伊月の戦争

内容に対するツッコミは、本を読んでから実行して下さい。読まずに憶測でこうだろうと決めつけて「オカシイ」と指摘してはダメです。

概要

伊月の戦争って?

第11回スーパーダッシュ小説新人賞特別賞を受賞したライトノベルです。
2011年10月締切、2012年4月選考、同年11/22刊行。
人物、世界観、物語の展開などでPSO2との類似性が指摘されています。

ペンネームは涼野遊平ですが、受賞ページには宇野良平で掲載されています。
宇野のツイートや挿絵描きとの相互フォロー、主人公の髪型のデザイン(下記参照)もあって、同姓同名の別人ではなく本人である事が確定しています。
http://dash.shueisha.co.jp/sinjin/sd_11.html



スーパーダッシュ文庫新人賞って?

集英社のライトノベルレーベル「スーパーダッシュ文庫」主催のライトノベル新人賞。
電撃文庫、角川スニーカー、富士見ファンタジアなどの大手レーベルの新人賞と比較しレベルとしてはかなり劣るとされる。
応募総数を例に挙げると、「伊月」が特別賞を受賞した11年の応募作は電撃が5000作超に対しSDは1000作に満たない。
下馬評では2chラノベ板の同文庫スレ住民に「今年もダメか」と言われるレベル。
現在は「集英社ライトノベル新人賞」へと引き継がれているが、年々応募数が減少しつつある。

受賞の経緯

※憶測です※
宇野が応募の際にPSPo2iのシナリオライターであると書き、それをSD文庫編集部がこれは金の卵がキタ!と勘違い
上手くいけば、自分達が今後のファンタシースター作品のノベライズ版を出版できる可能性が生まれる為、
「お偉いさんが内容を見ずに最終選考へ残した出来レース」である可能性があるのでは? との推測がされた。

その根拠としては、伊月の戦争のあとがきページに宇野本人が担当編集にそう言われた、と書いていることが上げられる。
担当「君のはどうして最終選考に残っていたのか解らないんだよね」
〃 「まずは80ページほど削ってみようか」
宇野「これいじょうけずれません」


ちなみに当時のSD文庫編集長は週刊プレイボーイからの出向であり畑違いである。
受賞者の中にはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の丸パクリをやらかした馬鹿も混じっており、どの程度のレベルの賞なのかも伺えるというもの。
後述するが『伊月の戦争』もゲーム『高機動幻想ガンパレード・マーチ』をはじめ他作品を大いにパクっており
事実上2012年の特別賞は「どちらがより上手にパクれたか」の競い合いになったとさえいえる。
しかもあちらは続編が刊行されているため、結果としては『伊月の戦争』よりも「読める」作品だったということだろうか。
もう一人の特別賞受賞作家は受賞時17歳と期待値込みの受賞。
当時29歳の宇野が受賞できたのはちょっとでも売れそうな物を受賞させようという大人の事情だったのではないか、という指摘もある。


あらすじ

――世界は一度、終わってしまった。
戦争がなくなるはずだった世界。
しかし人類にとって不倶戴天の敵である『影獣』の出現により、満十二才以上の学徒すら動員される時代。
鴨志田戦区所属の学徒部隊・天宮隊の隊長を務める天宮伊月は、隊員であり幼馴染みである
御永祥陽、能登飛鳥、六反田鴻と共に、思慮を巡らせ策を弄し、生き延びるための戦いを続けていた。
日常的に繰り返される戦闘のさなか、影獣に追い詰められた伊月たちは、しかし謎の発光体によって命を救われる。
後日再会した発光体は、影獣発生の原因を伊月たちに告げ、その対抗手段となる『力』を託していった。
伊月の指揮の下、祥陽、飛鳥、鴻はそれぞれ託された力を手に戦場へと向かう。
その先で、影獣のいない平和な世界が始まると信じて。

解説

  • 戦争がなくなるはずだった世界
7 :ここがオカシイ「伊月」Wiki:2014/05/29(木) 19:23:34.05 ID:ISJcW3nc
作中では世界中全ての国が同意した「恒久平和条約」が三年前に結ばれているが現実世界では実現不可能な理想論に過ぎない。 本編中で
『各国での小さな争いも収束に向かい、技術の進歩によって環境や資源の問題も解決を見た。
兵器の削減が国際的に採決 され、世界全体が平和に向けての一歩踏み出そうとしていた』と明記されているが、
こんな条約は御伽噺レベルで現実味のカケラも無い。 



問題点


作品全体の傾向


  • 読みづらい
    • 作者が「書きたいものしか書かない・書けない」作風のため、文章の主体が入れ替わったり、場面転換が唐突であったり話があちこちに飛ぶ。
    • 後半から核心に触れずに頻繁に場面転換が繰り返されるが、結局何がポイントだったかが分かりづらくなっている。
  • 情報の出し方が偏る
    • 世界設定や人物像などの情報が徐々に開示されたり必要に応じて提供されるのではなく、とりあえず新しい情報や意味深な情報を配置しておいてそのままだったり、その場その場で突然「そうなっている」ケースが非常に多い。
    • 作者としては布石や伏線のつもりかもしれないが、ただ後で使うためのネタ振りの予約でしかない『伏線ごっこ』である。
  • 情報量が偏る
    • 主要登場人物以外の描写が少なく、曖昧な表現でサラッと流していたり、『いつの間にかそうなっている』ことで重要シーンの迫力が削がれたり、世界の広がり・深みが伝わりにくい。
    • また、一部の描写は濃密で豊かな表現力を用いた詩的な文体になっているのに、一方でそれ以外では必要最低限の描写さえしていないことなども。
      《例》:祥陽の『+』で戦う彼の姿を「剣山決戦」で「声なき悲鳴とともに壁は二分され、黒が霧散していく。その中心で振るわれるは、純白の双剣。それを抱く御永祥陽が踊るたびに、影は形を失っていった。」と描写されているが、祥陽の『+』(文中の「純白の双剣」)はこの時点で初めて「双剣」であることが明かされた。また、そのサイズがどの程度のものであるかは全編を通してわかっておらず(ほぼ可変と見て間違いないとは思われるが)、どのように用いているかも作中ではかなりボヤかしている。
  • 不自然な展開
    • 作者の作風なのかもしれないが、基本的に事象の説明を後出しで行う。これによって読者は先を予想することが全くできなくなり、作者の提供するものを受け入れるだけになっている。
      伏線ではなく『辻褄合わせ』で物語が構成されているというのは、本作においては秀逸なアプローチと言えるかもしれない。とはいえこの傾向はPSO2でも全く同じなので要するにそういう文章しか書けないということなのかもしれない

