朝日新聞2


朝日新聞 2012年1月18日 東京夕刊13面
原発とメディア69 容認の内実29

福祉のための原子力

 「エネルギーが不足した時まず第一にしわ寄せを受けるのは(社会の)下積みの人たちです」
 米スリーマイル島原発事故発生2カ月後の1979(昭和54)年6月、朝日新聞科学部の記者、
大熊由紀子は、朝日新聞労組の集会で、原発容認の理由の一つを社会福祉の観点から説明した。
 「その考えにかわりはありませんか」
 連載にあたり、筆者は大熊に長時間インタビューし、メールのやりとりを重ねた。
 「かわりません。エネルギーがあるから人工呼吸器も動く。エネルギーが乏しければ必ず弱者に
しわ寄せがいきます」
―福祉のため、と言っても、福島の原発の直接の受益者は東京周辺の住民でした。事故後は多くの
人々が故郷を追われ、避難先で亡くなる人もいます。
 「76年に『核燃料』を書いた時点で想定していたのは、強烈な地震でした。津波のことを全く思い浮かべ
なかった不明を恥じています」
―朝日新聞は原発について「イエス・バット」を社論としてきました。
 「安全性の確保など、バット以下の条件は言わば当たり前のことです」
―新聞記者として、原子力推進側に寄りすぎていたという認識はありますか。
 「原発廃絶(今の言葉では脱原発)の主張に従わなかったのは確かです。それは反原発に傾くメディア
総体への挑戦でした。『推進側に拠りすぎ』というのは根拠の薄い、不正確なレッテルだと思います」
―ジャーナリズムの役目として、原発や原子力行政を厳しく監視しなければならないと思いますが。
 「その通りです。ですから、電力会社、メーカー、行政の直輸入志向を繰り返し批判しました。薬害は
問題ですが薬をなくせとはなりません。原発をなくせという方を批判したのはそのような理由からです」
 大熊は84年に論説委員になり、主に福祉や医療分野の社説を17年間にわたり執筆。
 「寝たきり老人」の呼称をやめよう、などの提言で日本の福祉政策に影響を与えた。現在は国際医療福祉大
大学院教授。認知症の人を精神科病院に入れてはならないと訴えている。
(編集委員・上丸洋一)

729 名前:地震雷火事名無し(三重県)[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 17:48:59.87 ID:E7vyfTTq0
715
私も夕刊を毎日読める環境ではないので……
たとえば11月に掲載された分は全然読めてません。というわけで、
そのへん(朝日上層部の動向?)の話がこの「原発とメディア」でどこまで
取り上げられているのかは、はっきりと言えません。
大熊由紀子登場後の連載は、ようやく実際の紙面で確認。
大熊の推進イケイケ発言(どこかネジが飛んでる)が著書以外からも拾われていて、私は割と興味深く読んだ。たとえばこんなの。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
1/12 朝日夕刊 「原発とメディア」65 「容認の内実」25

(前略)
 大熊は、資源エネルギー庁の原子力発電課長らが出席した専門誌の座談会で、こう発言していた。
 「地震がきた時、原子炉は完全でも、建屋にひび割れでも入って、その写真が新聞、テレビに大きく出れぱ、
 人々は原発を受け入れなくなる。逆に、中がめちゃくちゃでも、建屋が堅固で気密性が完全に保たれていれぱ、
 人々を納得させることができる。地震が安全性のデモンストレーションのチャンスにさえなります」
(要旨、土木学会誌78年4月号)
――――――――――――――――――――――――――――――――――

あと、福島事故後の大熊の話を聞き出した(>>533)のも収穫。
けっきょくあの人、表だって大声で言わないだけで考え方は全然変わってない。その点を確認できた、という意味で。
ただ、大熊・木村繁・岸田純之助といった個人に責任をかぶせるだけでいいの? というのは>>657で指摘されているとおり。
(たとえば原発推進広告の掲載が始まった話とかは、私の読んだ範囲の連載では出てきていない。)
それに、30年前、20年前の先輩の行状は追求できても、いま朝日も荷担している安心・安全PRに何も言えないんじゃ
反省になってないよな、とも思う。
それこそ、上丸洋一記者1人に多くを要求しすぎかもしれないけど……。
だからまあ、今の朝日の社内で少数派の記者が書けるのはこれが限界、「原発とメディア」と「プロメテウスの罠」は
その範囲内ではよくやってるのでは、というのが今のところの私の判断です。

571 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 21:02:59.80 ID:H3ukOerc0 [1/3]
朝日新聞 2012年1月20日 東京夕刊9面
原発とメディア71 容認の内実31

