朝日新聞のリストラ


666 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 21:56:30.26 ID:OPN/qh+C0
朝日新聞デジタル>マイタウン>茨城 原子のムラ 2012年01月31日 (21) 科学技術の「善」宣伝
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08001171201310001

 1956年12月、県内に「郷土のほこり」と題したパンフレットが配られた。表紙は、東海村で建設中の第1号原子炉の写真。
翌年に水戸市で開かれる「原子力平和利用茨城博覧会」を記念し、朝日新聞が作った。

 内容は原子力の恩恵を強調したものだった。「原子力は世界の産業に革命を起こすだろうといわれている」。水戸支局の
木村繁が茨城版の連載コラム「原子力の豆知識」を基に書いた。

 当時の水戸支局の原子力担当は、24歳の木村と27歳の今井隆吉(82)。2人とも理系で科学記者として採用された。

 パンフレットにはこうも書かれていた。「朝日新聞社は二人の科学記者を水戸支局に常勤させて、この歴史的な建設工事の
報道に当らせています。『原子力県民』としてのほこりをもって、工事を見守りましょう」

 57年の元日から始まった博覧会には、36日間の会期で、県民の1割にあたる22万7千人が来場した。「原子力ようかん」
「原子力まんじゅう」が土産として売られた。木村の連載も冊子になり、土産物屋に並んだ。1冊50円、飛ぶように売れた。

 博覧会の皮切りは55年11月、読売新聞社と米広報庁が共催し東京・日比谷で開いた。この年の新聞週間の標語は
「新聞は世界平和の原子力」。博覧会はその後、2年かけて茨城を含む全国10カ所で開かれ、各地で新聞社が主催や後援についた。
茨城博覧会でも茨城新聞社が主催者に名を連ねた。朝日新聞社は京都と大阪で主催した。

 博覧会では、原子炉の模型や人間の手の動きを再現する「マジック・ハンド」などが展示され、科学技術が開く明るい未来を
アピールした。原子力の危険に触れることはなかった。第五福竜丸被曝(ひ・ばく)で高まった原水爆禁止運動や放射能の
脅威への警告を、メディアはキャンペーンでかき消していった。

 「当時の世論は科学技術への素朴な信仰心に満ちていた」。朝日新聞で後に科学担当の論説委員として社説を書いた
柴田鉄治(77)は、そう語る。戦中の非科学・非合理性への反省と、科学技術立国としての復興の姿とが重なり合っていた。
「科学の素晴らしさを伝えるのが我々の仕事」。木村の口癖だった。

 さらに、「平和利用」という言葉には、絶大な効果があったという。原水爆は「悪」で平和利用なら何でも「善」――
そんな二元論も支配的だった。

 「軍事利用の原爆で負けた日本人にとって、平和利用という言葉は麻薬だった。自分もその麻薬に酔っていたんだろう」

 木村の後任に24歳で水戸支局に赴任した柴田も、原子力まんじゅうを土産として友人に配ってまわった記憶がある。

 原子の火が東海村に初めて灯(とも)った57年、朝日新聞は科学部を創設した。水戸支局の今井は58年に朝日を辞め、
日本初の商業用原発会社の日本原子力発電に入社する。木村はその翌年、科学部に異動、75年には科学部長になった。
なんだこれ?大熊由紀子を抜擢して「核燃料」の連載を持たせた原子力推進が持論の科学部長・木村繁と
日本原電に転じて日本の原子力の理論的支柱になった今井隆吉が揃って水戸支局勤務だった?
で、マガジン9にコラムを持っている柴田鉄治が解説するのかw. なんという三題噺なんだ、これはw
朝日新聞さん、こういう良質な記事は地方版の連載で埋もれさせるなよ。これ「プロメテウスの罠」と「原発とメディア」よりも数段マシな記事じゃん。
こういう記事は全国版に載せろよ。カリウム厨の久保田裕や放射線ホルミシス効果を唱える高橋真理子みたいな真性どもには平気でスペースを提供する癖に。
これ、若手の不満が鬱積していて爆発寸前っての事実なんだろうな。爆発というよりも「上はどうせ変わらないから・・」とマインドが腐食し切っていると聞いた。

▼ 667 名前:地震雷火事名無し(家)[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 22:06:34.86 ID:U0myfhmd0
666
こういう記事を書くのは、どちらかと言うと若手よりは出世ルート外れた中堅以上の層。
だから地方じゃないと掲載されない。

▼ 669 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 22:21:34.15 ID:OPN/qh+C0
667
昨春完了した朝日の大リストラのせいで、まさに出世ルートから外れた中堅層がごっそりいなくなったそうです。
大リストラをおこなう前には4本社にそれぞれ遊軍もいたそうですけど、ほとんど切ったそうです。
なので原発事故では全国から若手をかき集めて数百人体制を組んだそうなんですよ。それで張り切って出稿しても全部ボツになると。
東京本社科学部がおかしいらしいです。地方支局は科学部の編集権は及ばないので、反原発などでも、事実報道であればそこそこは書ける。

でも、この書き手は歴史をよく知ってますから本社に戻れない中堅記者である可能性はありますね。


▼ 690 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2012/03/15(木) 07:10:38.65 ID:XGxGczYC0
669
先日、八重洲で神保・青木・高田のトークショーに行った際も聞きましたね。
実力者でも給料が高いってだけでリストラ。結果的に社として大幅にパワーダウンしたと。
最終更新:2012年12月27日 22:10