山田孝男2




風知草:自分のゴミは自分で=山田孝男 2011年09月05日 

 民主党の新しい代表候補たちが東京の日本記者クラブで共同会見に臨んだ8月27日午後、
まだ首相の座にあった菅直人は福島県庁を訪れ、佐藤雄平知事に頭を下げていた。
 首相「放射性物質に汚染された廃棄物や土壌の中間貯蔵施設を、県内に整備することをお願いせざるを得ません」
 知事「何ですか、それ。突然の話じゃないですか」
 芝居がかった説得交渉を観察した福島商工会議所の瀬谷俊雄会頭(東邦銀行相談役)が、記者懇談会でこう言った。
「(原発の)受益者は東京だ。お台場にでも造ったらどうか」(朝日新聞・31日朝刊)
 首相交代劇の陰でかすんでしまったが、以上の逸話の背景には、脱原発派も原発推進派も向き合うべき
深刻な問題が見え隠れしている。核のゴミを、とりあえずどこに収納するのかという深刻な問題が。

 使用済み核燃料が全国の原発に大量に蓄積されている。平均で収容能力の64%。
福島や新潟などの古い原発では90%に迫る(数字は09年。原子力資料情報室の調査に基づく)。
 このゴミはリサイクルで新燃料に化けるはずだった(05年原子力政策大綱)。が、再処理工場も高速増殖炉も展望ゼロ。
最終処分場はない。そこで中間貯蔵施設だ。新技術の確立まで数十年、時間をかせぐ仮置き場という含みがある。

 菅が福島へ飛んだのは、新首相の始動を待っていては、汚染土やがれきの処理が遅れると踏んだからだ。
菅は「県内の汚染物質にかぎる」「中間施設を最終処分場にはしない」の2点を知事に約束した。
 新首相には二つの選択肢がある。一つは、時間をかけて既成事実を積み上げ、被災地に核のゴミを押しつける。
もう一つは、福島だけでなく各都道府県に使用済み燃料の引き取り・保管義務を負わせる方法だ。
 筆者の手元に「原子力発電のバックエンド問題について」と題する23ページの文書がある。
バックエンドとは核燃料サイクルの後段の工程。要約すれば「リサイクルは無理。核のゴミは全都道府県で分担貯蔵。
割当量を都道府県間で取引してもいい」という提案である。
 04年春、霞が関で「19兆円の請求書」という25ページの文書が話題になった。経済産業省の非主流派による
核燃料サイクル批判だった。19兆円は、その時点で計算した不毛のバックエンド予算の総額。手元の文書はその続編とも読める。
 被災地に汚染物質の仮置き場をつくること自体ははやむを得ない。福島の使用済み燃料は他に移せない。
しかし、その現実につけ込み、被災地を全国の核のゴミ捨て場にするという選択はフェアでない。
 経済が成長し、財政に余裕のある時代は補償金による矛盾の解決が常識だった。
いまでもある程度そうだが、もはや大盤振る舞いは無理だ。
 政府と福島県の交渉経過を調べていて印象に残った問答がある。
「使用済み燃料はいつ、どうするのか」という県議の質問に、資源エネルギー庁の課長が答えた。
「それは各事業者(電力会社)が考えることです」(09年11月26日、同県議会エネルギー協議会議事録)
 これが経産省主流派の感覚らしい。新首相はバックエンドについて何も語っていない。
主流派の無責任、硬直、退廃を正し、流れを変えられるか。混乱を恐れて旧弊に安住するか。ドロくさい挑戦を望む。(敬称略)


風知草:こっちへ来てみろよ=山田孝男 2011年10月10日 

 秋深し。鉄道の節電ダイヤも電力浪費の反省も消えて浮かれ始めた首都圏と違い、福島は依然、戦場である。
 福島市の渡利(わたり)地区は「特定避難勧奨地点」に指定されないというベタ記事が、
社会面の片隅に載った(毎日新聞7日付朝刊=東京最終版)。
 翌8日、渡利小学校で開かれた住民説明会では「なぜ渡利を外す」「子どもには危険な地域だ」などの声が相次ぎ、
国の担当者が「まだ決めたわけではない」と釈明に追われた(同9日朝刊=福島版)。
 そんな騒ぎの週末、渡利の住人、丹治(たんじ)博志(63)智恵子(64)夫妻を訪ね、放射能との闘い、除染の苦労を聞いた。
 この地でカフェを営む夫妻は週に1度、長袖の作業着と住友スリーエム社製の防塵(ぼうじん)マスクをつけ、
米国製のガイガーカウンターと中国製の線量計で高線量のポイントを探す。
 雨どいの下で針が振れることが多く、堆積(たいせき)した土やホコリを剥ぎ取る。屋根に上ってほうきで掃き、
雨どいに流れ込んだゴミや枯れ葉を取り除く。震災前は生やすにまかせた庭の緑を努めて刈り込む……。

 「行政に期待したいけど、指示待ちではダメだと考えるようになった。人の話を聞いて、研究して、自分で決断する。
きれいになるまで100年かかるとぼくは思う。除染するというより、除染の可能性を探っているという現状ですが、
1%でも効果はある、と信じてやっているわけです」(博志)
 私は福島に勤務したことがあり、夫妻と行き来があった。とはいえ17年も前のことで、
震災後の夫妻の消息は新刊「クロニクルFUKUSHIMA」(青土社)で知った。
 この本は、原発震災をめぐる講演と丹治ファミリーを含む7編のインタビューないし座談の記録から成る。
講師兼インタビュアーはギタリストで作曲家の大友良英(52)。
 国内外の映画やテレビドラマのテーマ曲も手がけて人気の大友は、少年時代を渡利で過ごした。
そこに根差す思い入れが全編を貫いている。
 丹治家は離散していた。3月14日、原発爆発で放射性物質が拡散する寸前、
長男の嫁と孫を名古屋へ送り出した迫真の回想は同書に譲ろう。

 震災直後、初動調査を禁じた厚生労働省所管の研究所に辞表をたたきつけ、
即刻、現地入りした木村真三・現独協医大准教授(44)=放射線衛生学。「放射能が降っています。静かな夜です」
というツイッターの書き込みで大反響を巻き起こした福島市在住の詩人、和合(わごう)亮一(43)=中原中也賞……。
 連続インタビューの矛先は東京へ向いている。核心のメッセージは「こっちへ来て現実を見てみろよ」(大友)だ。
 渡利が注目を浴びたのは、保育園の庭で、国の校庭利用基準値の24倍の放射線量を計測(5月)してからだ。
先週は「土壌1キロに30万ベクレルのセシウム」と報じられた。これも国の規制値を大幅に超える。