記者たちの戸惑い

 「原発に反対という立場で原稿を書いてはいけないのか」
 1979(昭和54)年8月、2泊3日の日程で開かれた朝日新聞の原子力報道研修会で、
記者から疑問が出た。
 論説主幹の岸田純之助(91)が答えた。
 「そういう質問が出るとすれば、その通りだと答えるほかない」
 さらに、専務取締役(編集担当)の秦正流が発言した。
 「反対運動がある以上、朝日がこれを報道するのは当然だ。ただ、自分も反対だという立場で
報道記事をかかれては困る」
 「朝日新聞は記者個人のものではない。朝日として一つのコンセンサスがなくてはならない。
記者個人が原発に反対するのは基本的に自由だが、その考えを記事にするときは署名を入れてほしい。
それをボツにするかどうかの権限は編集局にある」
 秦は当時64歳。外報部長時代、朝日新聞のベトナム戦争報道を批判する駐日大使ライシャワーと正面から渡り合った人物だ。
 福井支局から研修会に参加した中川健三(69)は、こう受け止めたと言う。
 「反対運動については書くな、ということではなかったと思います。ただ、要するに朝日はイエスなんだと……」
 宮城県の石巻通信局長だった滑川照夫(65)は、秦の言葉に威圧的なものを感じ、
「原発に反対するなら、朝日を辞めろということだな」と思った。
 講師の一人、論説委員の柴田鉄治(77)は「原子力開発を新聞はきちんとチェックしなければならない」と強調した。
 しかし、記者に強い印象を残したのは「『ノー』はボツ」とも聞こえる秦の言葉だった。事実報道に駆け回る
現場記者が、自分の意見を記事にする機会は現実にはまず、ない。仮に書くとすれば署名入り、ボツもありうるのは当然で、
「秦さんは、言わずもがなのことを言った」(滑川)。
 安全性をめぐって論議のある原発について、76年の連載「核燃料」のように、「安全だ」と言う見解を一方的に報じるのは、
報道の中立原則に照らして適切なのかどうか。研修はその点にはふれなかった。
研修3日目、記者たちは茨城県東海村の日本原子力研究所を見学した。
(上丸洋一)
――
「死人に口なし」を地で行っていてワロタw

秦正流(はた しょうりゅう、1915年4月15日 - 1994年7月9日)は、日本のジャーナリスト、元朝日新聞社専務取締役、
元日本ジャーナリスト会議代表委員。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%AD%A3%E6%B5%81

岸田純之助(きしだ じゅんのすけ、1920年3月22日-)は、日本の科学ジャーナリスト。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%B4%94%E4%B9%8B%E5%8A%A9
572 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 21:03:42.71 ID:H3ukOerc0 [2/3]
柴田鉄治
しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、
論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、
武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。
著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。
+日本科学技術ジャーナリスト会議会長で
なんとマガジン9条にもコラムを持っていたwwww こんな奴はノーマークだったので自分自身にもワロタw .....orz
柴田鉄治のメディア時評|マガジン9
http://magazine9.jp/shibata/index.php

「2011年を考える」メディア不信を増幅させた年になったのでは-柴田鉄治-マガジン9
http://magazine9.jp/shibata/111228/

 2011年が東日本大震災と福島原発事故の年として歴史に残ることは間違いない。
一般に、大震災のような大事故が起こると、みんなメディアに注目するわけだから、
メディアの存在感が増すことは確かであり、今年はいろいろな意味で「メディアの年」だったことは事実であろう。
 しかし、メディアの「存在感」は増したとして、メディアに対する「信頼感」のほうはどうか。
どうも信頼度は高まるどころか減じてしまった、つまり不信感が広がったのではないかと思われてならないのだ。
 その原因は、大地震・大津波の報道にあったのではなく、原発事故報道にあったのではないかと私はみている。
地震・津波報道ではなかなか頑張ったのに、原発事故報道では、これまでも何度か指摘してきたように、現場に肉薄せず、
「発表依存」に陥ってしまった感があるからだ。
おめえの後輩達をまずdisれ。
「俺は安全厨!(=かつカリウム厨)」の久保田裕とか、
「科学は異端から生まれる!放射線ホルミシス効果はある!」とか書いてる論説委員・高橋真理子
山下俊一ageをしてしまった科学医療部長上田俊英や、
同じく「計画被曝状況1mSv/年なんて実はたいしたことはないんですよ」という趣旨の署名記事を延々と書き続けた
科学医療部論説委員浅井文和、 同科学医療部大岩ゆり
などなど朝日新聞科学医療部はA級戦犯のオールスター揃いじゃんw
つうか、自分から口封じしておいて、どの面下げてリベラル風に振る舞えるのか、謎だよな、朝日新聞ww

585 返信:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 01:41:30.71 ID:FJxBIfru0 [1/4]
572
自己レス
+日本科学技術ジャーナリスト会議会長で
これは間違い。柴田鉄治はJASTJの理事。
JASTJ会長は武部俊一で、元朝日新聞科学部長、論説委員。
元朝日記者が作っていた”情報誌”(=東電に買取りさせていたので総会屋とほぼ同じ仕組み)『SOLA』の寄稿者。
謝罪してお詫びする。ついでにリンクも貼る。

ぺたり
http://focusrisk.exblog.jp/13300578/
日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん インタビュー.
(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査
実施日時 2011年8月1日(月)14:00~16:00
対象 日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん
聞き取り調査者 角田季美枝、梅村松秀

