梅原猛


続いて、特別顧問となった哲学者の梅原猛氏があいさつ。「天災」や「人災」という言葉に触れたうえで、今回の震災について「私は『文明災』だと思う。原発が人間の生活を豊かにし、便利にする。その文明がいま裁かれている」と指摘した。
(朝日新聞) http://www.asahi.com/national/update/0414/TKY201104140396.html

スリーマイル島の時も、チェルノブイリの時も、国や東京電力は、日本の原発は絶対に安全だと言い続けてきた。しかし、日本の原発だけが安全などということはあるわけがない。今回の事故で、それが明らかになった。今こそ原発から脱却する新しい国をつくらなければ、必ずまた同じような事故が起こる。
(東洋経済) http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/14e6e18a6d22fe5395a8e2fb0784fdcd/

49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(関西地方)[] 投稿日:2011/06/01(水) 13:32:02.03 ID:HPIFkz9B0
ソースとしては弱いだろうけど、貼っとく


まとめwikiの「反原発学者・ジャーナリスト」の項目にある梅原猛

むか~し買って読んだ土井淑平『反核・反原発・エコロジー』をひさしぶりにひっぱりだして読み始める。その鋭い現状認識はいまでも色褪せていない。梅原猛は
原発PR誌で「原子力は日本の神様だ」との間抜けな発言をしていたという。そういやジャイアントロボも原子力エネルギーで動いていたんだな(遠い目)。
http://oudon.at.webry.info/201104/article_4.html


「その一例が、梅原猛の「原子力は日本の神様です」(日本原子力文化振興財団『原子力文化』創刊二百号記念、一九八六年八月)との託宣である。」
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/4a5d3661912e272aa0fa859c14350ecf

梅原猛「“原子力は日本の神に似ている”」
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/17f30855787111f8e0f214c142a67e44

58 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/06/01(水) 16:02:27.09 ID:TavadAez0
49

梅原猛さんは、「中日新聞」「東京新聞」に「思うままに」というコラム欄を持っていて、以下のように書いています。

1次ソースでなく引用ですが、

「思うままに 大震災を考える(三)」(4月25日)
http://ameblo.jp/shikatajj/entry-10880137373.html
http://www.k-taiki.com/column2a31.htm
「思うままに 大震災を考える(四)」(5月2日)
http://www.k-taiki.com/column2a31.htm

とくに注目すべきは、

「確かに私は1996年にこの欄で、原発は30年かけて廃止すべきであると論じ、1999年と2002年に同様な主張を続けた。
とすれば、今回の事故で不幸にして私の預言は的中し、私には先見の明があったということになるが、私はそれをある種の深い自省の心で振り替えざるを得ないのである。
なぜならば、これまでこの欄でそのような主張をしたものの、原発に関して賛成および反対の専門学者達の論をもほとんど読まず、首尾一貫した一つの論をまとめることをしなかった。
それ故に私の筆はいま一つ迫力に欠けていたと思われるが、原因はそれだけではない。私は東京電力の社長、会長を務め、経団連の会長も務められた故平岩外四氏と同郷であり、かなり親しかった。」

と「深い自称の心」を吐露している点です。



182 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/06/02(木) 08:54:57.59 ID:ds0n4zID0 [2/2]
695 名前:名無しさん@涙目です。(愛知県)[] 投稿日:2011/06/02(木) 08:51:41.94 ID:raoY9mNV0
こういうのを御用学者って言うのか

梅原猛が言ってたな
電力会社は学者の囲い込みがハンパないって
俺も関電に優遇してもらった
だから元々原発反対だったのに声高に叫べなかったっていいわけしてた

624 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[] 投稿日:2011/08/01(月) 20:27:58.79 ID:2gp2av4B0 [5/5]
4/1、夕刊の「特集ワイド」のコラムでは、梅原猛が
「巨大地震の衝撃 日本よ! この国はどこへ行こうとしているか」
ずっと「反原発」の旗を立て、その危険性について発言してきた。
「原発は10年で半減し、20年でやめるべきだ、と。政府要人にも言いました。・・・。
ソ連の社会主義崩壊も、アメリカのイラク戦争の失敗も私の予言は当たりました。
痛烈に批判しましたから。でも、原発反対は、もう一つ強く叫べなかったんですよ。
私が初代所長を務めた国際日本文化研究センターに関連する財団が設立されたとき、
当時の関電社長に理事長になっていただいたり、東電の社長とも親しかったのでね。
多少、遠慮したんです。それを後悔してるんです。」
もっときっぱり「反原発」の旗を高く掲げるべきだったと苦渋の告白が続く。
梅原猛はチェルノブイリ原発直後は典型的な御用文化人でした。それを隠して、梅原は
「原発についても二〇年前くらい前から批判してきました」
(『週刊朝日』二〇一一年五月六日、一三日合併号)
とシャアシャアと嘘をついているわけです。

「チェルノブイリ大事後の一九八六年の時点でもバリバリの推進派だった。『原子力
文化』という同年八月号では、こう言っている。
「ソビエトの事故などもあって、原子力に危険な一面があることは間違いないでしょうが、
いま文明は二者択一を迫られていると思うんです。エネルギーを必要とする文明を捨てて
低エネルギー名文明に帰るか、それが不可能であるとしたら文明の未来は悲観的で、石油、
石炭などの再生不可能なエネルギーを使い、資源はたちまちになくなり、そして自然破壊
は大きくなる。だから大変アイロニカルな言い方ですが、自然の破壊を防いで、しかもい
まの文明を続けようとしたらやはり原子力に頼るしかない」」
佐高信『原発文化人50人斬り』毎日新聞社、33ページ)
(編者注、佐高、お前が言うなという感じだが)

あと、梅原猛は、中曽根康弘(ご存じ、原発族の大ボス)の御用学者でもあったわけです。
梅原だけでなく、梅棹忠夫、公文俊平、上山春平、村上泰亮など、新京都学派の学者たちは
中曽根康弘のブレーンとして、大いに政治利用されたわけです。
彼らの説く「日本文明」「生態史観」というのが、いわば、国家神道や皇国史観なきあとの、
戦後日本の「天皇なき国学」(ウォルフレンの命名、日本人論ブームへの評)、
つまり、戦後民主主義ニッポン、経済大国ニッポン
(バブル崩壊前までの、ゴー宣・つくる会・ネトウヨが出てくる前)のナショナリズム史観の
土台になったわけですね(山本七平や樋口清之とかのジャパンアズナンバーワン的な日本人論、
司馬遼太郎の歴史小説や文明論もその役割を果たしたと言えましょうが)。 (名無しさん) 2011-09-04 17:22:32

http://bit.ly/HoO2nA 梅原猛こそ、中曽根康弘の後ろ盾で国際日本文化研究センター初代所長上り詰めた「原発御用学者NO1」じゃないですか,,,http://bit.ly/IjEHR2 推す方も推される方も食わせもの,,, @TokikoKato
(2012/4/7ツイッターより)
最終更新:2012年12月25日 21:24