 丹治家のカフェ「風と木(ふうとぼく)」の店先の柿が色づいている。例年にない豊作だが、
セシウムが1キロあたり176ベクレル。卓上の花びんを満たす淡紫色のノコンギクは山形県米沢市で採ってきた。
子どもの避難、除染、食料放射能値を測定するベクレルカウンターの設置が急務だ。
 それはそれ、と言わんばかりに東京では経済成長と原発輸出が論じられている。間違っていると私は思う。(敬称略)


風知草:除染の現実と模索=山田孝男 2011年10月17日 

 木村真三(44)は原発被災地の「赤ひげ」である。福島の高線量地域に住んで住民の相談に乗り、除染の先頭に立つ。
 独協医大准教授(放射線衛生学、地球環境科学)。厚生労働省所管法人の研究者だったが、原発禍の初動調査を制止され、
即刻辞任。3月15日から現地に入り浸り、実地調査にもとづいて放射能汚染地図を作製、住民支援に駆け回ってきた。
 その活躍はNHK教育テレビのETV特集で3回にわたって紹介され、大反響を巻き起こした。知る人ぞ知る。
 その木村にして「除染は困難を極める」と言う。
 「特別な道具を使わず、個人で家屋をまる2日間、必死で除染しても、放射線量は半分程度にしか下がらない」
 「ホットエリア(局部的に線量の高い地域)では、一つの家を除染するのに、半径100メートルを除染しなければ
(自然状態に近い)0・1マイクロシーベルト(毎時)まで下げられない。現実には不可能に近いと思います」
 首相が所信表明で「全力で取り組む」決意を示し、原発事故担当相が「経済性は度外視してでもやる」とフォローした除染の、
それが現実だ。

 現実を知るには、まず放射線量を測らなければならない。先日、福島市を往復した際、
出発時に「0」マイクロシーベルトだった筆者の線量計の目盛りが、1泊して帰宅すると「2」マイクロシーベルト。
さらに3日間、自室に放置したら「6」マイクロシーベルトへハネ上がった。
 「東京も高いですね」と高名な専門家に尋ねたら、こんなご教示をいただいた。
「自然放射線が毎時0・05マイクロシーベルトあるから当たり前。福島滞在24時間で2マイクロシーベルトはふつうです」
 筆者が携行したのは、身につけて外部被ばくの蓄積を見る線量計。大気中の瞬間線量を測る測定器とは機能が違う。
国内製造大手・日立アロカメディカル社によれば、売れ筋の線量計が約3万円。
測定器だと24・5万円。ともに品薄で、測定器は数カ月待ちだという。
 「震災前は年に数百個だったものが、今は毎月400個から500個出ます」(同社)。
全国、とくに関東圏からの問い合わせが多いそうだ。
 さもありなん。近ごろ首都圏は高線量スポットと除染の話題でもちきりだから。
 赤ひげ・木村はこう言っている。「むやみにビビる必要はないが、正しい防御は必要。正しく怖がるべきです」

 この夏、京都五山の送り火から、セシウムのついた陸前高田の松材が締め出される騒ぎがあった。
これなどビビり過ぎの典型だと木村は言う。
 原発震災直後、濃密な放射能雲が列島をおおった。それ以前の核実験やチェルノブイリも含め、日本列島は既に汚染されている。
その濃度に比べれば、松の中のセシウムなど何十万分の1に過ぎない……。
 とはいえ、過度の被ばくが遺伝子を傷つけ、種の保存を脅かすという基本は変わらない。
食品からの内部被ばくの制御も課題だ。正しい防御とは、正しい除染とは何か−−。

 その答えを求め、木村はいま、ウクライナ・ジトーミル州のナロジチ地区に入っている。
通算15回目になるチェルノブイリ汚染地域の調査だ。
 脱原発か、原発維持かを問わず、人類は、既に飛散した放射性物質と共存していかなければならない。
それは決意表明や予算づけだけでは解決しえない難問であることを、理解しなければなるまい。(敬称略)


風知草:人間を見ているか=山田孝男 2011年10月24日 

 赤ひげがチェルノブイリから帰ってきた。
先週、当コラムでとりあげた木村真三(44)=現独協医大准教授、放射線衛生学専攻=である。
 震災後、福島に飛び込んで線量計測のかたわら、住民の相談に乗り、疑問に答え、除染を指導した。
「赤ひげ診療譚」(山本周五郎)の町医者のようだと評判になった。
 活動の合間を縫い、12年来続けている現地調査のため、ウクライナのナロージチ地区へ赴いた。
以下は帰国(21日)直後に聞いた話−−。

 チェルノブイリ行きを最初に思い立ったのは(福島に入ったのも同じ理由だが)、
研究室の中でいくら考えても始まらないと思ったからだ。
 研究者が自分の経験や世界観に見合った数式やデータを選べば、結論はお気に召すまま。それで研究か。
他人が考案した数式に孫引きのデータを当てはめてコンピューターを動かす。何の意味があるか。
 自分の目できちんと見て感じて、その中に潜む問題点を凝視しない限り、真実は見えてこない−−。
この確信が、木村の実践の根底にある。

 資金は国の科学研究費。国の研究所を辞めた身だが、過去の実績があり、移籍先を通じて給付が続いている。
 そこでナロージチだ。中心部は原発の南西60キロ。人口3万人のうち2万人は避難した。
事故から25年。さまざまな事情で残った人々に何が起きたか。木村はこう証言する。
 「以前から聞き取り調査をやっているんですが、地区中央病院の医師の話も含めて全体の傾向をみると、
7割くらいの人が、明らかに(事故の起きた86年以降)自分の体に障害が出ていると感じています」
 子どもは免疫低下、食道炎や胃炎など。大人は心疾患やがんだ。異常はないという人々もいた。
が、ことさらに問題なしと言い張る人物は、村の行政に絡む立場であることが多かったと木村は振り返る。

 無医村が多く、線量計測も除染も行き届かぬまま、住民は長年、キノコやベリー類を多食した。
福島と単純に比較できないが、気になる話ではある。
家族や縁者が行政や東京電力に近い人ほどコトを荒立てまいとする傾向は素朴な人情であり、そこは万国共通だ。
 木村の話を聞いて筆者が最も感じ入ったのは、ただ研究のためでなく、イデオロギーや経済のためでもなく、
生身の人間を放射線から守ろうという使命感の明快さである。

 被災地支援行政の現状をどう見るか。そう聞くと、木村はよどみなく答えた。
 「下部組織である大学や研究機関をあまりに信頼しきっていますが、彼ら(主流の研究者たち)は表面しか見ていない。
個々の人間を観察し、個々の営みを理解しようとしない。そういう報告をうのみにするから民意がつかめない。
民意とは何かと問いたいですよ」
 かく言うものの、木村は行政批判に深入りしない。週明けには福島に戻り、活動再開だ。
放射線を「正しく怖がる」ための情報が錯綜(さくそう)している。何が問題か。何が必要か。
自分の目と耳と足で確かめ、信頼する各分野のエキスパートたちと築いたネットワークを頼りつつ、答えを探していく。(敬称略)。


