FNN NEWSCOM

テーマ音楽は関口敏行である(1991年以降はそのアレンジ版が使われた)。
英字タイトル、FM放送を思わせるような効果音、モダンジャズに洋楽、洗練されたイメージのスタジオ等、都会的で欧米志向・スタイリッシュ・アップテンポといった、この時代に好まれたキーワードが反映された。

初代(1990年4月 - 1991年3月)

銀色の背景に赤い球が出てきて、そして人の影が突然出てきてその球をキャッチする。そして、その球が光った後に青い曲線と直線が発生して、直線の下から「NEWSCOM」という文字が流れ出てくるもの。
タイトルコールは当初は男性コーラスで「FNN NEWーSCOM!!」とハモるものだった。

2代目(1991年4月 - 1992年3月)

紺色の背景に人の影と「FNN」「NEWSCOM」が両側から重なり発光、右から球が現れると曲線と直線が現れる。
BGMがアレンジ版になり、タイトルコールも男女混声コーラスとなる。BGMは途中でマイナーチェンジされ、3代目・4代目も変更後の物を使用。

3代目(1992年4月 - 1993年3月)

オープニングのみ背景がニュース映像になる。
人の影と「NEWSCOM」が右から重なりながら現れ、球と「FNN」が飛んできて合体、曲線と直線が現れタイトルロゴが完成する。
エンディングは深緑色の背景に中央にタイトルロゴ、右下に「END」の表示。

4代目(1993年4月 - 1994年3月)

ニュース映像を背景にタイトルが作成されていくCGアニメ。
エンディングはニュース映像の背景にタイトルロゴと「END」が左右から出現する。

スタジオセット

スタジオセットはジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインが担当。

1990年4月 - 1992年3月

灰色・赤色を基調としたもの。テーブルは二つに分かれており、左側に木村・女性キャスター(山口・島森→山口・八木→長谷部→近藤・金曜担当女性キャスター)、右側に男性キャスター(青嶋・川端→青嶋・金曜担当男性キャスター)が着席(週末は左側に男性キャスターが着席)していた。
二つのテーブルの前には世界地図があった。

1992年4月 - 1994年3月

深緑色を基調としたもの。テーブルは一つにまとめられ、座る位置は左から長谷部(1992年6月までは近藤・金曜担当女性キャスター)・木村・青嶋(金曜担当男性キャスター)という順。
先代同様、テーブルの前には世界地図があった。
1993年4月にマイナーチェンジ。
1993年10月1日から、金曜日はスタジオではなく羽田空港ビッグバードからの放送だった。
1994年3月31日の最終回は後継番組『ニュースJAPAN』のセット建て込み工事の関係で報道センターから放送。
番組内容が迷走していた時期に一度だけ青嶋の進行で「ゴミ特集」が放送されたことがあり、世界地図上が視聴者からのFAXで埋め尽くされ、ゴミ袋が黒から半透明に代わったことについて、青嶋がゲストの東京都の担当者を問いつめるという中途半端な内容であった。

エピソード

1993年7月18日(日曜日)の放送は、第40回衆議院議員総選挙のため拡大版となり、特設スタジオから安藤優子がメインキャスターを務める討論番組として、通常の本番組とはまったくの別内容で放送された。
この日はストレートニュースの放送がなく、平日メインキャスターの木村太郎や通常の週末担当者である牧原俊幸は登場しなかった。
年末年始も、12月31日を除いて休まずに放送された。平日の場合はその曜日を担当する男性サブキャスターが1人で担当した(青嶋はなぜか斜め45度左を向いて座っていた)。15分短縮版で、週末版と同じ構成であった。ただし、平日の場合は、平日版同様に、CM前にジングル音が流れた。
当番組放映期間中は「湾岸戦争」や「雲仙普賢岳噴火」、「ソ連8月クーデター」、「釧路沖地震」、「北海道南西沖地震」といった様々の事件や出来事が起き、報道フロアから放送したことが何度かあった。
この番組は、『FNS27時間テレビ』に、コーナーとして放送された。
1990年7月21日は、当時金曜日の男性サブキャスターだった川端が銀座にある実家のたばこ屋(川端たばこ店)を中継した。
1991年7月20日は、当時『クイズ!年の差なんて』の女性司会であった山田邦子と当時フジテレビアナウンサーで『FNN World Uplink』の男性司会でもあった露木茂が担当。
1992年7月18日は、元フジテレビアナウンサーの逸見政孝とタレントの岡本夏生[10]が、それぞれキャスターを担当した。この時のリハーサルでは岡本夏生のあまりの自己紹介の仕方に、隣に座っていた近藤サトが爆笑していた。
1992年10月に『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!2周年記念スペシャル』にて番組のパロディーコントがあり南原清隆が木村の、内村光良がオープニングで金丸信の物真似をした。
1993年12月25日(24日深夜)の放送では木村太郎が、番組冒頭で“逸見政孝が重篤になった”事を伝えていた。
1993年ごろ、『火曜ワイドスペシャル』で、力士姿の田代まさしが1日で列島を縦断して全国のテレビ番組に見切れるという企画があり、日曜日のエンディングで牧原の後ろで四股を踏む姿が映ったことがあった。

その他

関西テレビ

ローカルセールス扱いであった日曜日のみ、エンドタイトルをブルーバックに差し替えていた。
上に「FNNニュースCOM END」、下にスポンサーを表示していた。
上記のように当時、日曜日のエンディングにスポンサー表示を挿入する時間がなかったため。

福井テレビ

東海テレビ

オープニングはタイトルロゴの右下に「協力 中日新聞」のテロップを一瞬だけ出していた。

tssテレビ新広島

ローカルセールス扱いであった日曜日のみ、オープニングでは提供ベースが空欄だったにもかかわらず、
現在の新潟総合テレビの『ニュースJAPAN』と同様に提供ベースが強制的にブルーバックに差し替えられ、音声も途切れていたほか、エンドタイトルをブルーバックに差し替えていた(画面上部にスポンサー、下部にエンドタイトルを活字で表示)。
上記のように当時、日曜日のエンディングにスポンサー表示を挿入する時間がなかったため。

テレビ西日本

初代オープニング時代、フジテレビで制作・使用していたオープニング[5]に「TNC 西日本新聞」の文字が流れ出てくる独自加工を施したものに差し替えて放送していた。二代目以降のオープニングは差し替えずにフジテレビから同時ネットしたが、タイトルコール中は画面の斜め下に「TNC 西日本新聞」という表示を挿入していた。

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最終更新:2023年05月31日 16:49