2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?
(略)
※記録者補足
ホームページによれば、実施された勉強会は以下。
  • 4月例会 4月27日 「地層が訴えていた巨大地震の切迫性~貞観地震津波の痕跡からわかること~」 
講師:宍倉正展氏(産業技術総合研究所/活断層・地震研究センター海溝型地震履歴研究チーム長)
  • 緊急報告会 5月19日 「放射線健康リスク~福島からの報告」 
講師:山下俊一氏(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害医療研究施設教授)
  • 6月例会 6月14日 「日本的なシステムの諸問題」を語る 
講師 内田樹氏(前 神戸女学院大学教授)
まあ産総研の地震の人は専門家だろうけど、後は山下俊一と反動親父を呼んでのお勉強会なので
JASTJのレベルも推して知るべし。

586 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 01:51:10.59 ID:FJxBIfru0 [2/4]
585
更に自己レス
元朝日記者が作っていた”情報誌”(=東電に買取りさせていたので総会屋とほぼ同じ仕組み)『SOLA』の寄稿者。
寄稿していた事実も確認出来ないので訂正しとくね。
岸田純之助と元取締役論説主幹の田中豊蔵がごっちゃになっていた。
このスレに張り付いてROMっている朝日新聞社員にプゲラされるだろうなw 鬱だ士農

587 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 02:02:29.84 ID:FJxBIfru0 [3/4]
鬱だ士農と言ったがw 前言撤回 バキ( -_-)=○☆( >_<)アウ!
わお。その”情報誌”『SOLA』vol.78がアップされていた。

田中豊蔵
1933年東京都生まれ。朝日新聞政治部記者として自民党や政権中枢の取材を長く担当した後、
調査研究室長などを歴任。91年からは同社取締役論説主幹に就任し、朝日新聞の社論を代表した。
現在はジャーナリストとして政治から社会、教育などを幅広くテーマで活躍中。
1990年より財務大臣の諮問機関である財政制度審議会委員を務めている。別に御用科学部だけが東電人脈って訳じゃないんだな。
この人政治部だったのか。会社ぐるみのお付き合いか。


588 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 02:16:07.03 ID:FJxBIfru0 [4/4]
ええかげんせえよ☆\バキ(--メ)
すんません、『SOLA』のURLこっちです。
http://www.prop.or.jp/clip/2004_7/0412sola.htm

「情報誌」がデリられていないのは珍しいです。
詳しくは『週刊現代』2011年8月20・27日号
⇒現代ビジネス
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/16494
スクープレポート メディア最大のタブー 東電マネーと朝日新聞

電が朝日に出した年間広告料2億3000万円(推定、電事連等は除く)。それだけじゃない。
朝日有力OBグループは東電のPR誌を作り、それをすべて買い上げてもらっていた。
その額、年間1億4000万円!------原発推進のため、メディアにカネをばらまき続けた東電、
そしてそこにタカる大手マスコミ。歪な原発大国の生成過程を暴く

 腐っても鯛。朝日新聞社は今でも有力なオピニオンリーダーだ。だからこそ、原発を推進したい
東京電力は是が非でも抱き込みたかった---この国の原発推進の一翼を担ってきたのは大手マスコミである。

事故後にも買い上げていた

リードだけ。皆さん、『週刊現代』を買ってあげましょう(^O^)

601 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 00:09:13.65 ID:nACV9om00 [1/3]
朝日新聞 2012年1月21日 東京朝刊38面 社会面
食と放射能2

安全と供給 てんびんに

 会場は200人を超える消費者らで埋まっていた。16日、東京都内。食品の安全基準について政府と意見交換する会が開かれた。
 厚生労働省は放射性セシウムが含まれる食品を出荷停止にする新基準案を昨年末に公表した。
原発事故後から続けてきた暫定基準(肉や野菜は1キロあたり500ベクレル以下)を見直し、大幅に厳しくする内容だ。
 会場からの発言を受け付け始めると、せきを切ったように参加者の手が挙がった。
「暫定基準を続けてきたことに抗議したい」「基準はできるだけ低くしてほしい」「説明を聞いても納得できない」……。
予定の時間を過ぎても意見や質問は絶えなかった。
 もともと暫定基準は、原発事故直後に急ごしらえしたものだった。
国の原子力安全委員会が 1998年に示した計算など一定の根拠はあったものの、
「消費者への説明不足が暫定基準への不信を生んだ」(厚労省の担当者)。
一方で「厳しくしすぎたらほとんどの食品が出荷停止になり、食べるものがなくなりかねない」(同)との考えから、
暫定基準は維持された。
□□
 昨年7月、「暫定」ではない、平時の基準づくりの議論を始めた厚労省の審議会で、
一人の委員が食料の供給と結びつけることに異を唱えた。「規制を厳しくすると食べ物がなくなるとい うが、
ほかの地域から食料を手当てして(厳しい)規制を決めるべきだ」
 厚労省が厳しい基準づくりにかじを切ったのは、その後だ。放射性物質を含んだ食品を1年間食べた場合の被曝線量を推計した結果、全年齢の平均で0.1ミリシーベルトと比較的低かったことや、主食のコメでほとんど基準を超えなかったことなどを踏まえ、
厳しい基準でも供給に問題はないと判断した。
 だが、新基準づくりの議論は迷走した。厚労省の要請で健康影響評価を行なっていた食品安全委員会は、
いったんは健康への影響が出る障害累積線量を「外部・内部被曝を合わせて100ミリシーベルト以上」とした。にもかかわらず、
答申時に一転、「内部被曝だけで100ミリシーベルト以上」に。
なぜ外部は考えないのか、空間線量が高い福島県はどうするのか……。消費者の不信は根強い。