登場人物


天宮伊月(あまみや・いつき)

  • 天宮隊隊長。本作の主人公。
  • 冷静沈着・頭脳明晰。「ガンパレード・マーチ」の芝村舞がモデルか。PSPの名作ゲーム「ゴッドイーター」の登場人物「雨宮リンドウ」にも影響を受けていると思しき描写もある(同人版では伊月の名字は梶原であったが、出版に際して天宮と変更されており、さして必要と思われない変更だったことや、他の人物には変更点がないことから天宮≒雨宮としたのではないか、という指摘がある)。
  • 飄々とした性格で面倒見がよく、隊の生還率が高く、部下に恋人未満友達以上がおり、責任感が強く暗い過去を背負っているが人には見せない。中盤で行方不明(≒状況的にほぼ死亡と同義)になり終盤で大復活な展開はゼノでもそのまんま用いられている。赤髪で15歳の女性。武器は爆弾で勝気な性格はお気に入りのクラリスクレイスにもフィードバックされているか。
  • 名前や一部の設定はPhantasyStarOnline2 THE ANIMATIONの橘イツキにも流用されている模様。
  • 天宮隊は4人とも幼馴染で共依存関係にある。祥陽とは好意以上恋愛未満。
    • 恋愛に鈍感で、不器用な好意を向けられてもそれをくみ取れず、相手がキレて「ああもうはっきりしろ!」というやり取りは性別をひっくり返してそのままゼノ&エコーに使われている。ラブコメものとしては鉄板の関係なので問題ではないが、他の作品でも同様の描写しかない。
  • 概念兵器は『/』(ディビジョン)。爆弾。
  • 物語中盤で死亡するが、『=』の辻褄合わせによって復活。そのままラスボスを撃破してハッピーエンド。よくあるタイムパラドクス系の一種で、王道といえば王道。
    • しかし、『辻褄合わせ』によって伊月が復活するまでに『=』の能力は人類側にも及ぶという点は明言されていなかった。
      概念兵器は人間の願いに反応して力を与えるものだから、これまでにそうした『=』の働きで人類側に何らかの変化が起こっているなどの布石がなければ「いつの間にかそういうことになっている」と評されても仕方ないだろう。
      ラスボスが生み出した『+』のコピーによって崩れたバランスを取り戻すのであれば、影獣側の戦力が消滅するなどのほうが自然。
  • 《不自然》
    • 概念兵器入手前の伊月の武器は爆弾。リモート作動が可能な以外はわかっていない。また、仕掛けているシーンがないためどのように用いているのかが全く不明。
      伊月は「わざと孤立して敵に包囲させ、周囲に配置した爆弾で一掃する」という作戦を用いることが多く、そのために事前に設置していたということはあるだろう。
      序盤では影獣は単純なのでポジションまで誘い込むことは容易だろう。しかし公園を爆破したシーンでは駆け付けるなり爆破しており、事前に設置していたにしては不自然。続く防衛線でも即爆破しており、設置するシーンが丸々なくますます不自然。
    • 概念兵器での爆破は不自然なものではあるがそもそも概念兵器自体がそういうものなので「万能の爆破」が可能であってもさして問題ではないか。
  • 最後の〆となる『ゼロで割る』は数学的な知識を必要とするが、その説明は稚拙。
    • そもそも「ゼロで割ってはいけない」という話も突然出てきたものである。伊月の概念兵器は「破壊する」「影獣を倒す」という望みから『/』を与えられ、それは物体の破壊という「割る」だけでなく概念までもを「割る」という少々わかりにくいもの。
      最終戦では10や100、1000という数でバラバラに割るのではなく、「ゼロ」で『割る』ことでそれそのものを不成立とさせてしまう、最強の『=』に対するメタとしては悪くない決着。どこからかパクってきたんじゃないかと邪推してしまうほどに
      • 「『割る(割れる)』という現象の具現化」でなく「概念を0で割る」のが可能なら例えば「無限大を掛ける」「負の値を足す」などが可能なはず。加算と減算、乗算と除算が実質同じものになってしまうのだが……
      • 《反論》:概念兵器は数学ではないので「割る」ことはできても「掛ける」「足す」もできるとするのは不適切。それができるのならすべての概念兵器は解を「均等にする」ことで『=』と同じ能力を持っていることになる。
    • a÷0のとき、a≠0であれば、答えは「不能」となる。
      a÷0のとき、a=0すなわち、0÷0であれば、答えは「不定」となる。ざっくりと言ってしまうと、前者は「できない」。後者は「答えがない」。
    • 物理数学や極限の世界ではゼロを「限りなく小さい数」として解釈するため、a÷0=∞、0÷0=1である。普通中高生レベルで発想するゼロ除算はこちらではないか。
    • 「世界が壊れる」に絡めて解釈すると、コンピュータで整数のゼロ除算をした時例外エラーを吐き、プログラムが強制終了する場合か。(浮動小数点演算の場合大抵のソフトで±∞を返す。)
      • 「ゼロ」の解釈・扱いは数学的な設定によって異なり、「ゼロで割れない」ということを検討やきっかけも無しに発想することがやや不自然。
    • しかし「ゼロで割ってはいけない、世界を壊すから」はやはり唐突。それまでに「ゼロで割ってはいけない」をうかがわせる記述はなかったし、伊月の自爆は「ゼロで割った」結果だが、「ゼロで割った爆発」も意味不明だし、世界は壊れていない。
      • 好意的に解釈するなら天宮伊月自身を『/』の力を使って「割った」ために『天宮伊月の世界は壊れた』のだろうが、ゼロで割るとはどういうことなのだろうか。上記のとおり数学的には「できない」または「答えが出ない」。あるいは「無限大」または「1≒何も起こらない」となり、それが何を意味するのかがはっきりしない。
        (作中で自爆した伊月は「限定的な範囲内」で爆発を起こしているため「無限大」ではないことが明らかになっている)
  • 細かい指摘だが、『/』は明確に「爆弾」と定義されているが、『伊月の戦争』では爆発(爆破)の描写に対して「爆弾」の描写は一切ない。投げる、設置するなど前後なく狙った場所だけを爆破できるという謎の攻撃である。これは概念兵器を手に入れる以前から一貫しており「遠隔装置で起爆できる」以外の情報はない。他の隊員と異なり全くわからないものとなっている。
  • 《疑惑》
    • ガンパレード・マーチのAランク以下のエンディングで、「その後のプレイヤーの動向」がランダム要素込みで語られることがある。この中には「ある作戦で退路を開き、一人で友軍を撤退させたあと自爆して壮絶な戦死を遂げる」というものがある。剣山決戦での伊月の最期がほぼ同じ。
    • 中盤に味方を逃がすために単身で押し留めて行方不明になり、最終盤に敵側の力で復活するという点がゴッドイーターの雨宮リンドウと似ている、という指摘をされているが、正確にはリンドウは死亡しておらず、作中最重要人物によって救出され生存していた。また、彼は一旦変異してから主人公によって復活している(敵側の力で復活したわけではない)。そのためゴッドイーターのパクリには全くあたらず、「中盤で離脱したが終盤に『死んだと思ったアイツが実は!』」という一般的な展開を踏襲しているにすぎない。
  • 《不自然》
    • 伊月が終盤に復活した際、伊月は死亡時点まで「巻き戻って」復活している。肉体的にはボロボロの状態で巻き戻っても物語的には意味がないので、作中で伊月が言っているように「別人だけど魂はそのまま」ということで肉体が再生しても別に構わないだろう。しかし、「巻き戻った」のであれば、彼女が死亡してから復活するまでの出来事、とりわけ『英雄隊』まわりの事柄や影獣の弱点といった部分に関しては体験しておらず、「知らない」はず。『=』が祥陽の『+』をコピーした反動で伊月は復活したので(どこの場所で復活したかも問題だが)時間的には誰かが説明をしている余裕はない。彼女がどうやってその空白を埋め、かつ飛鳥たちのところまで駆け付けたのか。

