になる社会ってのは意見の相違が生まれない、

とはどういう主張なのでしょう?その違いが消失するの?

761 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/06/30(木) 20:02:18.24 ID:HLBwzw7d0
741>>754
市民全員が科学者であるような社会
そこまで行かなくとも近代市民社会を理想としてる感じはある。

市民の大半が、信者である社会
じゃないの?

付け加えるなら、彼らに聖職者の地位を保証する
上位の権威も存在する、ピラミッド型の社会
だろうな。

783 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(中部地方)[sage] 投稿日:2011/06/30(木) 22:21:36.87 ID:N5URyx260 [3/5]
平川氏、このスレ見てるじゃないかw
気にしてる人多い?

hirakawah平川秀幸
おぉー驚いた。某スレで、おいらが「市民全員が科学者であるような社会」を理想の市
民社会像としてるっていう指摘があった。そのあとにある訂正のツッコミ通り、おいら
はアレント推しなので、それとは対極です。基本は分業と協働。求めるのは「ユル
系市民社会」というのは拙著にも書いたとおり。

838 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[sage] 投稿日:2011/07/01(金) 02:53:22.49 ID:ulTzJCCh0 [1/7]
783
hirakawah平川秀幸
おぉー驚いた。某スレで、おいらが「市民全員が科学者であるような社会」を理想の市
民社会像としてるっていう指摘があった。そのあとにある訂正のツッコミ通り、おいら
はアレント推しなので、それとは対極です。基本は分業と協働。求めるのは「ユル
系市民社会」というのは拙著にも書いたとおり。

平川さんが画一的な市民社会を理想としているとはもちろん思ってないんですが、
togetterで議論された私民ではない市民といわゆる近代的市民の違いがわからなかったです。

自立的市民とは……あらゆる階層をつらぬいて、共同体への埋没や組織への従属から解放され、自主的な判断、公的、
社会的な関心、市民的な自発性をもち、かつそれを可能とする一定の余暇と教養をそなえた、人間類型を意味する。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51621978.html (池田御大のブログからの孫引きになったのはたまたま)

私がピンと来ないのは、日本を見る方法は市民社会や大衆社会ではなくムラや世間だろうと思うからです。
原子力ムラという語には揶揄以上のものを感じるし、エア御用の振る舞いにもムラを感じます。

841 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(dion軍)[sage] 投稿日:2011/07/01(金) 03:06:25.03 ID:DWPYa3mp0 [1/2]
838
著書では確か、町衆の力みたいなものへの期待を書いてたし、
単なる近代市民マンセーとは違うと思う。
ただ、ガバナンス論としては先行事例がどうしてもヨーロッパだから、
いわゆる近代市民社会的に語らざるをえないところはあるかな。
実際、今回の事故が起こるまで、ろくにデモもない国だったわけで、
やっとこれから日本での市民ってものが語れるようになってくんじゃないの?
個人的には、もっと途上国の事例から日本で参考に出来ることを見つけてきて欲しい。

862 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[sage] 投稿日:2011/07/01(金) 08:27:31.36 ID:ulTzJCCh0 [2/7]
841
著書では確か、町衆の力みたいなものへの期待を書いてたし、
単なる近代市民マンセーとは違うと思う。
なるほど

やっとこれから日本での市民ってものが語れるようになってくんじゃないの?
個人的には、もっと途上国の事例から日本で参考に出来ることを見つけてきて欲しい。
戦後ずっと語られてきたと思うけど、、、欧米以外の事例はあると良いね。

848 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[あらら] 投稿日:2011/07/01(金) 05:16:04.64 ID:HULX01Qf0 [3/3]
760
研究および研究者のポートフォリオ化という提言でした。

その肝心の部分、雑用が入っちゃって聞き逃してしまった。


その違いが消失するの?