602 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 00:10:04.68 ID:nACV9om00 [2/3]
□□
 1986年のチェルノブイリ事故のとき、旧ソ連政府は内部・外部被曝合わせた全身の被曝限度を年間100ミリシーベルトに設定した。
その後、30ミリシーベルト、25ミリシーベルトと段階的に低くしていった。
旧ソ連崩壊後に引き継いだウクライナも長期にわたって見直しを続け、事故から20年たった2006年の改訂で、
内部被曝の限度を年1ミリシーベルトまで下げた。
 新基準は4月から適用される。昨年12月に新基準案が固まった直後、厚労省の担当者は
「今後、この基準値が変わることはない。
次があるとすれば、原発事故による放射能がなくなり、基準自体が必要なくなるときだ」と力説した。
 ただ、野口邦和・日本大歯学部アイソトープ共同利用施設専任講師(放射線防護学)は
「新基準は事故前の状況に近づけていくための第一歩」と指摘する。
「食品汚染の実態をみながら、内部・外部被曝合わせて年1ミリシーベルトに近づけていくべきだ」

――
なんか両論併記でポジショントークを図るキクマコ論法みたいになってきたなw
朝日新聞社会部、ここを読んで少しは気にしているの? 100mSvの基になったのはABCC調査なんでしょ?
ならABCC調査も対照群の採り方がおかしいとか突っ込めよ。
官僚にフリーハンドを与えておいて、決まった後になってから記事にするのって阿吽の呼吸があるよね。
食品安全委員会については科学医療部編集委員の浅井文和が賛同の提灯記事を書いたの覚えているよ。
つうか http://uni.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1323179628/736 の指摘
批判するときは、たいてい決まった後から批判する。
アリバイというか、ガス抜きというか、批判派が、決定を受け入れるための儀式を司る機関だね。
これ、思いっきり当たっているじゃん。
朝日新聞は由らしむべし知らしむべからずの官僚主導社会のガス抜きの儀式を司る祭祀役なんだな。

604 名前:地震雷火事名無し(WiMAX)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 00:25:08.34 ID:ZnsJM7Zu0
朝日新聞はよく右派から反日的と非難されるが、確かにモンサントギルドと結託して過剰被曝を推進し
東電や原子力村の責任は不問にする反日売国新聞だな。

657 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 21:24:19.36 ID:doXc8hMR0
朝日新聞 2012年1月23日 東京夕刊9面

原発とメディア72 容認の内実32

読売の巨人、朝日の科技庁

 1979(昭和54)年8月6日から3日間開かれた朝日新聞の原子力報道研修会の模様は、月末に出た東京本社の編集局報
「えんぴつ」で紹介された。毎月発行される「社外秘」の冊子だ。
 それがたちまち、社外に出た。
 届いた先は市民団体「原発モラトリアムを求める会」の代表の一人で、作家の野間宏。
原発を一時止めて、国民あげてその是非を討論しよう、と主張していた。
 9月下旬、同会は、朝日新聞社に対し、「原発に反対の立場で記事を書いてはいけない」などの点について考えを示せ、
と申し入れた。応対した科学部長木村繁(当時46歳)はこう回答した。
 「社論の如何にかかわらず、報道記事については中立公正をむねとしている。推進、反対のどちらにも偏することなく、
真実を報道していく」(要旨、求める会の機関紙「原発モラトリアム」創刊号から)
週刊ポスト10月5日号も朝日の研修会を取り上げた。取材記者に、木村が語った。
 「自動車事故では毎年六千人の人が死んでいるじゃないですか。なぜ自動車反対といわないんですか」
「それに比べて(略)スリーマイル島(原発)事故でさえ、一人の死者もでていない」
 週刊ポストは「自動車事故と原発問題が同次元で語れるものかどうか」と疑問を呈した。
 1年後の80年9月30日、読売新聞は、日本放射性同位元素協会が、科学技術庁の指導のもと、
放射性廃棄物を相模湾などに投棄した結果、海底土の汚染が確認された、と1面トップで報じた。朝日は同日夕刊で追いかけ、
「(汚染について)科学技術庁は(略)放射性廃棄物が漏れ出たものではないと判断」
「付近の魚介類への影響は全くない、と説明している」などと書いた。
 朝日新聞の紙面モニターを担当していた科学評論家の鎮目恭夫は、こうした報道を4件例示。
「朝日は科技庁の言い分にひどく偏っていると私は感じた」と編集局報「えんぴつ」(80年10月)で述べた。
 「読売は(略)巨人びいきの偏りがある」「(朝日は)巨人軍の代わりに科学技術庁あたりに肩入れしているみたい」
(編集委員・上丸洋一)
まあその意気やよし。
でも、相変わらず「死人に口なし」路線、木村繁-大熊由紀子ラインに全責任をなすりつけるのかw
岸田純之助や大熊由紀子はまだ生きているじゃん。
つうか、今気がついたんだけど、カール・セーガンの『COSMOS』の訳者の木村繁ってここに出てくる朝日新聞科学部長の木村繁なの?
教えて偉い人


