鷲田清一

968 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 20:44:26.77 ID:nXDep/2X0 [10/10]
東京新聞 8/19 夕刊 "プロフェッショナル" の皆さん向け寄稿。
"一流紙" 朝日新聞・日経新聞しか読まない学者さんにもぜひ読んでいただきたいのですが、電子化されていないようです。

「原発議論 混沌の理由」
鷲田清一氏 (わしだ・きよかず=哲学者、大阪大学学長)

中見出し:
複合的に視野を広げ
「賢者」の責務果たせ

■増殖する文脈
(前半略)
このゼミナールのことを思い出したのは、原発事故処理をめぐる議論の渦中にいま
わたしたちがいるからである。
安全管理の問題、研究・開発をめぐる産官学のもたれあいの構造、
代替のエネルギ―源の問題、それにともなう環境保護の問題、事故処理にあたる内外企業の利権、
壊滅的な打撃を受けた地元産業の支援、放射能飛散の国際的な国家責任、
そして原発輸出の是非。問題はまさに複合的である。安全性が
最重要問題であるにしても、そこへの着地の仕方は一筋縄ではゆかないものである。
(続く)

8 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 20:48:19.20 ID:nXDep/2X0 [1/2]
前スレ>>968 鷲田清一 阪大学長 「原発議論 混沌の理由」 の続き

■研究者の「美徳」
ところが機械工学など隣接分野の研究者たちの発言の多くは、先の例でいう「疫学」的
検知に終始している。つまり安全性をめぐる装置の問題である。
そして産官学の「もたれあい」の構造について問えば、「あそこは特殊なムラだから」と
同じ答えが返ってくる。

私割り当てそれが問題だとおもう。「原子力工学」の分野(ちなみに「原子力工学会」という
研究者コミュニティーは存在しない)が「特殊なムラ」であることは、他の理工学研究者たちも
よく知っていたのである。知っているのに、他の専門領域だからと、口を挟んでこなかったのである。

じぶんの知的努力を1つの専門領域に限り、専門外の領域に対して発言するのは越権として
水らかに禁ずる。裏返していえば、他の領域からの意見を専門外のものとして、受け容れようと
しない。そして複合的な判断が必要なことがらについては発言を慎むどころかそれを
「非科学的」と斥ける。これがいつからか研究者の「美徳」になっていた。

専門家は「賢者」でもあるべく求められているとおもう。専門的見地から確かに言えることを述べつつ、
同時に複合的な問題の全体につねに視野を広げておかなければならない。
そのうえで専門外のひとたちとともにある最終判断を下し、その判断にもとづいて
専門家としてのみずからの責務をさらにはたしてゆかなければならない。
プロフェショナルの矜持とはそういうものだとおもう。

以上で引用終わり。タイポがあったらすみません。
ひらがな表記を多用される鷲田先生の文体は独特の味がありますね。

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最終更新:2012年12月11日 13:11