ですね。「科学」というのは、基本的には答えが一つになることを理想状況とするので、
少なくとも究極的には、みんなが同じ答えなり意見なりに収斂するのがゴール。
(ここで「正しい怖がり方」みたいなものを想起するのもアリ)

こういうアレントの科学観は、いくらなんでも粗雑で乱暴すぎるとか、実際の科学の現場の
泥臭さを理解していない、という批判はいくらでも可能だと思うんだけど、まあ理念型としては
有効なんじゃないかと思う。

865 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/07/01(金) 08:41:11.56 ID:LtPFjluo0 [2/2]
848

こういうアレントの科学観は、いくらなんでも粗雑で乱暴すぎるとか、実際の科学の現場の
泥臭さを理解していない、という批判はいくらでも可能だと思うんだけど、まあ理念型としては
有効なんじゃないかと思う。

うーん。そうですか。

「科学」というのは状況に応じて有効な理論が違っているのが当たり前で、相対的な側面を内包していると思うのですが?
少なくとも、経験的に、科学者集団は一枚岩とは思えない。

この話題についていくには、やっぱ「人間の条件」読まないとだめですかね…

850 >>854

今回の事故だけでなく水俣病のような前例もあったわけで、繰り返さないためにという話としては、平川氏の講演は建設的だった思うのですが。

今回、原子力工学の研究者集団がムラと呼ばれていますが、私のまわりでも同じような状況にある分野があります。
分野として沈滞するとまず最初に優秀な人材が集まらなくなる。他方、ポスト・資金は慣性力があって分野は継続します。
すると沈滞->人材不足->沈滞のスパイラルになる。そして流動性がなく相対性を認めないムラになる。

そのような科学者側の事情の一つが起死回生の原発ルネッサンスにつながりました。
(原発利権が研究者を利用したという側面も見ないといけないとは思いますが。)
事後の評価にとどまらず、科学の進め方・あり方自身にスポンサーである市民(社会)側が参加(介入)する仕組みをつくることは解決策の一つではないかと思いました。

850 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/01(金) 06:25:20.86 ID:Fp3/EcaJ0
公共哲学シンポジウムでのH川氏の発表はもちろんすばらしく、歯の奥に物の挟まったいい方ばかりの3.11以降のこの業界界隈では出色だった。
しかし会場の聴衆からは「今は有事、戦時の疑似専制体制下」「民主主義は一時的な停止状況にある」「この現在の日本で、平川氏はいったい
なにを見ているんだろうか」「教科書通り」「よくお勉強されていて、えらいねぇ」
といったシニカルでやっかみ半分、しかし現場にいる専門家・市民からの声が公然と囁かれていたことは、聴衆の一人として記録しておきたい。

854 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(dion軍)[sage] 投稿日:2011/07/01(金) 07:40:24.61 ID:DWPYa3mp0 [2/2]
850
調査被害の話もしてたからなぁ…Twitterでは研究者として今回のことにかわる時の居心地の悪さも言ってたし、
無理矢理巻き込んでくれる人がいない限り、外側にいようってのもあるかなって思う。

そういう人も貴重だとは思うよ。現地行けば研究のネタは拾えるわけで、業績になるし。

もっと出来るんだから現地行けと思うなら、それを伝えないとダメだと思う。
それこそ、知の確かさのプロセスは一方的じゃいけないってこと。

事務局の能力次第で時間はかかるかも知れんが、質問票には応えてくれるつもりみたいだし、
それにもまだ期待してみる。

865 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/07/01(金) 08:41:11.56 ID:LtPFjluo0 [2/2]
848

こういうアレントの科学観は、いくらなんでも粗雑で乱暴すぎるとか、実際の科学の現場の
泥臭さを理解していない、という批判はいくらでも可能だと思うんだけど、まあ理念型としては
有効なんじゃないかと思う。

うーん。そうですか。

「科学」というのは状況に応じて有効な理論が違っているのが当たり前で、相対的な側面を内包していると思うのですが?
少なくとも、経験的に、科学者集団は一枚岩とは思えない。