御永祥陽(みなが・しょうよう)

  • 天宮隊前衛。
  • 直情的で熱血キャラクターという位置づけのようだが、どちらかというと無鉄砲でこらえ性の無い短気な性格。
    熱血・ヒーロー願望などの要素は「ガンパレード・マーチ」の滝川陽平を連想させる。
    作者と似た名前のキャラクターをモチーフにしているためか作中での祥陽の扱いは良いが、気遣いや思慮深さが欠落しているため人物像としては全く似ていない。ガンパレード・マーチやゴッドイーターでは同様の人物は登場していないことから、『伊月の戦争』におけるユウ的存在か。
    • 戦闘中に極度の興奮状態になって命令を受け付けなくなったり、好意を抱いている伊月に理性的に会話ができないなどばかりで、「熱血」要素がない。
    • 基本的にオーバーアクションでいつも怒鳴っている印象しかない。「熱血」「直情的」というより自分をコントロールできておらず、注意欠如多動性障害(ADHD)や双極性感情障害ではないかと思われる。
  • 伊月を好いているが、好意を抱いた相手に素直になれず「ばっ・・・なんでお前なんか!」の繰り返しはPSO2のエコーやユクリータといったキャラクターにもみられる。流用というよりライターの引き出しの少なさか。
  • 展開に冲方丁原作のアニメ蒼穹のファフナーにも影響を受けているように思われる。(ファフナー放映は2004年、伊月の戦争は2012年の作品)
    • 好きだった伊月が行方不明後になり、戦場で孤立しながらも一人で影獣を狩る祥陽。『こんな世界…。伊月の居ない世界なんて…』『守る…意味は…』
      これはファフナーの春日井甲陽(かすがい・こうよう)が思い人であった羽佐間翔子を失い、その後は戦場で冷酷な姿を見せるようになっていく描写に似ている。名前も祥陽(しょうよう)と似ている。
      「思い人を失って闇堕ち」はテオドールにも流用されている模様。ファフナーでは思い人は死亡しているが、伊月の戦争とPSO2では生還している。流用と見てもいいだろう。
  • 前衛とは隊形を組む上でのポジションであり兵種や役割ではない。突撃兵、ポイントマンなど適切な語は他にたくさんある。
  • 概念兵器は『+』(プラス)。剣。
    • 身体能力を強化し、光の剣を作り出す能力。
      数十メートルを一足に跳んだり、剣を投げて100メートル先の影獣まで貫通させたり、反射神経も強化される。
      体力の消耗も激しいらしいが、これは中盤で突然明らかになった。概念兵器入手直後は3つの戦闘区域を転戦しているので「いつのまにかそうなっている」系か。
    • 登場時には描写されていなかったが、しばらく後の「剣山決戦」で「純白の双剣」ということになっていた。
  • 《不自然・疑惑》
    • 物語中盤の山場となる”剣山決戦”で「地面に無数の剣を突き立てて」戦うシーンがあるが、この時伊月達は目標に向かって突出して進軍している最中であり立ち止まって戦わない以上突き立てても意味がない。
      祥陽は投げたり突き刺した剣を使っているが、そもそも『+』による武器の複製は念じれば即座に作り出せるタイプであり、どう使ったところで「カッコイイだろう?」以外の理由が見当たらない。
      宇野氏が影響を受けているFateシリーズに登場する「アーチャー」が用いる「無限の剣製」をやりたかったのではないだろうか。
    • ラスボス戦で相手の視界を奪ったが大声を出して位置がバレる。視界を奪った意味がない。全く無意味な展開。
      ラスボスがコピーした『+』の能力は自分と同じものなので位置がわかる(突然出てきた設定)のだが、ラスボスもそれは同じはず。なぜ祥陽は相手の位置がわかるのにラスボスはそれがわからなかった?