風知草:元のモクアミを憂う=山田孝男 2011年11月07日 

 あれほどの災害があり、ああまで批判された以上、原子力開発の予算要求が減ると思う人はお人よしである。
 来年(2012年)度原子力関係予算の概算要求を貫くキーワードは「現状維持」だ。
根底に流れる精神は「関係者の生活が第一」である。そんな政治でいいはずがない。
 9月末に出そろった概算要求の資料を眺めて気がついた。
実績ゼロ、お先真っ暗な高速増殖原型炉「もんじゅ」の関連経費が、今年度(実績)とピッタリ同じ215億円。
もんじゅ以上に先が見えない「核融合」の経費が、今年度の2倍の332億円へ伸びている。
 これらを含め、復旧・復興関連を除く原子力関係予算要求総額は、一般会計と特別会計を合わせ、
今年度並みの約4400億円になった。

 もんじゅは、原発から出る使用済み核燃料を再利用して発電する「夢の原子炉」だ。福井県敦賀(つるが)市にある。
エネルギー自給の切り札として1967年立案。今なお研究段階だから文部科学省の所管である。
 80年代に実用化のはずが、ずるずる延び、最近は「2050年」メドと言っている。実験開始直後の95年、火災で休止。
昨年、14年ぶりに動かしたが、事故で休止。つぎ込まれた国費が延べ1兆円。原発震災で見直しかと思いきや、
「例年並みでいきましょう」というのが予算要求官庁の感覚だ。
 もんじゅの概算要求を細かく見ると、「研究開発費」を11%カットする一方、
出力試験再開と安全対策に備えるために「対応調整費」を新設、合わせて今年度並みとした。
 総額維持に腐心する理由は、はっきりしている。
 もんじゅは核燃料サイクル構想の柱の一つだ。廃炉・撤退なら半世紀の国策の誤りを認めることになり、
行政のメンツがたたない。国策と信じて巨額の投資を重ねてきた電力会社が行政訴訟を起こしかねない。
立地地域周辺の雇用、経済に大打撃を与えるのみならず、全国の原発に影響を及ぼす−−。

 それでもなんでも、政策の徹底的な洗い直しを迫られるほどの原発震災だったはずだが、そうなっていない。
 原子力開発関連の要求で目立って増えたのが核融合だ。思い切った判断かと思ったら、
日本も参加している国際熱核融合実験炉の計画で初めから決まっている額だという。
 ウランやプルトニウムの核分裂反応ではなく、水素やヘリウムの核融合反応を用いてエネルギーをつくる。
それが核融合だが、これこそ雲をつかむような現状。ノーベル物理学賞・小柴昌俊東大特別栄誉教授(85)の批判を引く。
「原発よりエネルギーの高い中性子が出てくる。(炉壁の耐性から見て)とんでもない話だ」(毎日新聞東京本社版7月1日夕刊)
 そういえば、野田3原則というのがあった。
「余計なことは言わない」「派手なことをしない」「突出しない」(毎日新聞9月26日朝刊)

 薬が効きすぎたか、政策官庁の主流の官僚に流れを変えようという意欲がない。器量不足の政治主導でヤケドした民主党閣僚は、
あてどなき官僚依存へ逃げ込んでいる。
 来年度予算はまだ要求段階であり、年末にかけて財務省がナタをふるうだろう。節約も、改革も、財務省次第。
何ごとも財務省頼みという政権の本質がここにも表れている。こんな政治でいいはずがない。


風知草:曲がり角からどこへ?=山田孝男 2011年11月28日

 高速増殖原型炉もんじゅを視察した細野豪志・原発事故担当相(40)と記者団の間で、こんな問答があった。
 −−感想を。
 「ひとつの曲がり角にきているのかなと……」
 −−廃炉も含めて検討すべきだと考えますか。
 「……そういったものも含めて検討していくべきだと思います……」(26日)
 これが、細野「廃炉検討」発言の核心である。
 細野が何かものすごいことを言ったのかというと、そうではないと私は思う。
 もんじゅの存廃をめぐる攻防は、マスコミの表面でこそ廃炉派が優勢だが、政策の決定権は推進派が握っている。
推進派は騒がない。その沈黙には「言うだけ言わせておけ」という含みがある。微妙な情勢の中で細野は明言を避けた。
それが真相だと筆者は考える。

 何かものすごいことが決まったかと見えて、実はそれほどでもないのが、野田佳彦首相肝煎りの「提言型政策仕分け」である。
日曜(20日)返上で激論の末、もんじゅを「抜本的に見直す」ことにした。
 仕分け人は、もんじゅ関連の来年度予算概算要求215億円のうち、22億円のムダを指摘した。
だが、もんじゅは必要かという基本の議論を避けているから、残る193億円に切り込めない。
「抜本的に見直す」という宣言は「後はよろしくお願いする」という仕分け人の希望の表明に過ぎない。
 ではなぜ、政策仕分けは基本的な議論を避けたのか。
原子力政策の基本を検討する原子力委員会(近藤駿介委員長)に遠慮したからだろう。
 もっと言えば、仕分けを所管する行政刷新会議に、原子力委の上部組織であるエネルギー・環境会議
(議長・古川元久国家戦略担当相、関係閣僚と民主党幹部で構成)がクギを刺したのではないか。
「原発の賛否に踏み込むな」と。「来年夏、新原子力政策大綱がまとまる。それまで騒ぐな」と。

 報道の表面を見ていると、もんじゅは廃炉へ向かって進んでいるように見えるが、実態は違う。残念ながら、それが現実だ。
構想44年、延べ1兆円の国費を投じてなお、もんじゅは動かない。動く見通しもない。
だからこそ、震災直後に研究開発中止の声が高まったが、今は「ムダを省いて開発を」という論者が巻き返している。
 原発から出る核のゴミ(使用済み核燃料)を再処理してプルトニウムを取り出し、それを燃やすのが高速増殖炉だ。
この循環(核燃料サイクル)が成立しない限り、ゴミは原発にたまり続ける。現に昨年9月時点で全原発の
使用済み燃料貯蔵プールの容量2万420トンに対し、既に66%にあたる1万3530トンが蓄積している。
 このデータは今年5月、筋金入りの脱・原発、脱・核燃サイクル論者である自民党の河野太郎衆院議員(48)が
経済産業省に請求して明るみに出た。東京電力・福島第1と第2、中部電力・浜岡の各原発停止を前提に試算しても、
あと6年弱で使用済み燃料プールは満杯だと河野は指摘している。
 原発からあふれ出ようとしている膨大な核のゴミをどうするのか。
夢の中にとどまって現実から目をそらすという選択肢はない。夢から覚めて繁栄の後始末に立ち向かうしかない。
首相も、原発事故担当相も、曲がり角をしっかり曲がっていただきたい。(敬称略)