この話題についていくには、やっぱ「人間の条件」読まないとだめですかね…

850 >>854

今回の事故だけでなく水俣病のような前例もあったわけで、繰り返さないためにという話としては、平川氏の講演は建設的だった思うのですが。

今回、原子力工学の研究者集団がムラと呼ばれていますが、私のまわりでも同じような状況にある分野があります。
分野として沈滞するとまず最初に優秀な人材が集まらなくなる。他方、ポスト・資金は慣性力があって分野は継続します。
すると沈滞->人材不足->沈滞のスパイラルになる。そして流動性がなく相対性を認めないムラになる。

そのような科学者側の事情の一つが起死回生の原発ルネッサンスにつながりました。
(原発利権が研究者を利用したという側面も見ないといけないとは思いますが。)
事後の評価にとどまらず、科学の進め方・あり方自身にスポンサーである市民(社会)側が参加(介入)する仕組みをつくることは解決策の一つではないかと思いました。

337 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[sage] 投稿日:2011/07/03(日) 08:45:43.61 ID:1kT5wTwP0 [4/11]
平川秀幸 @hirakawah
 緊急時・回復時の基準についてのICRPの考え方の基本は、居住継続を合法化し「その地に留まる権利」を
 保証するためというのが第一であり、「移住する権利」は大前提のはず。でもなんだか、「居住継続が基本で、
 移住したい人はしてもいいよ」的に論点が逆転してるように感じる言説が多い気がする。

 だから政府としては、移住に伴う負担をできるだけ減らす方策を取ることと、居住に伴う被ばくリスクを下げる
 方策の両方を進めることが求められるはずだし、その計画や実施にあたって、当事者の自己決定を優先した
 うえで交渉で決めていくことが不可欠のはず。

 また移住に伴う社会的・精神的リスクは、社会的なものについては社会的であるがゆえに社会的対応で軽減
 可能だし、精神的な部分もそれで軽減しうる。被ばくリスクを気にすることから解放されることも精神的には大
 きいし、それによって前向き志向になれれば移住のストレスも処理可能になるかもしれない。

 つまり、社会的・精神的リスクは所与ではなく社会的・心理的な対応で軽減可能。「居住し続けることの被ばく
 リスクと移住することの社会的リスクを勘案して、後者のほうが大きいから云々」というのは、当事者が自己決
 定する判断材料の提示としては正しいが、それを「客観的事実」として扱うと不味い。

349 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[sage] 投稿日:2011/07/03(日) 09:22:42.07 ID:1kT5wTwP0 [6/11]
337
自己レス
居住に伴うリスクには「福島原発が再び事故を起こすリスク」も含めなければならないが、
現在の線量と汚染度でしかリスク評価できていない。
ポスト3.11の世界でも依然として語りにくい状況。

ICRPの緊急時被ばく状況は「2,3日あるいはせいぜい1,2週間くらい」だから今の状況は想定外なのか。
基準に現実を合わせているのが現状なわけね。

388 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/03(日) 14:28:36.87 ID:Q8kclVWX0 [4/6]
337
平川秀幸 @hirakawah
 緊急時・回復時の基準についてのICRPの考え方の基本は、居住継続を合法化し「その地に留まる権利」を
 保証するためというのが第一であり、「移住する権利」は大前提のはず。でもなんだか、「居住継続が基本で、
 移住したい人はしてもいいよ」的に論点が逆転してるように感じる言説が多い気がする。


この指摘は、ものすごーく重要だなあ。

500 名前:御用聞き@旅行中(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/04(月) 05:41:50.85 ID:PfcuAkkt0 [2/2]
388
そのとおり。
そこには、「ある程度汚染があっても留まりたいという強い住民の願いに
「合理的に達成可能な除染」によって持続可能な社会が継続できる限り
応える」という住民目線の姿勢がある。

目線は常に住民側にあると考えるべきだ。


hirakawahそこは山下さんにも共通するんですが、本来は当事者が決めるべきことまで織り込んで医者が話してしまうから「説得」「受忍義務押しつけ」に聞こえてしまうように思いますね。RT @keithtok: 「避難コスト」は後付けだと思い… (cont) http://deck.ly/~3Q6lJ via TweetDeck