▼ 660 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 21:41:05.64 ID:hee4n2wv0
657
ttp://www.ku-ma.or.jp/tpsj/Sagan/cosmos_06.html
ここを見るとそうみたいよ

▼ 729 名前:地震雷火事名無し(三重県)[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 17:48:59.87 ID:E7vyfTTq0
715
私も夕刊を毎日読める環境ではないので…… たとえば11月に掲載された分は全然読めてません。
というわけで、そのへん(朝日上層部の動向?)の話がこの「原発とメディア」でどこまで取り上げられているのかは、
はっきりと言えません。
大熊由紀子登場後の連載は、ようやく実際の紙面で確認。
大熊の推進イケイケ発言(どこかネジが飛んでる)が著書以外からも拾われていて、私は割と興味深く読んだ。たとえばこんなの。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
1/12 朝日夕刊 「原発とメディア」65 「容認の内実」25

(前略)
 大熊は、資源エネルギー庁の原子力発電課長らが出席した専門誌の座談会で、こう発言していた。
 「地震がきた時、原子炉は完全でも、建屋にひび割れでも入って、その写真が新聞、テレビに大きく出れぱ、
人々は原発を受け入れなくなる。逆に、中がめちゃくちゃでも、建屋が堅固で気密性が完全に保たれていれぱ、
人々を納得させることができる。地震が安全性のデモンストレーションのチャンスにさえなります」
(要旨、土木学会誌78年4月号)
――――――――――――――――――――――――――――――――――

あと、福島事故後の大熊の話を聞き出した(>>533)のも収穫。
けっきょくあの人、表だって大声で言わないだけで考え方は全然変わってない。その点を確認できた、という意味で。
ただ、大熊・木村繁・岸田純之助といった個人に責任をかぶせるだけでいいの?
というのは>>657で指摘されているとおり。
(たとえば原発推進広告の掲載が始まった話とかは、私の読んだ範囲の連載では出てきていない。)
それに、30年前、20年前の先輩の行状は追求できても、いま朝日も荷担している安心・安全PRに何も言えないんじゃ
反省になってないよな、とも思う。それこそ、上丸洋一記者1人に多くを要求しすぎかもしれないけど……。
だからまあ、今の朝日の社内で少数派の記者が書けるのはこれが限界、「原発とメディア」と「プロメテウスの罠」は
その範囲内ではよくやってるのでは、というのが今のところの私の判断です。

▼ 732 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 00:09:14.28 ID:lOXb8EPF0
729
それに、30年前、20年前の先輩の行状は追求できても、いま朝日も荷担している
安心・安全PRに何も言えないんじゃ反省になってないよな、とも思う。
アメリカの新聞は誤報はおkだけど、嘘はアウト、完全にアウトで即刻退場だそうです。
同業他社もそんな奴は雇わないので記者生命は一巻の終わり。
(ソース。上杉隆ww、烏賀陽弘道ww)
原発問題もほとんどの記者たちはおかしい、あれは嘘だと気がついていたと思うんですよ。
特に311後は電力や電事連からの圧力は無くなったので何でも書ける。
なのに、朝日新聞(主に科学医療部)がやったことと言えば、放射能安全デマですからね。完全に終わってますよ。
朝日新聞「報道と人権委員会」(PRC)に法曹か大学の教員が訴え出て、科学医療部の一人くらい吊るさないと目が覚めないでしょう。
だからまあ、今の朝日の社内で少数派の記者が書けるのはこれが限界、 「原発とメディア」と「プロメテウスの罠」は
その範囲内ではよくやってるのでは、というのが今のところの私の判断です。
ほら、官僚が原発関連の審議会をドライブする際に、「プロレス的なパラダイム」wとして反対派を必ず数人は呼んで
アリバイ作りにしているのと同じような気がするんですよね、朝日新聞に於ける『プロメテウスの罠』と『メディアと原発』が
果たしている役割は。
朝日は人事制度だけではなくて、自らの無謬性を疑わず、外部からの批判を受け容れないマインドも実は官僚にそっくりなので。
(ソース、関西の某私大でメディア論を教えている大学教員、元毎日記者→出版、元産経の部長)


▼ 734 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 00:18:50.89 ID:lOXb8EPF0
732
自己レス
朝日は人事制度だけではなくて、自らの無謬性を疑わず、外部からの批判を受け容れないマインドも実は官僚にそっくりなので。
(ソース、関西の某私大でメディア論を教えている大学教員、元毎日記者→出版、元産経の部長)
わかりにくい喩えですかね?彼らが異口同音に言うことは、朝日の人事制度はエリート官僚のそれの擬制だということ。
地方から中央に上り詰めていくシステム、早くも40代で枢要なポストに就く人も出るところもそっくりで、
大学出たての若造が、地方に行くと、名刺一枚でお殿様でいられるところも似ている(これは烏賀陽弘道さんソース)と。
同期から役員が出ると本社に残るのはかなり難しいところもキャリア官僚のそれと瓜二つだと。
専門性を持ち、水俣病や薬害エイズや薬害肝炎を隠蔽してきた厚労省の技官が科学医療部に相当するんですかね?