風知草:プルトニウムの反乱=山田孝男 2011年12月05日

 なんで原発のことばかり書くのかと心配してくださる向きもあるが、
これからの日本と世界を左右する決定的なテーマだと思うからである。
 原発の今後を考えるうえで示唆に富む報道が続いている。本紙(2日朝刊)によれば、
02年、当時の経済産業省事務次官と東京電力の会長・社長が、「核燃料再処理事業から撤退」で合意に近づいていた。
 核燃料再処理とは、原発から出る使用済み燃料に化学処理を施し、再利用可能なウランやプルトニウムを取り出すことをいう。
これがうまくいかない。うまくいく見通しもない。撤退協議は自然だった。
結局、立ち消えになった(=東電のトラブル隠し発覚で首脳陣が交代し、途絶)とはいえ、
この逸話は、原発政策転換が夢物語ではないことを示している。

 同じ日の本紙夕刊(統合版地域は3日朝刊)に、イギリスが核燃料再処理で蓄積したプルトニウムをもてあまし、
一部を地下処分場に捨てる予定だという記事が出ていた。このニュースはさらに重要だ。
 プルトニウムは原子炉のウラン燃焼過程で生まれる。1グラムに石油1キロリットル分のエネルギーを秘める。原爆の材料にも、
原発の燃料にもなる。イギリスはせっせと蓄えてきたが、平和利用の柱と目されていた高速増殖炉の開発に失敗した。
 そこでMOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物)燃料にして原発で燃やすプルサーマル発電をめざしたが、
MOXがつくれない(日本も同じ。現在、仏アレバ社だけが生産しているが、品質の評価は定まらない)。
そうこうするうちに、イギリスは世界最大の「余剰(=利用先のない)プルトニウム」保有国になってしまった。
 イギリスは困った。プルトニウムは厳重に保管しなければならない。カネがかかるが、カネはない。
とはいえ、ズサン管理でテロリストの手に渡ったら困る。そこで一部を、2040年操業開始予定の地下処分場に埋めることにした。
 一部といっても、原爆を数十発から数百発つくれる量だ。MOX開発は引き続きイバラの道だから、
埋める量が増える可能性がある。しかもイギリスは今後10年かけ、核燃料の再処理をやめる。
この政策の背景には、もはやプルトニウムは希望ではなく、厄介者だという根本的な認識の変化がある。
これが、ロンドンから届いた会川晴之記者の特報のミソだ。

 イギリスは高速増殖炉開発を既にやめ、核燃料再処理もやめる。
計画段階とはいえ、プルトニウムを含む核廃棄物の処分場のメドもついた。
 日本は処分場建設の見込みが立たない。
だが、だから、もんじゅや核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)を動かせというのは本末転倒だ。 
プルトニウムは安全保障にも直結する。イギリスは核保有国だが、日本の場合、プルトニウムから離れて潜在能力を失えば、
独立を脅かされないか。重要な論点だが、これさえ、プルトニウムの害毒を軽視する理由にはならないと思う。
 これらの問題について、エネルギー担当閣僚である枝野幸男経産相、細野豪志原発事故担当相や、
仙谷由人・民主党政調会長代行らが、専門家から意見聴取を続けている。
 国内はもちろん、対外交渉においても、原発依存の繁栄の夢を説くだけでなく、繁栄の後始末を引き受け、
乗り越える覚悟が問われている。


風知草:辰年に待つ波乱=山田孝男 2011年12月26日

 福島原発震災に翻弄(ほんろう)され続けた今年、専門家に話を聞いてまわった中でも印象深いひとりが
京大原子炉実験所の小出裕章助教(62)である。
 世評は刻々変わった。「異端者」から「先覚者」を経て「反原発派の一論客」へ−−。
小出の評判の変遷は、原発推進と脱原発の間でフラつく日本の現実を映し出している。

 年の瀬に小出を思い出したのにはワケがある。先週、旧知の政府関係者が、新エネルギー政策の決定過程に
「小出さんみたいな人を巻き込めないか」と漏らしたのである。小出に確かめると、こう答えた。
 「私は政治には絶望していましてね。今のような政治ではどんな委員会をつくったところで何も変わらない。
私は受けません。1対1の公開討論ならどこへでも行きますが」
 実際、政府の委員会、調査会に集う有識者は3・11以前からかかわってきた原発推進派が多い。
新たに脱原発派も招かれて話題になったとはいえ、多勢に無勢。まして事務局は経済産業省、文部科学省の官僚と
電力会社からの出向者が握る。政府関係者が「小出さんも入ってくれれば」と気をもむほど人選は偏っているのである。

 いま政府は、東京電力の経営刷新と、電力システム全体の改革という両面からエネルギー政策の見直しを進めている。
東電は、電力安定供給を理由として国が株式の3分の2以上を保有する国有化の方向性が見えてきた。
最終結論は来年3月期決算までに明らかになる。
 一方、電力システム改革の最大の論点は原発である。政府は来春、エネルギー政策の具体的な選択肢を国民に示し、
夏には結論を出すという。
 だが、無理だろう。選択肢は示せても、結論はまとめきれまい。
普天間をこじらせ、八ッ場ダムにてこずる民主党の手に負える問題ではない。
 最大のハードルは国民の納得だ。政府・与党内には国民投票実施論もあるという。だが、来春から来夏といえば、首相が最もこだわってきた消費増税法案処理のヤマ場。二正面作戦は成り立つだろうか。
 議論が盛り上がらず未消化のまま「原子力ムラ」主導で進めば、どうなるか。霞が関でこんな見立てを聞いた。
 「電力供給の原子力依存率は30%(3・11前の水準)でいい。それでも従来の目標(50%)より低いから『減原発』だ。
もんじゅはやめてもいいが、再処理工場は守る。使用済み核燃料からプルトニウムを抽出し、
MOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物)に加工して英仏並みに輸出していく……」 この未来図は絵空事だ。
全国の原発は次々定期検査に入っており、再稼働のメドは立っていない。政府の事故「収束」宣言を誰も信じていない。
この不信は、政府や経済界の一方的な説得によって解消されるというようなものではない。

 都会の電力浪費のために田舎がリスクを負う不公平に対する、断固たる拒否感が津々浦々から噴き出している。
原発立地自治体の中には交付金を返上するところも出始めた。
 民意の鳴動を侮り、「原子力ムラ」にゲタを預けて進むのが野田政治だとすれば、小出ならずとも絶望せざるを得まい。
政策を決める識者の人選を改めるべきだが、聞き入れられそうにない。辰(たつ)年の火ダネは消費税だけではない。(敬称略)