能登飛鳥(のと・あすか)

  • 天宮隊斥候。
  • 飄々とした性格で落ち着いた性格。
    • 「飄々とした」は掴みどころがない・世俗を超えた、という意味。一方で「落ち着いた」は動じない、マイペースの意味の他に世間の常識に則った、状況に順応したというニュアンスがあり、そちらで解釈するとやや違和感がある。
      • 例えば「あいつも就職してから落ち着いたよ」と聞いていた親戚が実際には飄々としていたらかなり驚くだろう。作中の飛鳥の人物像としては、どちらかというと飄々としたというよりは配慮のできる、大人びた人物という表現がしっくりくる。
    • 「ガンパレード・マーチ」の瀬戸口隆之がベースと思われる。『伊月の戦争』では同年代になっているため「年上のポジション」という特徴を失い最終盤まで空気。
      性格も活かされず、飄々とした性格ゆえの一風変わった視点からの意見もなく、落ち着いた性格ゆえの冷静さが活きる場面もなし。、一歩引いたポジションが災いして伊月と祥陽のなだめ役に終始。
    • 終盤ではタネ明かしのために作者の設定を語らせる役割を担う重要なポジションに置かれるが、それはあくまでも伊月の遺した手紙によるもので伊月の手紙の内容が何であったかのかが一切語られていない
      そのため「どんなヒントからこのような結論に至ったのか」が伏せられており、作者の腹話術人形になっているに過ぎない。彼の「飄々とした性格」「落ち着いた性格」から導き出される根拠が薄い。
      伊月の手紙にすべてが記されていたのなら内容を明かせば良いだけなのだが、くだんの手紙は伊月が行方不明になった剣山決戦前に書かれており、その時点では伊月は『英雄隊』の正体に気付いていない(はず。でなければ剣山決戦の撤退時に会っている『英雄隊』にそうしたことを示す素振りを見せていないないのは不自然だし、伏線になっていない)。
  • 伊月に好意を持っているようなそぶりを見せるが本心は見せない。鴻は気付いている模様。
  • 斥候とは偵察と警戒を行うことを言い、兵科ではない。偵察兵が適切か。
  • 概念兵器は『-』(マイナス)。
    • 54面体のミラーボール。一つ一つの面がシールドになり攻撃を防ぐ。
      祥陽の『+』は名前の通り「武器を増やす」「肉体に力を与える」という『加算』になっているのだから、飛鳥の『-』には身体能力が低下するなどのデメリットがあったほうが自然ではないだろうか。
      とはいえ概念兵器がマイナスをもたらすべきものとは言い切れないので、そのあたりはご都合主義でも全く問題ない。
    • 飛鳥はこれを「盾のような石のような」と感じたようだが、どう考えても丸い石を盾に用いようとはしないはず。
      しかし、これは飛鳥の内面に呼応して姿を取ったものなので、見た目ただの石ころのような形状でも直感的に『盾』であると思ったとしても何ら問題ではないだろう。

六反田鴻(ろくたんだ・こう)

  • 天宮隊後衛・狙撃手。
  • 無口で気弱な小動物ポジション。「ガンパレード・マーチ」の石津萌を連想させるが、性格的には神秘的で陰気キャラの石津萌をベースとするのはやや無理があるか。
  • 人物の描写が会話がベースの『伊月の戦争』では無口キャラはそれだけで不利。作者鉄板のネタであるお風呂以外は空気。
  • 彼女だけは兵科が明らかになっている。しかし使用している武器や適正距離がわからず、正確無比な射撃以外での描写は一切ない。正確な射撃は射手の能力によるものであり、そもそも『*』の特異性は何も語られていない。
    また狙撃兵は狙撃手と観測手からなる専門の狙撃分隊で行動するのが普通。有効射程が大きく異なる天宮隊では運用が難しいと思われる。
  • 概念兵器は『*』(アスタリスク)。スナイパーライフルだが反動がものすごく、明確に肉体の負担が大きい描写がある。伊月や祥陽、飛鳥はそうした重さや反動の描写がないので、なぜ彼女だけ物理的な制約を受けるのだろうか。別に無反動で飛んでいっても問題ないはず。
    • 完全に妄想だが、銃身のみが概念兵器であり、弾丸は実体であるとした場合であれば発射時には物理的な衝撃を伴う。だが銃というものは複雑なもの。銃には用途によって設計が異なり、その銃の設計と用途に合わせた銃弾があるものなので、銃身がすごくなれば射程距離が伸びる、殺傷力が高まるといったかたちで「効率が良くなる(ロスが減る)」ことはあっても弾丸の物理的な限界を超えることはできない。つまり祥陽や飛鳥のような概念兵器ならではの「あらたな英雄」と言われるほどの劇的な変化は起こり得ない。

春叶クレア(はるかな・くれあ)

