比較について2


595 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 18:27:26.31 ID:fn67KWx00 [1/2]
岡敏弘はちまちました能書きたれているが、
放射線による損失余命は無償のものなんだな。
(放射性物質をばらまいたことに対する補償は、無し)

損失余命を回復する幅と、そのコストとの間で
トレードオフをとりましょうと。

だけど、こういうコスト・ベネフィットの考え方が
日本国のスタンダードになっちゃいそうだ。黒木も支持している。

http://www.s.fpu.ac.jp/oka/radiationriskbenefit.pdf
私はこれまで、環境政策の評価に費用便益分析を適用することに
懐疑的であった(岡2006)。その理由は2 つあった。
1 つは、環境改善便益の値が信頼性をもたず使いものにならない
というであろうことであり、
もう1 つは、実際の政策が便益をはるかに上回る費用をかけて
現に行われており、いくら便益を測っても、
政策決定に際して考慮される見込がないということであった。

ところが、今回の放射能汚染では、これまでの化学物質のリスクに比べて、
人での健康影響の証拠もはるかに明確で、リスクの大きさもはるかに大きい
という事態が生じている。
一方で、それを防ぐためにかかる費用もまた無視できなくなっている。

598 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 18:34:27.10 ID:GqCrIyEa0 [2/2]
595
こういうコスト・ベネフィットの考え方

その宣言的な文書が、kikulogの「少ないものをどれほど減らしても多いものには影響しないわけで」だよ。
それに異議をていする者たちは、簡単な物理学もわかんないバカと罵られる。
簡単な物理学が、国際関係やらそのうちくるかも知れない巨額の損害賠償請求を無視して成り立ってる
ことすら気づかないでいる。

714 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 07:16:51.03 ID:2PYl7Upe0
595
この手の原発事故に関する費用便益分析的な言説は、その根底に「公共の福祉」(日本国憲法12条)に対する
誤った通俗的理解(多数派や社会全体の経済的利益のためには少数者の人権を犠牲にすることができる、というもの)がある。

587 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 17:30:45.53 ID:sKmP5z9p0
避難させるコストと、被曝による医療コストを比較するレスがあるが
国家は国民の生命を守ろうとしない、という冷厳な事実を国民が目の当たりにしてしまったことは
国家統治上大失点だ。このことはこれからこの国の将来に相当響いてくる。
目先の避難コストを惜しんだがために大切なものをドブに捨ててしまった。

596 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 18:33:40.45 ID:fn67KWx00 [2/2]
587
イラク戦争のときも、自己責任論にもとづいて
邦人を見捨てたわけだが。

主権国家として、グローバルスタンダードの対極を行ってるね。
グローバルスタンダード大好き、米国大好きな保守派の方々が、
国民と国土を粗末に扱っている。
普通でない国というか、常軌を逸した国だ。
国家としての体をなしていない。

269 名前:地震雷火事名無し(dion軍)[sage] 投稿日:2011/07/18(月) 01:19:27.42 ID:1iN+xPto0 [2/4]
「科学に基づいて正しく怖がりましょう」とは言っても、

怖がる対象=放射能は「所与の初期条件」で、
そいつを撒き散らした東電や政府の責任には全く触れない。
それをどう除去するか、そのために政府や自治体をどう動かすかは考えない。
政府や自治体に働きかけようとする母親たちの団体に対しては、
その中に紛れ込んだニセ科学分子を叩くだけでご満悦。

「リスク比較することは人を自由にする」なんてことをキクマコはほざくが、
むしろ正反対で、不自由を人に押しつけ、言い含めるだけの方便でしかない。
その政治性に本人たちはまったく気付けないのが、なおイタい。

291 名前:地震雷火事名無し(dion軍)[sage] 投稿日:2011/07/18(月) 03:32:26.25 ID:1iN+xPto0 [4/4]
287
リスクのレベルを知るために比較するのは全然問題ないでしょ。

問題なのは、「レントゲンやCTの被ばくより小さいから受け入れろ」と、
メリットあり・自発選択のリスクとメリットなし・強制被ばくのリスクを比較した上に、
受忍まで迫ること。

292 名前:地震雷火事名無し(関東・甲信越)[] 投稿日:2011/07/18(月) 03:37:19.40 ID:iYO/eV2HO [1/8]
比較の話題で菊池らは通常の原発作業員が年間5mSV未満であることを発言したことはあるのか?


kenjiitojp 11:56am via HootSuite
喫煙との比較でいえば、喫煙よりリスクが低いから放射線被曝を許容すべきなのではなく、
逆に、喫煙、とくに受動喫煙のリスクを許容すべきでないと言うべきだろう。
それはどちらか一方をしたら他方ができなくなるという問題はではない。

kenjiitojp 11:58am via HootSuite
かつて喫煙者が受動喫煙のリスクをその不確実性を楯にとって非喫煙者に押し付けるやり方は、
電気会社が原発のリスクを押しつけるやり方に似ていたかもしれないが、
これに関しては今では前よりだいぶましになったのではないだろうか。

kenjiitojp 6:40pm via HootSuite
ある主張を論駁するのにそれを言う人が喫煙することをもってしようとするのは対人論法、
原発の是非の議論に喫煙の是非の問題を持ち込むのは赤鰊論法、
原発よりもむしろ喫煙、と論じるのは、原発か、喫煙かどちらか一方しかないようにみなしている点で、偽二分法(誤った二分法)論法、かな。

まあ、たばこはやめたほうがいいと思うけれど。

たばこにも原発と似たような問題は実際にあるので、それはそれで問題にしないといけないのは間違いないのだが、それは別の話。

(原発事故の後は、たばこ批判をしても、「禁煙ファシズム」とか言われなくなったのかな?)

@kenjiitojp タバコに目くじらたてる人たちが毒ガスを撒き散らして走る車にどれだけ目くじらをたてるのでしょうか。

自動車は排ガスだけでなく、騒音と、自動車事故というリスクも作りだしていますよね。タバコとは別の問題ですが。

自動車批判もやっていいのかな。

自動車問題も原発問題と似ているのかな。環境に対する配慮や、安全性や、社会的公正性よりも、経済や雇用を優先させる議論が通ってしまう。

tkshhysh Takashi Hayashi
あることで死ぬ「確率」を交通事故死の「確率」と比べて大きい小さいということに
果たしてどういう意味があるかしら。他殺で死ぬ「確率」は交通事故死の「確率」よりはるかに低いが。
6分前

tkshhysh 10:30pm via Web
「交通事故死の確率より低かったら無問題」というヒューリスティックスに名前を付けたくなる。

tkshhysh 11:23pm via Web
交通事故みたいにIIDに近い事象もあればそうでない事象もあるわけで、
一律に1人あたりの周辺確率分布を比較してもなあ、と思うわけです。
RT @OHASHITomoki 多様なリスクが幅広い確率で存在するという知識は誰でも持つべき。対策立案では確率の大小がある種の主役になる。


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最終更新:2012年12月11日 15:52