2011.07.09 01:13


529 自分:御用聞き(東京都)[sage] 投稿日:2011/07/10(日) 02:53:52.86 ID:PJz7EtQG0 [6/6]
何という正論。ここまで丁寧に説明できるようにならないといかんな。


平川秀幸

.@kikumaco 「誰が比較するか」という違いでもありますね。当事者が自らの判断として比較し、
その受否を決めるならいいわけです。けど、放射線撒き散らした側が比較して
「CTや煙草より小さいから受け入れろ」では、「お前が言うな」となる。
RT @kikumaco: .@hirakawah 非難の的になっているCTとの比較だろうがたばことの
比較だろうが、個人としてはやったほうがいいんですよ。
「CT並までは"自分は"容認する」という判断は充分にありうる。
そのためにはデータ提供も必要。CTを持ち出すだけで非難するのはよくなくて、比較の目的次第。


平川秀幸

あとリスク認知論的にいえば、CTは便益あり&自発的選択のリスクであるのに対し、原発事故の放射線は便益なし&強制被ばくという「リスクの意味」の違いもありますしね。RT @kikumaco: @hirakawah 「高いといっても所詮CT程度だから安全ですよ」と行政が決め付けるのはまずいだろうというのはまったくそのとおりで、それを言っていいレベルは1mSv/yとかそういうところです


529 自分:御用聞き(東京都)[sage] 投稿日:2011/07/10(日) 02:53:52.86 ID:PJz7EtQG0 [6/20]
何という正論。ここまで丁寧に説明できるようにならないといかんな。


平川秀幸

.@kikumaco 「誰が比較するか」という違いでもありますね。当事者が自らの判断として比較し、
その受否を決めるならいいわけです。けど、放射線撒き散らした側が比較して
「CTや煙草より小さいから受け入れろ」では、「お前が言うな」となる。
RT @kikumaco: .@hirakawah 非難の的になっているCTとの比較だろうがたばことの
比較だろうが、個人としてはやったほうがいいんですよ。
「CT並までは"自分は"容認する」という判断は充分にありうる。
そのためにはデータ提供も必要。CTを持ち出すだけで非難するのはよくなくて、比較の目的次第。


889 名前:地震雷火事名無し(千葉県)[] 投稿日:2011/07/21(木) 00:44:58.84 ID:1jpVHwh10
以前平川さんが紹介されていた統計学者にしてマルクス経済学者の竹内啓氏の論文をどうぞ。
社会技術の観点から見たrisk論の一問題



890 名前:地震雷火事名無し(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/21(木) 00:47:44.80 ID:4JgGmSmt0 [2/2]
平川さんの同僚の@yagiyagiosakaさんのこのツイートも同じこと言ってる。

@yagiyagiosaka ekou_yagi
@hirakawah @M_shirabe 今回の一連の件は、対策がたてられない→ネガティブ情報が出しにくい→問題がある
コミュニケーションということなので、根本的にはどう対策をたてるかの方の問題だと思っています。続)
6月10日

@yagiyagiosaka ekou_yagi
もちろん対策がたてられないからネガティブ情報がでないということ自体が、リスコミとして大きな問題なのだけど、
コミュニケーションの観点(のみ)でリコメンドしても、なかなか動いてもらえない。
6月10日

@yagiyagiosaka ekou_yagi
リスクコミュニケーションが独立して成果をあげることは難しく(もちろん「すべからず」事項はある)、その結果が、
対策としてフィードバックされる枠組みが不可欠なのだけど、これが平時ですらなかなかうまくいっていない。
コミュニケーションの問題でしょ、で片付けられることが多々。
6月10日

607 名前:地震雷火事名無し(愛知県)[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 08:17:00.88 ID:tJ+eELKB0
6/30の朝日で平川さんが書いてた論壇時評は、まだこのスレで出てなかったのね。
「知のポートフォリオ」って考え方は使えると思うので紹介。(ほぼ全文引用だ……ごめんなさい)