風知草:だって終わってない=山田孝男 2012年01月09日

 「原発事故の賠償を進めて再生を」と簡単に言わないでほしい。東京電力に損害賠償を請求した避難世帯は、
いまだ半分に満たないそうだ。「原発は安全を確保して動かすべきだ」と簡単に言わないでほしい。
安全に動かす方法は、いまだ確立されていない。いいかげんな土台の上に再生はない。
 正月のテレビニュースによれば、昨年9月以来、東電が受け付けた個人の賠償請求件数は3万4000。
対象は強制避難区域の15万人、7万世帯だから総世帯の半分弱だ。
 請求は、なぜ滞るか。山形へ避難している知人に電話で聞くと、こう答えた。
 「だって終わってない。まだ渦中ですからね」
 知人は60代男性、自営業者である。暮れの28日、連続テレビ小説「カーネーション」で、
主人公・糸子が敗戦の玉音放送を聞いて放心する場面。なにげなく見ているうち、強い感慨にとらわれたという。
 「だって終わらないんですからね、こっちは」
 家族は離散。自分の一生どころか、子も孫も不安を抱えて生きねばならない。
 それが最大の悩みだが、どうしてもらえるのか。東電と個別に交渉するより、弁護士に相談すべきではないのか。
それやこれやを迷い、書類は取り寄せたものの、申し込んでいないという内情を聞いた。

 賠償が始まった昨秋、書類が複雑だからイカンといわれ、東電は書類を作り直した。
原子力損害賠償支援機構が発足し、弁護士と行政書士による避難先の訪問相談も始まった。
 請求が増えると、たちまち書類の山ができた。照会、入力要員を増やし、現在は東京都江東区にある東電の子会社
「テプコシステムズ」の14階建てのビルで2200人(うち東電の社員800人)が審査に当たっている。
やっと事務がスムーズになったとはいえ、相手はまだ数万件という段階だ。

 問題はその先にある。ケタ違いの請求が待っている。強制避難区域外の自主避難者、高線量地域に残る人々だ。
政府は福島県中・北部の150万人を対象に賠償指針を示した。そこから漏れた会津・白河地区の50万人もいる。
県外、国外からの請求も無視できまい。
 膨大な作業だ。東電と支援機構だけでなく、自治体も乗り出すべきだろう。いくらカネを積めばいいとか、
住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)を使えばラクというような無機質な感覚ではやりおおせない。
地道に取り組んで初めて再生に手が届くのではないか。

 これほど厄介な原発を政府はどうするのか。今年はそれを決める年でもある。
 原発の再稼働なくして夏を乗り切れるか。火力発電回帰で温暖化ガスを増やしていいか。イラン核開発でホルムズ海峡緊迫の折、
原発なしですむか。以上は原発の危険に目をつぶる理由になるか。選挙で民意を問う場面もあるだろう。
 原発事故賠償請求書類の審査が続く「テプコシステムズ」のビルは、第一国立銀行(現みずほ銀行)など約470社を設立して
日本資本主義の父とうたわれた明治の実業家、渋沢栄一の私邸跡に建っている。
 暴利を戒め、公益、道徳を重んじた渋沢ゆかりの地で経済成長の後始末が進むという因縁は興味深い。
エネルギー政策見直しは後ろ向きのジレンマではなく、最先端の挑戦だという自覚が重要であると思う。


風知草:東電、どう変える?=山田孝男 2012年02月20日

 枝野幸男経済産業相(47)が東京電力に「経営権を渡しなさい」と迫り、東電の西沢俊夫社長(60)が
「民間のままが望ましい」と粘っている。国家権力による強制的改革か、自主的改革かという攻防だが、東電の分が悪いと私は思う。

 興味深い逸話がある。
 日経新聞1月22日朝刊(東京版)の1面トップは「スマートメーター/東電、1700万世帯に導入/ほぼ全家庭に」
というニュースだった。
 スマートメーター(smartmeter)はデジタル式の電力メーターである。使用量の累計を示すだけの
従来のアナログ式と違い、どれくらい使っているか、利用者は常にチェックし、制御できる。検針員もいらない。
省エネと経営コスト削減の切り札になると言われている。
 その導入計画は、東電が来月まとめる総合特別事業計画の目玉の一つである。
注目の論点はスマートメーターをどこから調達するかだった。

 東電の原案は系列企業から1台2万〜3万円の特注機器を300万台調達するというものだった。
海外メーカーの標準は1台1万円程度(米、独、カナダが先行)なのに。
 そこで「原子力損害賠償支援機構」が動いた。これは破綻しかけた東電をバックアップする官民合同組織。
東電から見れば占領軍のような存在だ。東電の国有化を探る立場は経産相と同じ。この機構が、ファミリー企業優先の
「東電ムラ」感覚の原案を差し止め、国際入札方式に修正した。日経は経緯も含めて修正案を伝えた。
 修正の経緯を知る関係者によれば、東電が原案を機構に示したのは昨年11月末か12月初めのこと。
それも「あさって発表します」という切羽詰まった通告だった。
機構側が「どういうことだ」と反発、激しいやりとりになったという。

 デジタル化は便利だが、システムは脆弱(ぜいじゃく)になる。検針員や系列企業の社員の雇用に無慈悲でいいということはない。課題は残るが、旧弊を破る挑戦、惰性を断ち切る努力を軽く見るべきではない。
それが、癒着とたるみを背景に起きた原発事故の教訓ではなかったか。
 総合特別事業計画の策定と引き換えに政府は東電に1兆円出資する。経産相が東電社長を見据え、
出資に見合う議決権をくれなければ「私がこの任にある限り(計画を)認定するつもりは全くありません」
とタンカを切った(13日)。
 出資に見合うレベルとは株主総会の議決権の3分の2超。それを握れば、政府は東電の事業を再編できる。
今は一体の発電と送電を別々に営むこと(発送電分離)もできる。 それで経済が活性化するという期待と、
電力供給が不安定化して逆に経済基盤を壊すという批判がある。政府は分離を目指すのか。渦中の政府関係者に聞くと、こう答えた。
 「教条主義的な発送電分離論に関心はない。原発増設で設備投資が急伸した高度成長の体制を見直し、
原発新設ゼロと節電の時代に合う体制に変えることが基本。旗振り役のトップは社外から迎えたい」
 無給で奮闘の西沢社長には頭が下がるが、体制内改革の限界は既に明らかだ。
 財務省は3分の2の議決権掌握に反対だ。握れば財政負担を迫られるから。
「増税」一点突破主義の首相は東電改革に関心が薄い。それが現実だが、経産相にメゲてもらっては困る。
政治主導に期待する。(敬称略)


