緑道の歴史

1970年代~:暗渠の埋め立てによる緑道整備

記録の中で1番古くに整備されたとされる緑道は、1974年開園の烏山川緑道(東京都世田谷区)とされています。
大都市部(特に東京)では、生活排水による河川汚染が深刻化し、景観は損ね、悪臭を放つようになりました。
それにより、コンクリートで川に蓋をする「暗渠(あんきょ)」が中小河川で行われました。
しかし暗渠では見栄えが悪いことから暗渠の上に整備されたのが、廃河川型の緑道です。
この方式による整備は1990年代までは盛んに行われましたが、2008年の目黒川緑道(東京都目黒区)が最後とされ、水道道も含めると2014年の相模が丘仲良し小道(神奈川県座間市)が最後とされています。

 

1980年代~:ニュータウンの造成による緑道整備

1980年、日本初の緑道を設けたとされるニュータウン、汐見台ニュータウン(宮城県宮城郡七ヶ浜町)がオープンします。
このあとから全国各地(おもに郊外)のニュータウンで次々緑道が導入され、港北ニュータウンや千葉ニュータウンなどの大規模団地にも取り入れられ、今では一大勢力となっています。
以前ほど大規模な造成がされることは少なくなれましたが、今でもニュータウンが造成されると緑道が設置されていることが多く、ニュータウン整備型の緑道は今後も増加が見込めます。
最近では防災集団移転促進事業により東北地方及びニュータウン造成の多い茨城県、滋賀県で特に増えています。

 

1990年代~:鉄道廃止による緑道整備

1980年代になると、当時の日本国有鉄道(JRグループの前身)が全国各地で特定地方交通線を指定し、多くの路線を廃止に追いやりました。
また、日本国有鉄道が貨物事業を大幅に縮小したために地域の小規模私鉄がのきなみ廃線になりました。
線路の土地は自治体に渡りますが、幅が3m程しかないので住宅を建てるにも狭く、道路を整備しようにも交互通行でしか道を通せません。
そこで全国の自治体で、廃線のうち市街地の区間を緑道として整備しました。これが廃鉄道路線型の緑道です。
2000年代には廃線による緑道整備は落ち着きましたが、2004年開園の東横フラワー緑道(神奈川県横浜市)を筆頭に、連続立体交差化事業で地下化した線路の上に土を被せ、緑道を整備することが増えてきています。

 

2000年代:緑道の名の付く駅の登場

2008年3月30日、日暮里・舎人ライナーの開業により見沼代親水公園駅が設置されます。この駅は終着駅のため全国ニュースでも取り上げられ、一躍有名になりました。
また2日後の4月1日には岡山電気軌道の西川駅が西側緑道公園駅に改称。初めて「緑道」という字が駅名に使用されました。
このように緑道の知名度が大きく向上したのは2000年代になってからです。

 

2010年代~:老朽化に伴う一時閉鎖とリニューアル

2010年代になると、日本初の緑道とされる烏山川緑道を始め、北沢川緑道、蛇崩川緑道など東京都世田谷区を中心にの改修リニューアル工事が始まります。
そのため改修期間中は一部区間が閉鎖され利用できないことになりました。
その後順次改修が終わり、今ではより身近に使いやすい緑道として生まれ変わりつつあります。

 

このように、緑道の成り立ちに種類があることにより、都市部から郊外まで多くの地域で緑道を目にすることができるようになりました。皆様も緑道@wikiから探してみてはいかがでしょうか?

 

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最終更新:2017年02月02日 11:31