――――――――――――――――――――――――――――――
あすを探る・科学 平川秀幸 異なる意見集め磨く信頼性

(前略)
 放射能汚染に対する不安が広がり、農作物の買い控えによる経済被害も生じる中、
「正確な知識や情報に基づいて正しく恐れましょう」という掛け声をよく見聞きす
る。しかしこの3カ月半の原発事故をめぐる報道で露(あら)わになっているのは、
何が正しいかが流動的で、政治的・経済的な利害関係や意図に対する専門家やメ
ディアの「中立性」も疑わしくなっているということではないか。

 たとえば原発自体の状態や、工程表などに示された事故収束に向けた見通しは
次々と修正され続け、専門家によって諸説ある。累積100㍉シーベルト以下の低線量
被曝(ひばく)のリスクについても知見の不確実性が高く、これまた諸説入り乱れ
ている。また反原発系の研究者や技術者が長年指摘してきたことが正しかったと
事故で明らかになり、大手メディアでも取り上げられるようになったことは、3月
11日以前に広く信じられていた「正しさ」がいわば世界の片側しか見ないものだっ
たこと、そしてメディアもこの偏りに加担していたということを明らかにしている。

 こうした事態であるにもかかわらず、「正確な知識を」「正しく恐れましょう」
と繰り返すことは、政府・専門家・メディアに対する信用不安をさらに広げかねな
い。正しいと確定していることについては正しくわかりやすく報道するのは当然と
して、知識・情報が不確定で政治的バイアスも疑われる状況では「知のポートフォ
リオ」という発想が重要だ。

 ポートフォリオとは、株式安全性や収益性を高めるための分散投資の組み合わせ
のことだ。情報収集にあてはめれぱ、論調が異なる複数の雑誌や新聞の情報を見比
べることに該当する。その際重要なのは、どの知識・情報も多かれ少なかれ不確実
性やパイアスを含み、誤っている可能性(リスク)があるということだ。これを大前
提にしたうえで比較的信頼できる知識・情報を多く集め、複数の可能性を考慮して
誤りのリスクをヘッジ(低減)し、正しさの相揚観を形成するのである。

 政府の揚合には審議会など専門的助言組織において、意見や専門分野、社会的
立揚の異なる専門家をバランスよく集め、専門知のポートフォリオを組成すること
が重要だ。ちなみに全米科学アカデミーでは「偏りのない専門家などいない」こと
を前提に、個々の専門家に中立性を求めるのではなく、様々なバイアスのある人を
集め、審議会全体としてバランスを取るようにしているという。

 そうした政府のポートフォリオが有効に機能するためにも重要なのは、社会全体
としてのポートフォリオを組成することだ。一つには政府の助言組織の審議過程と
そこで利用される資料・データを広く社会に公開し、政府外部の多様な専門家(関連
する知識がある職業人・生活者も含む)の知見や意見を集約し、専門家同士の相互
批判を通じて、より信頼できる知見を引き出す工夫が必要だ。

 NPOなど、市民の不安や期待に寄り添いながら活動する市民社会組織の専門的な
調査・分析・政策提言の力を高めることも不可欠だろう。そうした「対抗的専門性」
を、寄付などを通じて、われわれ市民自身が育て鍛え上げるとともに、政府・自治
体なども、時に対立し時に協働する好敵手として、NPOなどの調査分析活動や、それ
をサポートする大学などの研究者との協働を支援していくことが重要だ。

 そうやって社会全体で知のポートフォリオを豊かにすることは、今の危機には間に
合わずとも、今後の原子力やエネルギー政策を考えるうえでますます重要になるに
違いない。
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608 名前:地震雷火事名無し(京都府)[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 08:41:22.00 ID:WkVp3BuX0
607
平川さんは徹底的に「一人一人主義」(一人一人の心がけが大事です)を越えようとするんだな。
個人に「勉強して正しく恐がれ」という立場とは、根底で違う。


389 名前:地震雷火事名無し(東日本)[sage] 投稿日:2011/12/22(木) 16:36:22.18 ID:KQtv+2nn0 [2/3]
世界と結ぶか 3・11後の市民 平川秀幸 あすを探る(科学)朝日新聞2011年12月22日 東京朝刊17面