風知草:安全を見極める目=山田孝男 2012年03月19日 

 東北電力女川(おながわ)原発(宮城県女川町・石巻市)が津波に耐えたのは、
平井弥之助(1902〜86)という先覚者の見識と執念による。東京新聞の記事(7日朝刊)で知った。
 原発の再稼働と安全性評価が問われ、信頼の欠如が指摘されている今、平井の人物とエピソードは示唆に富む。
 平井の仕事を今に伝える語り部は、東北電力で指導を受けた大島達治(82)だ。
 大島によれば、平井の真骨頂は「自分の判断で結果責任を負う」使命感にあった。「決められた基準さえ守れば」と
安直に考える人間ではなかった。法令を尊重するが、法令順守が目標ではなく、
法令を超えた本質的な課題を徹底して調べぬく技術者、経営者だった。

 女川原発が壊滅を免れたのは14・8メートルの高台にあった(福島第1は10メートル)からだ。
貞観(じょうがん)大津波(869年)を調べて立地したことは知っていた。
平井の孤軍奮闘で導かれた決定だったことは知らなかった。
 平井は宮城県南部の船岡(現柴田)町出身。東京帝大の土木工学科を出て電力王・松永安左エ門(1875〜1971)の
東邦電力に入社。日本発送電を経て戦後は東北電力に移り、62年、副社長でやめた。
 その後は師の松永が設立した電力中央研究所の技術研究所長になった。
68年、平井は女川原発を設計する東北電力の海岸施設研究委員会に参画し、津波対策を熱心に説いた。
 14・8メートルを主張したのは平井だけ。「12メートルで十分」など、平井説を過剰と見る意見が大勢を占めたが、
平井の威望、気迫が勝り、東北電力は平井説を採った。40年を経て襲来した津波の高さは13メートルだった。
 平井は引き波による水位低下も見越し、冷却水が残るよう取水路を工夫させた。

 大津波は平井没後25年で来た。平井は正しかった。平井の執念、責任感とは何であったか。
仙台にいる愛弟子の大島に電話で聞くと、こう答えた。
 「企業倫理とコンプライアンス(法令順守)の関係に似てるけど、本質は違いますよね。
企業の社会的責任とは、法律の範囲で罪に問われなければいいということではない」

 65年、皇太子(いまの天皇陛下)が東京都狛江市の電力中央研究所を見学された。案内役の平井と殿下が並ぶ写真が
電中研の松永記念室の壁にかかっている。見に行った。真一文字の口元に強い意志を感じた。戒名は真徹居士だった。
 こんな逸話もある。昨年の大震災直後、大島に見舞いの電話をくれた平井の遺族(末娘)がこう語ったという。

 「父が夢に出てきて、『ワシが日ごろから(電気事業は)原子力をやるべきではない、と言ってきたことを(大島に)伝えよ』と
言うのです」 平井は、日本で原発が現実に建設され、原発の時代がくる前に一線から退いた。
生前の平井が原発を否定した記憶はないと大島は首をひねる。
 大島は平井に学んで原発の質を高めよという立場。私は、平井が何百人そろっても難しいのではないかと疑う立場だが、
そのことはおく−−。
 関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働へ向け、手続きが進んでいる。月内にも首相と関係閣僚が決断し、
地元に同意を求めるという。だが、本質は政治問題ではない。
首相を支える実務家に平井のレベルの眼力と説得の気迫があるか。そこを問いたい。(敬称略)


風知草:戦後は続く、どこまでも=山田孝男 2012年03月26日 

 原爆の製造法は二つある。ウランを濃縮する広島型と、プルトニウムを使う長崎型だ。イランは平和利用という名目で
濃縮ウランを蓄え、核武装を疑われている。日本は原発から出たプルトニウムを蓄えているが、疑われていない。 

 だが、日本に軍事的意図がまったくないとは言えない。
平和利用目的の原子力エネルギーにはいつでも軍事転用できるという含みがある。原発は軍事と無関係ではない。

 「核兵器と日米関係」(06年、有志舎刊)でサントリー学芸賞を受賞した黒崎輝(あきら)・福島大准教授(39)によれば、
戦後日本の核政策が固まった1960年代、
原発推進によって「潜在的核保有国」になろうとした政治家や外交官の意図を裏づける資料はたくさんある。

 当時の首相は佐藤栄作(1901〜75)だった。佐藤は四つの核政策を示した。
「非核三原則(核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず)堅持」「アメリカの核抑止力に依存」「原子力の平和利用推進」
「核軍縮推進」である。

 このうち「原子力の平和利用推進」には潜在的核保有への意志が秘められていた。

 64年、中国の核実験に強く反発した佐藤は、ライシャワー駐日米大使に
「核(兵器)は日本の科学、産業技術で十分、生産できる」と語った。茨城県東海村で日本初の原発が臨界に達したのが65年だ。

 69年、外務省高官の研究チームが「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持する」という内部文書を
ひそかにまとめた。米ソ英仏中にだけ核保有を認めるNPT(核拡散防止条約)締結直前。福島第1原発1号機完成が70年。
この文書は94年、毎日新聞のスクープで露見した。

 黒崎によれば、核4政策は佐藤の独創とは言えない。
それ以前の日米交渉、霞が関、産業界、与野党のせめぎ合いを踏まえて形成された政策をまとめ、追認したにすぎない。

 その後も底流は変わらなかった。
北朝鮮の核問題が浮上した90年代、日本でも核武装論が噴出したが、今なお少数意見にとどまっている。

 07年、アメリカの核戦略の中心にいたキッシンジャーら4識者が伝統的な核抑止理論の破綻を指摘。
09年、オバマ米大統領が核廃絶を説いて耳目を集めたが、以後の世界は、むしろ中露の軍拡、北朝鮮・イランの核開発へ逆行した。

 黒崎の話は先週、福島大の研究室で聞いた。高圧洗浄車がキャンパスの放射性物質を洗い流していた。
新潟市出身の黒崎は東北大で学び、立教大助手を経て09年着任した。原爆と原発は表裏一体だとすれば、
3・11は日本の核政策に根本的な修正を迫るものではなかったか。
 日本は軍事転用可能な再処理済みプルトニウムを45トン持っている。長崎型原爆4000発分という。
高速増殖炉やプルサーマル(プルトニウムとウランの混合燃料を使う原発)で燃やせば減るが、見通しは暗い。

 崩壊した原発の制御さえできないのに、野田佳彦首相は、核燃料サイクル(再利用)は「日本の技術で可能」と言うだろうか。
今日、日本核武装という選択肢があるだろうか。

 26日、ソウルに世界53カ国首脳を集めて「核安全保障サミット」が開かれる。
核物質をテロリストに渡さぬ相談に異存はないが、危険な余剰プルトニウムを生まない政策をこそ話し合ってもらいたい。(敬称略)


