放射線影響研究所

586 名前:地震雷火事名無し(東京都)[] 投稿日:2011/08/17(水) 02:04:22.95 ID:lPYkkDxe0 [1/3]
565
む~~。内面の憶測から論を始めるのはちょっと乱暴かと…
単純にICRPとかWHOの立場に忠実なだけじゃないのかな?
ただ、長崎大学といい、広島大学といい、被曝都市の大学医学部の放射線関係者がが軒並み御用の様相を呈しているのは俺も気になっていた。

中国新聞で2007年2月から連載された「放影研60年」というシリーズ(中国新聞のサイトで閲覧可能)を読んでいてふと、
こういうことなのかな?と思い当たる記事があった。
第4部『海の向こうで 1.前向きに 米恨まず治療の道一筋』という記事。
広島大学医学部出身、今は米国の大学で放射線腫瘍学の教授をしている女性にスポットを当てている。
「千羽鶴」の佐々木禎子さんの同級生で、「原爆の子の像」建立にも力を尽した人だという。
広島大学卒業後、ABCCを経て米国留学。ご主人はABCC理事だが反戦的な傾向の強い人。

この人の年代にとって米国留学というのはけっこう魅力的だったかもしれない。
こういう魅力を提示しながら、米国は長い時間をかけて人を育ててきたのではないだろうか?
ご本人には原爆の後始末などという意識はまったくなく、本当に善意の人なのだろうと思う。
一方で、その人の反核兵器の意思が強ければ強いほど「放影研」の平和的な側面を強調することができる。

590 名前:地震雷火事名無し(東京都)[] 投稿日:2011/08/17(水) 03:18:49.83 ID:lPYkkDxe0 [3/3]
589
敗戦後しばらくの間、そして今も本音ではそうかもね。
ただ、>>586の記事からは反核反戦的な人間を意図的に採用したのではないかという気もする。
平和と日米友好のシンボル的な存在として。
586の女性がABCCにどういう動機で就職したかは記事からは不明だが。
「はだしのゲン」とか見ても、当時の広島ではABCCへの反感はかなり残ってたと思うんだが。

そういうこととまったく別にICRP的な放射線防護理論を指導されたんだろう。
理論体系らしきものは、日本ではそれしかなかったはずだから。


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最終更新:2013年04月18日 16:21