▼ 743 名前:地震雷火事名無し(三重県)[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 10:49:07.67 ID:exfCgjrK0
732
官僚が原発関連の審議会をドライブする際に、「プロレス的なパラダイム」wとして反対派を必ず数人は呼んで
アリバイ作りにしているのと同じような気がするんですよね、
まあ、そんな感じかもしれませんね。
ETV特集とかNNNドキュメントとかANNテレメンタリーとかが夜中にひっそりアリバイ的に放送されてるのと似てるかな?

「原発とメディア」で興味深いのは、'70年代の朝日で「御用」っぽい記事が作られたときの記者の振る舞いが
細かく描写されていること。
軽水炉の安全性を疑問視する科学部の吉本光一。本紙では木村繁デスクに却下され、
『朝日ジャーナル』で書いたら北海道報道部に飛ばされる。
科学部の大熊由紀子。被曝労働者が訴訟を起こすと、原告本人に取材せず、原子力村だけに取材して、
「ニセ患者」だと印象づけるような記事を書く。
木村繁科学部長の発案で大熊が連載「核燃料」を執筆。木村も記事に手を入れる。
 この連載を批判的に見ていた科学部の溝江昌悟記者の回想。
「ただ、科学部内では議論の機会はありませんでした。 私自身は、あのような記事は書くまいと思っていましたけれど」

調査研究室が「原子力共同研究班」を発足。キャップは大熊。
 東京・大阪・西部・名古屋から集めた5人の記者で編成。 大阪本社から参加したのは泊次郎。伊方訴訟の取材をしてきた記者。
 泊は初日に科学部の部会に呼ばれる。「君は原発を危険なものと考えているらしいが、それは間違いだ」
 この共同研究班は半年かけて社内資料「原子力発電の手引き」を執筆。 泊は「原子力発電と安全性」の章を担当。
 しかし大幅に改変されて(誰に?)、 安全性が強調されていたので、泊は署名を入れることを断る。

愛媛版に伊方訴訟の原告の手記を6回連載。
 松山支局員の道家哲実が毎回解説を執筆。その連載の後、「紙面上のバランスをとるため」、伊方原発の建設所長、県公害課長、
 伊方町長の感想を1本の記事として載せる。

……こういうことはいつまで続いたのだろう。
というか、3/11後の紙面を見る限り、今でも続いてると見るべきなんでしょうかね。

▼ 750 名前:地震雷火事名無し(家)[sage] 投稿日:2012/01/27(金) 19:34:01.29 ID:9uhepdPW0
742-745
この辺りのやり取り見てると、御用概念が意外にあいまいなのが気になるな……

反原発で放射性物質の危険を説いてきた人。
一部意見の相違があるだけで、それを軽々しく「御用」と認定するのは、個人的には反対だけどね。
反原発なら多少間違ったことを言っても○ということになりかねないと思う。
それこそ反原発で勇ましいこと言ってるだけの人は「正義の人」になっちまうんだよな……

804 名前:地震雷火事名無し[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 21:16:40.67 ID:???
朝日新聞 2012年1月30日 東京夕刊9面
原発とメディア77 容認の内実37

いわき支局の決断

 米スリーマイル島原発事故が起きた1979(昭和54)年のことだ。
 朝日新聞大阪本社で科学報道にあたっていた当時36歳の友清裕昭(68)は、
 東京の科学部長だった木村繁(当時47歳)と激論に及んだ。
 「朝日が原発を批判したら、日本の原子力開発はダメになってしまうんだ」木村はそう主張して譲らなかった。友清が反論した。
 「いや、仮に朝日が大反対しても、原子力開発は前に進んでいくでしょう」
 国策である原子力開発を新聞は後押ししなければならない、と木村は考えた。
 木村は「記者席」ではなく、「応援団席」に座っていた。そこに木村(87年、55歳で死去)の信念と過誤があった。
 ただし、原発容認は、科学部長一人の考えではなかった。「原発=科学」「反原発=非科学」と考えたのも
 朝日で木村一人ではなかっただろう。朝日新聞が社論としてきた「イエス・バット」論は、
 原発への漠たる信頼の上に成り立っていた。
 その後も朝日新聞は、事故などのたび、社説で安全管理の徹底を厳しく求め、慎重に原子力開発を進めるように注文をつけてきた。 しかし、平時において原発の安全性や労働実態について、具体的に事実を掘り起こし、問題提起することはまれだった。
 朝日新聞東京本社の社会部員だった飯塚真之(76)が福島県のいわき支局に支局長として赴任したのは79年1月だった。
 当時43歳の飯塚は、着任後しばらくして2人の支局員、当時33歳の金森定博(66)と、27歳の粕谷卓志(60)に持ちかけた。
 「『原発』をやろうじゃないか」
 東京電力福島第一原発は、支局から車で約1時間。原発とその周辺を取材して、福島版にルポを連載しようとの提案だった。
 飯塚は社会部で通産省を担当、エネルギーや電力について取材してきた。粕谷は1カ月前まで青森支局員。
 金森は1年前まで青森県のむつ通信局長。それぞれに原子力船「むつ」をめぐる動きを追ってきた。
「やるべきです」「やりましょう」
 折りしも3月、米スリーマイル島原発で事故が起き、原発への関心が高まった。4月の統一地方選をへて、
 取材に着手したのは5月の黄金週間明けだった。
(上丸洋一)
いやだから、木村繁はもういいから、大本営発表をした挙句、山下俊一に「朝日がん大賞」を授けた現在の科学部長上田俊英と
放射線ホルミシス効果を唱える科学・医療担当論説委員高橋真理子、「1mSv/年の被曝なんてたいしたことないんですよ」と
主張し続けてきた同編集委員浅井文和、浅井と同じ主張をする科学医療部大岩ゆり、
そしてカリウム厨で自称・放射能安全厨の科学部久保田裕の公開処刑はマダー?
今の科学医療部をdisれるかどうかで検証の価値は決まるよ、上丸さん?
死んだ人に責任を擦り付けてお終いじゃ、読者は納得出来ないよ。