風知草:宙に浮く燃料プール=山田孝男 2012年04月02日 

 大震災以来のおびただしい批判、検証、反省もむなしく、原発の安全をチェックする行政は後退し続けている。 
 その証拠に、今週から原子力安全・保安院と原子力安全委員会の予算はゼロ。
取って代わるはずの「原子力規制庁」は法案が国会に滞留し、発足できない。つまり、監督官庁の存在感がさらに薄らいだ。
 予算は「その目的の実質に従い、執行できる」(予算総則14条2)から、暫定存続の旧組織は新組織の予算を流用できる
とはいえ、士気は上がらない。各府省のもたれ合い、与野党の不決断、何ごとも東京電力任せの実態は相変わらずだ。

 福島第1原発4号機の核燃料貯蔵プールが崩壊する可能性について考えてみる。
震災直後から国内外の専門家が注視してきたポイントである。
 東電は大丈夫だというが、在野の専門家のみならず、政府関係者も「やはり怖い」と打ち明ける。どう怖いか。
 4号機は建屋内のプールに合計1535本、460トンもの核燃料がある。建屋は崩れかけた7階建てビル。
プールは3、4階部分にかろうじて残り、天井は吹っ飛んでいる。
 プールが壊れて水がなくなれば、核燃料は過熱、崩壊して莫大(ばくだい)な放射性物質が飛び散る。
アメリカの原子力規制委員会もフランスの原子力企業アレバ社もこの点を強く意識した。
 「福島原発事故独立検証委員会」(いわゆる民間事故調)報告書は、原発事故の「並行連鎖型危機」の中でも
4号機プールが「もっとも『弱い環』であることを露呈させた」と書く。政府がまとめた最悪シナリオ(同報告書に収録)も
4号機プール崩壊を予測。さらに各号機の使用済み燃料も崩壊し、首都圏住民も避難を迫られるというのが最悪シナリオだ。
 震災直後、原発事故担当の首相補佐官に起用された馬淵澄夫元国土交通相(51)は、4号機の地下からプールの底まで
コンクリートを注入し、チェルノブイリの「石棺」のように固めようとした。
が、プール底部の調査で「強度十分」と見た東電の判断で見送られ、支柱の耐震補強工事にとどめた。

 当時の事情を知る政府関係者に聞くと、こう答えた。
 「海水を注入しており、部材の健全性(コンクリートの腐食、劣化)が問題。耐震強度の計算にも疑問がある。
応急補強の間にプールから核燃料を抜くというけど、3年かかる。それまでもつか。(石棺は)ダムを一つ造るようなもので
高くつく。株主総会(昨年6月)前だったから、決算対策で出費を抑えようとしたと思います」

 原発推進は国策だが、運営は私企業が担う。政府は東電を責め、東電は「国策だから」と開き直る。
「国策民営」の無責任体制は変わらない。
 民間事故調の報告書は市販開始3週間で9万5000部出たそうだ。1冊1575円もするというのに。
体面や営利に左右されない体系的説明に対する国民の飢えを感じる。
 東北・関東で震度5級の地震が続いている。最悪の事態を恐れる者を「感情的」と見くだす不見識を受け入れることはできない。
リスク軽視で経済発展を夢想する者こそ「現実的」という非常識に付き合うわけにはいかない。


風知草:枝野幸男の弁明=山田孝男 2012年04月23日 

 枝野幸男経済産業相(47)は迷っているのか。先週末、会ってみた。取材を終えて最も印象に残ったのは
「私はロベスピエールになりたくないのです」という一言だった。
 マクシミリアン・ロベスピエール(1758〜94)はフランス革命の指導者である。恐怖政治の代名詞でもある。
理想に忠実な弁護士だった。政権を掌握するなり急進的な改革へ突き進み、政敵を次々処刑し、最後は自分が処刑された。
 枝野は、定期検査中の原発の再稼働を一切認めない選択は無理な急進的改革だと考える。
直進を急げば混乱を広げ、かえって理想(脱原発)から遠ざかると見る。以下、漸進主義を掲げる枝野の弁明である。

 −−発言の修正が続くのは働きかけがあるから?
 「いや、(働きかけは)ないですね。(私は)基本的に脱原発ですが、すべての原発をこのまま止め続けた場合、
無理な節電と電気代値上げは避けられず、中小企業倒産、雇用不安の連鎖で社会が混乱する。
そうなると定着しかけた脱原発の機運もしぼんで(原発)依存体質が完全に復活してしまい、手がつけられなくなる。
ボクはそれを一番恐れているんです」

 −−中期の改革ビジョンを示すべきだと思うが。
 「政治論としてはその通りですが、いいかげんなものを出せば揚げ足をとられる。簡単に出せるもんじゃない」
 「ひとつ大きいのは40年の廃炉規制(原子炉の寿命を40年と定める立法。国会に法案提出済み)。
法案が通って政省令まで我々がグリップしていれば相当なものができます」
 <再稼働を認め、新規設置を認めなければ、2030年の原発依存率は3・11以前より半減の15%。
その後も減り続け、50年の段階でゼロに>

 −−仙谷(由人・民主党政調会長代行)さんとの間に意見の対立があるのでは?
 「いきなり(原発を)まったく使わないとなると、相当大変だよねという認識は共有しています。
それでは結局、また原発依存に戻っちゃうと私は思っている。仙谷さんもそんな感じだと思いますけどね」
 仙谷は政権のエネルギー政策の仕切り役だ。仙谷主導という観測が尽きぬゆえんだが、本人はこう言っている。

 「メディアというのは誰々が裏で糸を引いているとか、陰謀とかいう筋書きが好きなんですね。
(書かれても)私はどうってことありませんが、それで中長期の政策形成がゆがむとすれば、ゆゆしきこと。(中略)
我々は自民党が先送りしてきた宿題を一つ一つ現実主義的手法で解決し、理想に近づいていくということでございます」
(15日、徳島市で開かれた民主党衆院議員のパーティーで)
 ロベスピエールと違い、ともに現実主義を信奉する枝野と仙谷は、経済の混乱を避けるために再稼働を認めよという。
なるほど、経済は混乱するかもしれないし、乗り切れるかもしれない。信頼できる予測がないから世論が割れる。
政府の判断を理解したいが、手がかりが乏しいから腑(ふ)に落ちない。

 純粋に安全対策の視点で見れば、関西電力大飯原発(福井県おおい町)3、4号機の再稼働はまったく疑問だ。
福島の教訓が生かされているという信頼がない。脱原発を願い、再稼働を疑う人を「過激派」と呼ばないでほしい。
現実主義の堕落に敏感でいてほしい。穏健派の指導者に注文しておく。(敬称略)