  • 情報部所属学徒中尉。
  • 名前、金髪、碧眼、巨乳な容貌からしてハーフや帰国子女を想像させるが、そういった記述は無い。単におっぱいキャラがほしかっただけの模様。
  • 序盤から伊月と秘密裏に情報をやり取りしているが、理由が明かされるのは中盤以降。冒頭から懐中時計に仕込んだ装置をやり取りするシーンをはじめ、やたら出番があるもののこれが決め手となる展開にはならなかった。
    • より正確には祥陽救出のためにクレアが訴えかけるシーンにつながるため極めて重要なファクターであったが、その部分が何であったのかが作中では語られていないため無意味。
    • 要するに秘密のアイテムをやり取りするシーンを書きたかっただけだろう。
    • ちなみにこの懐中時計には小型カメラが仕込まれており、時計の機能は停止しているがカメラは健在らしい。
  • 大人を蹴落として地位を得た情報尉官。天宮伊月の親友。天才キャラで万能。
    宇野キャラは基本的に弱点が存在しない、または長所に対して釣り合う短所がないためどれも似通ったキャラクターになってしまう共通点がある。これはウノリッシュまとめにもあるように「イレギュラーだらけ」の一端。
  • PSPo2終盤の演説シーンと同じ「大切な人を助けたい」と全軍に演説するシーンがあるが、どちらかというと必死に訴えかけている個人の「お願い」であるため同一・流用とは言い難いか。
  • やたら『演算』を用いるが、どのような情報をどのような式に当てはめてどのような解を導き出したのかがなく、突然結論だけ出す異次元論法。宇野シナリオにおける「演算」は万能の超能力か何かを言い換えるときに用いられるもののようだ。
  • 翔陽に好意を抱いているが翔陽が伊月しか見ていないので当て馬。

白く光る綺麗な人

  • 台詞がPSO2シオンのものと酷似している。外見は想像の範囲内だが、シオンの特徴的な外見からよく似ているものと思われる。(赤帯:伊月、青帯:PSO2)

諸君に謝罪する。我らの不始末が万事の因由である。
(中略)それらの意味を諸君に完全に理解させるには、言葉と時間が足りない。
わたしとわたし達は謝罪する。
(中略)わたしの言葉が貴方の信用を得るために幾許かの時間を要することは理解している。
その他の登場人物の思考もシオンに酷似しているものがある
かけらほどの違和感を拾い集め、一つの答えを導き出す
偶然を拾い集め、必然と為す。そのものをマターボードという。

  • 最初に触れた伊月の姿をコピーして、作中では「白く光る綺麗な人」または『伊月』とカッコ付けで呼ばれる。
    • 「最初に接触した人の姿を真似る」「その世界の住人に理解できない高次の概念を持っている≒話が分かりにくい」点からしてシオンに流用されているものと思われる。
    • 高次の概念を持っているというより常用でない言葉を使っているだけで、結局言ってることは簡単だったり中身がなかったりという「頭の悪い人が頭の良さそうなことを言っている」例。
  • 『光る人』でも『発光体』でもいいのだろうが、目撃した3名がお互いの主張を譲らなかったためどうにも不自然な名称になっている。これは後述する文字稼ぎの一環と思われるが、結局呼びづらい、定着しづらいだけにしかなっていない。
  • 「天の不始末を…」といった意味深なセリフを残しているが、「概念兵器」が残っていた理由、白く光る綺麗な人が何だったのかも不明のまま。それはそれで「このお話では語られないもの」として謎のままでいいのだが、せめて「不始末」が何であったのかくらいはあっても良かったのでは。
    • 実はこの白く光る奇麗な人はシオンまたはマザー、ないしフォトナーによって生み出されたそれらに準ずる存在で、PSO2EP4につながっているという裏設定が後から出てきたとしても全く不思議ではない。

遊佐少将(ゆさ・―)

  • 物語の舞台となる旧神奈川地区総司令。35歳。
  • 尊大だが有能という触れ込み。しかし尊大な部分だけしかクローズアップされておらず、有能な部分は「努力して少将になった」という結果のみ。どのような戦績をあげたであるとかは一切なし。
    権力が異常に強く、あちこちの施設を徴発して軍の施設として転用しているが、その裏付けが「少将だから」。
  • 容姿の描写が皆無なので読者の想像力に依存しているが、おそらく「ガンパレード・マーチ」の芝村勝吏準竜師を思い浮かべるだろう。
    • 「俺だ」に始まり正論だが人の悪い言い回しを好み、反感を買いつつも有能というキャラクターは芝村準竜師そのまま。クレアを「学徒の娘」と大仰な言い回しをするなども酷似。
    • しかし芝村準竜師は『芝村』であることを最大限に活かした手腕で5121部隊に格別の配慮をしていたのと異なり、総司令という責任を負うべき立場で伊月とクレアの『夢を見た作戦』に許可を出し、失敗した後はクレアに全責任を押し付けて知らん顔をしていた無能。
      出撃前に「立派に戦え」と暗に作戦成功のための戦死を厭うなと通達しておきながら「俺の傘下に無駄にしていい兵はいない」と言い放つ。
      祥陽と伊月がピンチに陥った際にはいきなりキレるなど、情緒不安定なところもあるようだ。後半は思わせぶりな言動に終始するが肝心の部分は何も語られず。
    • 最終盤にクレアの演説を後押しして影獣の最大の弱点を暴くことになるが「俺が責任を取る」。行動が伴っていない空虚な言葉……。
  • 《不自然・疑問点》
    • 裏切り者がいると自信満々に断言していたが結局いなかった。そうとする根拠も誰が裏切り者なのかを述べることもなかった。
      • 施設に侵入して勝手に設備を使っていたクレアを襲うと見せかけたシーン。「情事と誤解させて情報を渡す」というのは007など有名どころでも用いられている手法。
        しかし前後の展開からどちらかが監視されているということもなく、単にクレアをからかっただけにしてはやたらムーディで尺を取っているので「読者を誤解させる」ための「ただやりたかっただけ」と思われる。
    • 物語終盤に伊月が残した映像データに「面白いものが映っている」と発言したが、これが何だったのか結局不明。
  • 《考察》
    • 伊月の懐中時計は剣山決戦で窮地に陥った際に落としたものなので、状況的に「写っていたものは『英雄隊』の2名」しかない。しかしこの時点での『英雄隊』はまだ正体を隠しており、中破して戦闘不能になった祥陽を抱えて孤立した伊月に「当初は剣山決戦への参戦を拒否していた『英雄隊』が、形勢不利を知って駆けつけた」以外の回答は得られない(はず)。遊佐少将は内部に裏切り者がいる、と直前に明確に語っているので、この映像から『英雄隊』が裏切り者(より正確には内部に潜り込んだ敵)という結論には結びつかない。では、何が「面白」かったのか?参戦を拒否していた『英雄隊』が駆けつけたことはその後に祥陽を救出して帰還したことが明らかになっている以上周知の事実であり、懐中時計に写っていたものが改めて「面白いもの」であるはずがない。