 3・11以降、原子力をめぐって人々のあいだに変化がおきている。
 「民主、自主、公開」という三原則を掲げながらも、わが国の原子力の政策決定はいわゆる原子力ムラに閉じた「非民主的」なものであり続けてきた。
原発の利用拡大は、経済のためであれ地球温暖化対策のためであれ「国策」として、立地地域のコミュニティーに推進・反対という分断を生みつつ
推し進められてきた。

 そもそも核兵器転用可能な物質を扱い、歴史的にも軍事と結びついた技術であることからも、原子力は民生用の発電であっても、公開性が制限される
点で民主主義と対立的だ。また今回明らかになったように一度過酷事故が起きれば被害範囲が広大となり、避難が後手に回る、もしくは避難させることが
できない地域が出る、十分な損害賠償ができないなどの不正義も生じる。そしてこれまでの「民意」は、都市の電力供給源を地方にリスクごと押し付ける
ことも含め、大多数は無関心によって、このような原子力にまつわる非民主性を受け入れてきたのだった。

 しかし3・11以降は、多くの人が無関心ではいられなくなっている。たとえば3月以来、全国各地で続けられている脱原発デモ。6月、9月に東京で行われた
複数のデモの参加者を対象にした調査によれば、それぞれ48%、35%が「デモ参加は初めて」という運動未経験者だった(平林祐子都留文科大准教授による)。
 放射線被曝の問題では、声をあげるだけでなく具体的な成果を目指した市民の活動が各地に広がっている。福島県や首都圏の高線量地域では、小さな
子供のいる家庭(とくに母親)を中心としたグループが、自ら放射線測定器を購入し、放射線について勉強会をしたり、専門家の指導を受けたりしながら、
生活環境の放射線測定や除染活動を行ったり、子供の通う学校や地域行政に対して働きかけたりしている。食品の測定を行う市民放射能測定所などの
NPOも設立されている。

 また福島県などから避難・移住する人々の生活支援を、受け入れ体制のある全国の自治体と協力しつつ進めている団体もある。同じ福島県内でもそれほど
線量が高くない地域では、除染やその他の被曝対策を行いながら暮らし続けるための活動を始めたグループもある。

 これらの動きは、非民主的であり続けてきた原子力政策や事故に伴う被曝対策に関わる意思決定に、私たちが参与する権利としての「市民権」と、
自ら問題解決のために行動する能力を確立しようとするものだといえる。その範囲は家庭内から学校、地域社会、自治体、国に至るまで重層的に広がっているし、
原子力問題に限らず、震災復興全体の動きにもつらなるものであるに違いない。

 もちろん市民権の確立には、幾重にも困難がつきまとう。意思決定への参与を行い、効果的なものにするには、なんらかの形で住民参加・市民参加の制度が
必要であり、そのためには政府や自治体の側も一歩踏み出して、意見を聞き協働する相手として市民を信頼する必要がある。

 また危険か安全か、脱原発か否かの分断が生じてしまっている市民同士、家庭内でも、対立を恐れずに相手の意見を聞くこと、話し合うこと、その痛みを
引き受ける勇気が必要だろう。民主主義の根幹ともいえるこのことが、今最も難しく、最も必要なことかもしれない。

 振り返ればこの一年、世界に共通するキーワードの一つは間違いなく「民主化」だった。ジャスミン革命に始まるアラブの春、米国ウォール街占拠に端を発した
オキュパイ運動。前者は独裁的な政府、後者は金融資本主義が支配する市場に対し、自分たちの運命を左右する意思決定のテーブルから排除された「99%」の
人々が声をあげ行動したものだ。日本の原子力と放射線をめぐる市民の動きも、これらの世界的なうねりにつらなることができるだろうか。
(ひらかわ・ひでゆき 1964年生まれ。大阪大学准教授・科学技術社会論)

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最終更新:2012年12月10日 19:35