風知草:まだ何も分からない=山田孝男 2012年05月21日 

 物理学者、寺田寅彦(1878〜1935)の随筆「災難雑考」に「何時(いつ)来るかも分らない津浪(つなみ)の心配より
明日の米櫃(こめびつ)」という警句がある。防災を説き疲れた寺田の晩年の筆。やけっぱちの毒気がこもる。
 昨年6月に出た「東日本大震災復興構想会議」(五百旗頭(いおきべ)真議長)の提言は結びでこのくだりを引き、
原発事故が起きた以上、米びつ優先(安全軽視)の誘惑に負けて元のモクアミに戻るなと説いた。が、原発の安全はこころもとない。

 先週の話題の一つは国会の原発事故調査委員会ヒアリングだった。
福島第1原発の1、3号機が爆発して2号機の冷却が止まった直後、東京電力社長は現地要員全員の撤退を政府に申し出たのか。
海江田万里元経済産業相(63)は、そうとしか受け取れぬ電話があったと言い、
勝俣恒久東電会長(72)は「事実ではない」と答えた。
 政府と東電のこの食い違いは今回初めて露見したわけではない。当時の菅直人首相、枝野幸男官房長官(現経産相)、
福山哲郎官房副長官らも別の調査委の聴取で海江田と同じ認識を語っている。東電幹部は「一部撤退は探ったが、全員はない」と
口をそろえている。
 食い違いそのものではなく、これほど重要な(その段階での全員撤退=制圧放棄は東日本全域の破滅を意味していた)
事実関係がいまだ解明できないところに驚きがある。

 「災難雑考」で寺田は、北九州の山中に墜落した飛行機の破片をすべて取り寄せ、事故原因を突き止めた大学教授の逸話を
紹介している。補助翼を制御する銅線1本の破断とネジ1個の脱落が惨事を招いた。教授はそれを立証し、事故の再発を防いだ。
「実に胸のすく」業績だと寺田はほめている。
 ならば、原発事故の究明はどうか。破局の原因は地震か、津波か。分からない。あれこれ推測はできるが、
放射線量が高くて近づけないから、実際に調べることができない。
 メルトダウン(炉心溶融)した3号機の場合、建屋の最新の線量は最高毎時160ミリシーベルト。防護服を着ても、
そこに24時間いれば、人間の半致死量(=4000ミリシーベルト。30日以内の生存率50%)を浴びてしまう。
 要するに、事故の原因も、現状も、責任の所在も、まだ全く確定していない。
寺田がほめたような、飛行機事故の原因解明に基づく合理的な再発防止策は望むべくもない。

 にもかかわらず、雇用、生産の減退、炎暑の停電など安全以外の不安−−寺田に従えば、明日の米びつが空では困るという恐怖−−
にかられて原発再稼働待望論が広がった。
 政府は電源車配備とか、防潮堤かさ上げとか、間に合わせの対策で折り合いをつけようとしている。
原発事故をナメるなという、復興構想会議が刺したクギが抜け落ちかけているというのが今の大局である。
 寺田は関東大震災や昭和三陸大津波の被災地を歩き、防災へ警鐘を鳴らした。
「天災は忘れたころにやってくる」も彼の言葉として今に伝わる。
いくら説いても聞かず、危険に目を閉ざす人々を動かすのは「天体の運行を勝手にするより難儀」と嘆いた(災難雑考)。
 海底の地殻変動や火山活動のニュースが続いている。原発事故に関して既に多くの調査がなされているが、
強力な放射線に阻まれて炉内の真実を解明することはできない。高をくくるべきではない。(敬称略)


風知草:坂田昌一の警告=山田孝男 2012年05月28日

 小紙24日朝刊スクープのミソは「勉強会」だった。
 核燃サイクル推進をあきらめない「原子力ムラ」(産官学共同体)の面々が、非公開の「勉強会」で政府報告書原案に
我田引水の修正を施したという。テレビ(ANN「報道ステーション」=24日夜)は隠し撮りの動画をすっぱ抜いた。
 原発推進派の排他的秘密会合は53年前にもあった。物理学者の坂田昌一(1911〜70)にこういう逸話がある。

 坂田は湯川秀樹、朝永振一郎と並ぶ素粒子物理学の大御所だった。政府の原子力委員会・安全審査専門部会の委員に招かれたが、
審査機関の独立強化と情報公開の徹底を強硬に主張してケムたがられた。
 やがて、非公開の内部協議の議事録が坂田には届かなくなった。ただでさえ孤立していた坂田は事態を悟り、
以下のタンカを織り込んだ声明を発表して委員をきっぱり辞めた。
 「秘密の扉の中でだされた結論を権威の名において国民に押しつけるようなことは断じて許すべきではない」
(59年11月17日、衆院科学技術特別委・参考人意見陳述。「中央公論」60年1月号に草稿を掲載)

 坂田は脱原発派ではない。それどころか、筋金入りの原発ナショナリストだった。
核の平和利用を宣言したアイゼンハワー米大統領の国連演説(53年)より早く、「日の丸原子炉」の研究開発を唱えていた。
 ただ「民主、自主、公開」の3原則(原子力基本法2条)にこだわった。「慎重過ぎる」という政財界の不満、
批判に強く反発してこう書いた。
 「3原則を無視してもよいなどというのは原子力の本質についてまったく無知な人間か、
さもなければ原子力を看板に一もうけしようという利権屋だけである。原子力が何たるかを本当に理解している人間は、
3原則を基盤としないかぎり、原子力研究はけっして人類に幸福をもたらしえないものであることを熟知している」
(科学雑誌「自然」55年7月号所載「3原則と濃縮ウラニウム」)

 坂田の警告が空論でなかったことは、坂田の生誕100年にあたる昨年、証明された。
以上の経緯は昨秋刊行された「坂田昌一/原子力をめぐる科学者の社会的責任」(樫本喜一編、岩波書店刊)に詳しい。
 先週の小紙の特報に対し、原子力委員会は「事実無根」と反論している。あれは秘密の裏会合なんかじゃない、
関係省庁や事業者にデータを確認する連絡調整に過ぎず、報告書案の書き換えではない−−と。
 データ確認なら、なぜ個別にやらないか。「勉強会」こそ反省なき「原子力ムラ」のどうにも止まらぬ永久運動ではないのか。
疑問は消えない。
 政府は6月前半、2030年の原発依存率の選択肢を公表し、夏のうちに結論を得たい意向だが、
実は、核燃サイクルの是非については当面、判断するつもりがない。なぜか。ある閣僚に聞くと、こう答えた。

 「今やめると言えば、サイクルの完成を前提に使用済み燃料の中間貯蔵を引き受けてきた青森県が黙っていない。
各原発サイトに核のゴミを戻せという話になる。最終処分に目鼻をつけないかぎり、核燃サイクルの話はできないんですよ」
 核燃サイクル見直しという歴史的選択の幕は上がらず、決定プロセスへの不信だけが膨らんでいく。
さだめし坂田は憤慨していることだろう。だから言ったじゃないかと。(敬称略)


最終更新:2013年09月03日 14:15