白沢雪姫(しらさわ・ゆき)

  • 『英雄隊』こと白沢隊の隊長。学徒大尉。
    • ラノベのテンプレ銀髪赤眼。
    • 正体は概念兵器『=』(イコール)。『辻褄合わせ』によって何かと何かの均衡を取る、イコールにする能力を持つ。
      作中ではこの能力を使って空間転位や能力のコピー、そして『伊月の戦争』の根本である「人類が戦い続ける世界」のために戦力の均衡を取り続けていた。彼女らが人類側に立って「英雄的行為」をしていた理由も、終わらない戦いを続けさせられる人類にとって「勇気を与えてくれる希望」として戦いに駆り立てる必要があったから。
    • 最終決戦で祥陽の『+』をコピーしたことで均衡が崩れ、自身の『辻褄合わせ』によって得た力に等しい存在=天宮伊月を復活させてしまう。そのまま『賭けに勝った』として伊月に破壊され消滅。
    • 負けた理由は『()いた(原文ママ)』から。今まで3年間ずっと同じ戦いを続けていたが、祥陽と飛鳥に追い詰められた状況で突然ギブアップ宣言。見苦しい逃げ口上である。
    • そもそも『=』は「恒久平和条約によって戦争がなくなってしまうので、『戦争がなくなってほしくない』人々の願い」をかなえて「『=』が均衡を取り終わらない戦争をゼロになるまで続ける」という役割を果たすだけの装置であったが、「本人が飽きたから」という理由で唐突に破棄。意味不明。
      『戦争がなくなってほしくない』人々の願いを『戦争が終わってほしい』願いが上回ったからであるとか、戦っているうちに人に対する考え方が変わったであるとか、ここまで戦いを継続させてきたことを覆すだけの、または停止するための確固たる理由が必要ではないだろうか。
      • 人間の願いをかなえるというのであれば、人のもつ平和への願いをかなえなかったのはなぜか。「恒久平和条約によって平和になる」ことを喜ぶ人よりも「戦争がなくなるの困る!戦争大好き!死にたい!」という人のほうが多いというのはやはり不自然ではないだろうか。
    • 概念兵器である『=』に自我がある理由は?
      • 『=』は天宮隊の4人と比べて明らかに強すぎる。ありとあらゆる方向に万能だが、こうした超兵器が「持ち主がいないために肉体という枷がなくどこまでも暴走してしまう」というのは珍しいものではない。
        しかし一方でラスボスの始まりが何であったのかがわからない以上はご都合主義、デウス・エクス・マキナであることは変わらない。
    • 「餓死なんて許しませんからね。事故死もだめです。自殺なんてもってのほかですよ。すべての人類は、私と僕たちの戦争によって死ぬべきなのですから」という理由でライフラインを狙わず、生活水準を保ったまま人類が抵抗をし続けるように仕向けていたが、なぜその結論に至ったのか。
    • 様々な理由で戦争を継続させてきたが、突然それが嫌になり「人間は『=』が生み出した均衡の世界を打ち破ってくれる」と考え、自らも「人類の勝利」に賭けていたことを明かす。
      しかし『=』は人間の願いを叶えるだけの装置であり、戦争による均衡をつかさどる、博打で言えば胴元である。胴元である『=』が参加したのでは賭けは不成立ではないか。または八百長である。
      「完全敗北だがお前たちが勝つと信じていたから俺の勝ち」という精神的勝利法としか言いようがない。
    • 物語序盤では数で圧倒するだけだった影獣が戦術を用いるようになり、クレアから「影獣は進化する」と評された。しかし、『=』の能力は辻褄合わせによる均衡なのだから、数値化できない戦術という不確かなものではなく圧倒的な「数」で応じるのが自然ではないだろうか。数で押すというのも立派な戦術。
      • 現実世界でそうした数で押しつぶす戦術ができないのはリソースが有限だから。影獣は人類側の戦力と均衡が取れる限り無限に生み出せるのでそうしない理由がない。
    • 撃破され、影獣が生み出されることはなくなったが、活動は活発化するのでこれからが大変と言い残して消滅。PSO2でもずっと続いている「原因は倒したけど消えない」やつ。
      • PSO2はゲームなので出てくること自体は問題ないのだろうが、なぜここで「影獣も消えてめでたしめでたし」とできないのか。
    • 同僚の夜上比呂と合体して『灰の白沢』になる。なんで分離してたの?
    • 《補足》
      最終的な目的としては、『=』の能力で人類を戦わせ続け数を減らし、最後に残るであろう白沢と夜上が戦って消滅することが目的だったから。
      しかしこれは「白沢と夜上は合体して一つに戻れる」ため意味がない。二人以外に生き残った人数が偶数であろうと奇数であろうと、その時点で「人類の滅亡」が確定する。また、こうした明確な目標があるにも関わらず、突然「飽きたから」という理由で頓挫させてしまう。
      彼女・彼は人類が戦争を終わらせないという願いを均衡をつかさどる概念兵器『=』としてかなえているだけの装置である。そのためにクライマックスで伊月を復活させてしまうという逆転が生まれるわけだが、主観によって「飽きたから」均衡を取り続けることをやめられるのであれば、同様に主観によって「伊月を復活させたくない」こともできたはず。
      • 『灰の~』はPSO2EP3のスクナヒメに流用か。