840 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 19:53:31.26 ID:???
朝日新聞 2012年1月31日 東京夕刊13面
原発とメディア78 容認の内実38

春の日差しの中で

 朝日新聞福島版の連載「原発の現場」は1979年(昭和54)年5月17日から始まった。最初のシリーズは「スリーマイル島の日」。
 米原発事故を受けて、東京電力福島第一原発や自治体の職員がどう動いたかを描き出した。
 次のシリーズでは、73年に起きた放射性廃液の漏出事故を取り上げた。
 「原発とその周辺で何が起きているか、事実をありのまま書こう」それが連載の方針だった。
 いわき支局員の金森定博(66)と粕谷卓志(60)が交代で取材にあたり、支局長の飯塚真之(76)も一部を担当した。
 初めは警戒した東電も、次第に朝日の報道姿勢を理解するようになったという。
 取材先は原発にとどまらず、広く地域社会全体に及んだ。原発の清掃などを請け負う会社の営業所長、
 米原子炉メーカーから派遣されてきた米技術者、原発に反対する住民、弁当を納入する商店主、作業員向けの下宿屋、
 町村長、労基署、学校……。
 下請け作業員として原発で働いた地元の数人にも話を聞いた。一人が言った。
 「町にはこれといって働く所はない。放射能のある所でもまあしょうがない。あと三カ月か半年やってみっぺ。
 といってはずるずる長くなるんだよ」(11月23日付)
 電源三法交付金で潤う地域社会の変化にも目を向けた。福島第一原発が立つ大熊町の町長、遠藤正はこう語った。
 「原子炉の寿命が尽きる四十年後に(町が)どうなるか。これは神さまに予言してもらうしかないな」(80年1月12日付)
 80年3月15日、粕谷は、下校途中の大熊中3年生10人に原発をどう思うか尋ねた。
 「安全だっていうけど、なんか信用できねえ。関東大震災級の地震でも大丈夫というけれど、これは理論上の話だと思う。
 心配だよな」
 男子生徒がそう答えた。10カ月間、198回に及んだ連載を、粕谷は次の一文で結んだ(3月31日付)。
 「将来、必ず原発問題と直面する子どもたちだが、今は屈たくなく、素直で明るい。浜通りの春の日差しもまぶしかった」
(文中敬称略、編集委員・上丸洋一)
◆「容認の内実」は今回で終わります。次のシリーズは「対立のはざまで」です。
        ∧∧
       ヽ(・ω・)/   ズコー
      \(.\ ノ
    、ハ,,、  ̄
     ̄
御用の極み現役科学医療部disりは結局無しなのかw ヘタレなんだな上丸さんww

845 名前:御用ハンター ◆KpndY5V4Sc [sage] 投稿日:2012/01/31(火) 21:15:13.78 ID:???
朝日新聞話法 「偽善者」の論理。~「プロレスの負け役」としての朝日新聞~

話法1 事実が確定していない段階からドラマ・小説形式の創作を行い、先入観をもたせる。
話法2 そもそも前提について争いがあるのに、その前提はきまったものとして議論をすすめる。
話法3 自らの世論誘導に決定的に不利になる事実はないものとする。
話法4 われわれはしっかり報道していたという特集(検証報道)を組む。
話法5 (本当は自らの構造、性質上の話なのに)虚偽報道をしてしまったのはある一つの原因であり、その原因がとりのぞかれたのでこれからはしっかり報道していけると(そんな確証はないのに)自信満々に語る。 
話法6 もともと知っていたことを決まった後からもっともらしく批判する。
話法7 公正な議論のようにみせかけて、強力で説得力ある反対論者には寄稿させない。
話法8 「情報を見極めてただしく対応しよう」という一見中立的なよびかけをしながら、じつはその言葉は本文ではすでにある文脈上に位置づけられていて結論が決まってしまっている。
話法9 ほんの小さなべた記事を出すことで、その問題を我々は充分に報道しているというアリバイをつくる。
話法10 「われわれメディアは○○を軽視してはいなかったか」などの見せかけの自己批判を行い、誠実さを演出する。 東大話法規則15

