練玉艶

※この人物の元ネタはただ今考察中です

考察① 武則天(623年(武徳6年)?-705年12月16日(神龍元年11月26日))(実在)>>【wikipedia】
唐の高宗の皇后。中国史上唯一の女帝となり、武周朝を建てた。
漢代の呂后、清代の西太后とともに「中国三大悪女」の一人に数えられる。
簒奪を計画し失敗した韋后と並べ武韋の禍と呼ばれるため、負のイメージで語られることが多い。
しかし漢の武帝と共に「不明というべからず」と表現した宋代の洪邁や、「女中英主」と評価した清代の趙翼のような例外も存在する。

出典表記:諱は武照(武曌)、幼名は媚娘
在位:690年10月16日-705年2月22日
王朝:周
名前由来:日本では則天武后(そくてん ぶこう)と呼ばれることが多いが、これは彼女が自らの遺言により皇后の礼をもって埋葬された事実を重視した呼称。中国では、皇帝として即位した事実を重視して「武則天」と呼ぶことが一般的。
出典:『則天武后』、『武則天』などで幾つか書籍あり。
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考察②妲妃
殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)の紂王の妃。帝辛に寵愛され、末喜などと共に悪女の代名詞的存在として扱われる。
酒池肉林や炮烙、長夜の飲などを行い、周によって攻められた際に武王により殺された時「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評論された。
日本では玉藻前(たまものまえ)の伝説として知られている。
表記:妲己(だっき)、ピン音(Dájǐ)
出典:『史記』「殷本紀」『全相平話』『封神演義』
最終更新:2013年07月09日 09:22