夜上比呂(やがみ・ひろ)

  • 英雄隊の隊員。階級は大尉。
    • 白沢の相棒で空気。実は『=』。
      白沢のほうが早く生まれたので表記上も「灰の白沢」となってその後も空気。
    • 白と黒が合体して灰の……とか無色の……とかはよくある話だが、夜上が空気になることの意味は?
    • 光と闇が交わり最強に見える。

小野大祐(おの・だいすけ)

  • 正規の軍人。大尉。ONDISK
  • 空気。



物語


世界設定

【分類】:《疑惑・不自然》
  • プレステの名作ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」と非常に似通った設定・記述が散見される。
  • ガンパレード・マーチでは第二次世界大戦中に幻獣が出現、以来50年間ずっと戦い続けてきたため、作中の日本にも国軍や徴兵制度があると説明した上で、現実の日本との整合性を取っている。
    それに対し本作では、影獣が出現したのは3年前と現実の日本と大差ないにも関わらず日本に自衛隊でない軍があり、徴兵制度も降って沸くというウルトラCをやらかして「現代日本である」ことを破綻させた。
    審査員である新井素子先生に「ただ、決定的に、世界設定が変。」と評されてしまっている。また、「ドラゴンクエスト」の堀井雄二氏からも極めて端的に作者の作風を指摘されている。
    ※参考:榊ガンパレまとめwiki http://www7.atwiki.jp/sakaki-gunparade/
  • 作中では少なくない不自然な点が見られるが、これは「ガンパレード・マーチがそうなっているから『伊月の戦争』もそれに合わせた」のではないかと考えられる。でなければ「それをそうとする」明確な理由はあるはずだからだ。

国家緊急事態宣言からの強制徴兵

【分類】:《不自然》
  • 該当の用語として一般的なのは「国家非常事態宣言」。
    • 「非常事態宣言」の前提となる「国家緊急権」などの用語と混同しているか。
  • 「徴兵」とは「義務として課す兵役、またその義務を根拠に兵役に就かせること」であり、「強制徴兵」は重言。韓国で旧大日本帝国時の徴用を特別にさして用いる造語なので仕方がないのだが日本語としては誤り。
  • 「現実世界の延長線上として考えた場合」は、不自然な状況である。
  • 作中で国家緊急事態宣言が行われるが、(現実の)日本にはそれを行う根拠となる法令が存在せず、そんな宣言はできない。
    現実世界をベースにしているが法律は現実世界の日本とは違うなら、作者はそれを『○年前に××という法律が作られ』など、作中で書かなければならない。そこまでしっかりと設定を固める必要がないとしても、何が現実と同じと考えて良くて、何が現実とは異なっているのかの判断基準を設けるほうが親切である。
  • これらの「何故そうなる?」と言う部分の説得力が無い。物語展開上必要なことであるためなのは明白なのだが、整合性や妥当性より物語の成立を優先しているため「なぜ」という疑問・不自然さだけが残ってしまっている。
  • 上記解説にもある恒久平和条約などの「現実にはアリエナイ設定」のことを考えると、この作品の世界は現実世界の延長線上ではなく、『こういう架空の世界なんだ』として読むべき作品、ということなのだろう。

7 :ここがオカシイ「伊月」Wiki:2014/05/29(木) 19:23:34.05 ID:ISJcW3nc
逆に「架空の世界」とハッキリ分かる記述は存在する。 
作中では世界中全ての国が同意した「恒久平和条約」が三年前に結ばれているが現実世界では実現不可能な理想論に過ぎない。 
本編中で『各国での小さな争いも収束に向かい、技術の進歩によって環境や資源の問題も解決を見た。
兵器の削減が国際的に採決され、世界全体が平和に向けての一歩踏み出そうとしていた』と明記されているが、
こんな条約は御伽噺レベルで現実味のカケラも無い。 