ざっとこれくらい思いついた。

840
もうひとつ。
話法12 「春、きらめく未来」などの前向きな言葉を最後に使うことで現状維持を暗に強調する。

対立のはざまで
もうどんなのか大体わかるw 中立病w
15 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 18:28:31.49 ID:eIq/FBmA0
朝日新聞 2012年2月1日 東京夕刊11面
原発とメディア79 対立のはざまで1

科学部の新しい血

 1979年3月に起きた米スリーマイル島原発事故から間もない4月4日、大阪で原発批判派の大学講師らが開いた記者会見を
朝日新聞大阪本社社会部の泊次郎(とまり・じろう)(67)が取材した。
「炉心の4分の1が溶融状態にあり長期間危険が続くとみられる」と分析した。原稿を出すと、
東京の科学部から大阪の社会部デスクにクレームがついた。「発表はデタラメだから載せるな」。
記事を短くし大阪本社用に再出稿した。途中版には載ったが、最終版では姿を消した。
 科学部長の木村繁が5月12日、大阪・中之島で一般向けに講演をした。演題は「米国原発事故のすべて」。
泊も聴いたが、「大した事故ではない」という主張に納得できなかった。終了後、泊は木村に異論を唱えた。
場所を喫茶店に移し、「炉心溶融があったはず。重大な事故だ」と食い下がったが、木村は「全く違う」とはねつけ、
こう告げたという。「俺の目の黒いうちは、君を科学部に呼ばない」。炉心溶融が確認されたのは85年のことだった。
 木村とのやりとりがあった頃、泊が行きつけのスナックに足を運んだ時のことだ。待ち構えていたかのように、
原発取材で知り合った関西電力の幹部がささやきかけてきた。「科学部を希望しているんでしょ」
 大学で地球物理を学んだ泊は、地震や地球科学を本格的に取材したいと、確かに科学部志望を固めていた。
ただ、社内の一部しか知るはずがない人事の希望を、電力会社の人間に言い当てられ、絶句した。
 翌80年1月に木村が科学部から去ると、雰囲気がやや変わった。原発に批判的だった大阪本社学芸部員の友清裕昭(68)が81年1月、科学部員となった。泊も82年6月に続いた。木村の後任である柴田鉄治(77)が、「新しい血」として迎えた。
 柴田は科学部長として、原発についての見解を記した。「先を急いで安全性を軽視することは許されません。朝日新聞は、これからも厳しい目で見守っていく所存です」(81年5月31日付)
     ◇
 80年代以降、原発事故が相次いだ。推進、反対両派の対立が解けぬ中、メディアは事故報道に追われるばかりだった。
何が欠けていたのか。
(編集委員・川本裕司)
「科学部を希望しているんでしょ」(略)大学で地球物理を学んだ泊は(略)確かに科学部志望を固めていた。
ただ、社内の一部しか知るはずがない人事の希望を、電力会社の人間に言い当てられ、絶句した。
なんだこれw 電力会社がメディアの人事情報を握っていたとは。


454 : 地震雷火事名無し(大阪府)[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 11:09:59.70 ID:UVYuGmlE0 [1/1回(PC)]
(WiMAX)さんがまたなにか言うだろうなあと思うけど
朝日新聞の科学部の仕事があまりにも酷過ぎるので貼っておく

これが今日の朝日新聞の一面の記事
福島事故の甲状腺集団線量「チェルノブイリの1/30」
http://www.asahi.com/national/update/0527/TKY201305260335.html
国連科学委員会だけの話を取り上げて >>450の話をしないところが片手落ちだと思います
科学面は月・木曜日掲載で、J-PARCの事故以来初になるわけだが、それについては全く触れず、
まあ、これは百歩譲るとしても、それを載せずに一面に出てきてああいうことを言うのは恥ずかしくないのだろうか
J-PARCの事故に対するKEKの加藤和明氏(ホルミシス支持派である)の
批判的なコメントを取り上げた記事はなぜか社会面に載っていました
「福島事故と体質同じ」 ファンにフィルターなし 東海村の放射能漏れ、識者も批判
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305260463.html

放射能安全派とか危険派とかそれ以前の問題、科学部いらねえ……

455 : 地震雷火事名無し(やわらか銀行)[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 13:19:23.47 ID:IYCcLjyb0 [1/1回(PC)]
454
横浜黒猫氏のツイートによれば、首都圏版?には記事の最後に↓のような解説部分がある模様。
うちの地方の版にはなかった。
ま、そんな解説つけたところで、こんな見出しを一面トップにしたら、「たいした被曝ではなかった」という印象だけが残るよな。
うちの家族もそういう風に読んでた。

https://twitter.com/Tomynyo/status/338774789592330241
黒猫(横浜) @Tomynyo
http://twitpic.com/ctgyte 今朝の朝日の一面 チェルノブイリの1/30 福島事故 
国民全体の甲状腺被曝
6:52 AM - 27 May 13

https://twitter.com/Tomynyo/status/338775590129770497
黒猫(横浜) @Tomynyo
記事の最後には、低線量被曝による健康影響もまだ十分に解明されていないとも指摘した。
報告書は数年後に、新たなデータを踏まえて見直される予定だ。と書かれいる。
6:56 AM - 27 May 13


最終更新:2013年05月27日 13:49