  • フィクションである以上、ありえないことが実現している世界であることは当然ありうることであり、それ自体は問題とは言い難い。
    しかし、現実世界を土台にして物語を構築するのであればある程度現実味のある設定付けが必要になる。でなければ現実世界をベースにする意味がないからだ。
    身も蓋もない言い方であるが、この物語の舞台がそもそも日本である必要がない。現代の日本でなければ描写できないものはパソコンくらい。
    何も考えずに元ネタをそのまま持ってきたのでは?むしろこうした不自然な設定によって「我々の住む現実の日本」という認識の共有を阻害さえしている。
  • 強引だが辻褄が合うように解釈すると、「おとぎ話レベルで現実味のカケラもない」「ありえない理想論」でしかない恒久平和条約が成立したが、(読者である我々も含めて)「こんなものは早晩破綻する」「うまくいくはずがない」と多くの人が否定的に見てしまったことで概念兵器『=』は「戦争がなくなるはずだった世界を多くの人が拒絶している」と解釈し、戦争がなくならないように活動を開始してしまった、とすれば「おかしい条約」と概念兵器『=』の行動原理に整合性が取れたのではないだろうか。
  • ちなみに現実世界でも徴兵に関してたびたび話題になるが、高度に発達した近代戦において、我々一般人が兵士として徴用されることはまずない。
    身体能力や兵器の扱いからあらゆる知識に至るまで、自衛隊の隊員はそれを専門に扱うプロフェッショナルである。そこに昨日まで「むらびとA」だった民間人が参加したところでなんの役にも立たない。むしろ素人が入ることで全体の練度が下がり、足を引っ張るのが関の山である。現代の戦闘は戦国時代の百姓兵のようなマンパワーの戦闘ではないのだ。それが必要になるとしたらゲリラ戦、つまりもう敗戦しているのである。
    『伊月の戦争』ではこのあたりを理解しておらず『学業の成績で学徒兵を編成する』などという上層部がバッドトリップをキメながら策定したとしか思えない制度になっている。
    元ネタとなったガンパレード・マーチでは、彼らはそもそも骨格・筋組織・神経系といった肉体を遺伝子レベルで強化されていることと、学生達も教育カリキュラムの一環として既に兵器の知識や訓練を受けているため学生兵として即席戦力となっているに過ぎない。
    宇野氏はこの部分を『伊月の戦争』に落とし込めておらず、無理やり少年少女を戦場に引っ張り出すためにこのような不自然な設定になっていると思われる。
    • そもそも影獣との闘いは3年前から継続しており、「人類側と同等の戦闘力を持っている」「ライフラインを狙わない」「夜には出現しない」といった分析がなされていることからも、すでに人類側は対策をし始めている(していなければならない)。
      にもかかわらず「学徒兵を戦場に駆り出す」のにそれ用のカリキュラムも選定などの制度がないまま「学業の成績で部隊編成を行う」のは不自然を通り越して異常。
      どれほど擁護したとしても「ガンパレード・マーチのパクリ批判を逃れようとして無理筋な別設定にした」以外考えられない。


自衛隊がいつの間にか軍になる

【分類】:《不自然・疑惑》
  • 自衛隊の数が1/10まですり減ったという記述が冒頭に出てくるが、作中で特に説明がないまま軍になっている。自衛隊と明確に異なった目的・任務など軍設立の妥当な理由がない。
  • また、国内での戦闘を主に行っている現状、「軍」になる意味がない。具体的に言うと「自衛隊の数がすり減った」ことと「自衛隊が軍になった」ことの因果関係が不明なまま。実力組織である自衛隊はそのままでも支障なく任務に従事できるはずだ。
  • 元ネタであるガンパレード・マーチでは明確に「軍」であるため、徴兵制度などの設定を合わせるために『伊月の戦争』でも「軍」にしなければならなかったのではないか?

自衛隊の階級に関する知識の不足

【分類】:《知識不足・疑惑》
  • 自衛隊の階級は上から○将、○佐、○尉、○曹、○士で、○の部分に陸海空+1等~3等の数字が入るのだが、何故か外国軍(および旧日本軍)と同じ中将、大尉、准尉といった階級になってしまっている。
  • 伊月の戦争では3年前から影獣との闘いが始まったので、現代の自衛隊の階級を旧日本軍の方式に変更する理由はない。ガンパレード・マーチでは旧日本軍ベースの軍隊であり問題にならない。何も考えず元ネタをそのまま持ってきたためか?
    ※参考:防衛省・自衛隊HP http://www.mod.go.jp/j/profile/mod_sdf/class/
    • 自衛隊の階級を旧日本軍の階級にしたことに理由がない。あるとすれば「ガンパレード・マーチでは旧日本軍の階級制度になっているので『伊月の戦争』でも同様にしなければならない」とした可能性が高い(ただしガンパレード・マーチでは旧日本軍にない○翼長などのオリジナルの階級が存在することも付記しておく)
  • なお、学徒兵の階級は正規軍人の同じ階級に比べて2階級低いという決まりになっている。意味不明。

距離の概念が出てこない

【分類】:《知識不足》
  • 全くないわけではない。剣山決戦では「半径2キロに展開」などの具体的な数値が出てくる。
  • しかし射程を現す距離1000という記述はあるが、そもそもどの程度のレンジを想定したどのような戦闘なのかがわからないので「俺って物知りだろ?こんな難しい言い回しを知ってるんだぜ」以外の意味はないと思われる。
    天宮隊は1日で3区画の戦場を転戦できるほどの機動力・戦力を備えていることや、4人1組での作戦行動が基準であることから、戦場そのものは小規模で頻繁に発生していると思われる。
    また、伊月が精神的に疲弊するほどの出撃頻度であること、学校を拠点としてそれなりの人数が従事していることを考えると、数メートル間隔でひっきりなしに戦闘が行われているようにも解釈できる。

兵士がなにで戦っているか良く分からない

【分類】:《知識不足》
  • 作中に登場する兵器は迫撃砲、携帯火器、狙撃銃、あと爆弾のみ。このうち携帯火器とやらがマシンガンなのかピストルなのかすら描写がない。
  • 上記の「距離の概念が出てこない」にも関連するが、別にミリタリーオタクの兵器論や戦術論を作中で語れという意味ではない。
    武装には各々適正距離というものが存在しており、どのような戦術にどのような武器が適切なのか、またはどのような武器にはどのような戦術が有効なのかという意味で非常に重要になってくる。
    元ネタと思われるガンパレード・マーチでは「戦術」は物語そのもの、ゲームシステムそのものに直結する重要なキーワードで、「戦力で戦うな、戦術で戦え」という台詞からもそれは伺える。
  • しかし伊月の戦争では作者が戦術を理解していない。主人公の天宮伊月の武器は「爆弾」としているが、ひとくちに爆弾といっても様々な長所と短所があり、運用は非常に難しく限定的。
    細かい解説はキリがないので割愛するが、作中では爆発物ならではの有効な使い方を一切しておらず「ドカーンと爆発するから強い」という短絡的なもの。
    これは狙撃銃を持っているのにストックで殴りかかっているようなもので、戦術もへったくれもない。
    • 作者が戦術を理解していない根拠としては、概念兵器の「白く美しい双剣」「漆黒の大剣」などの外見の描写と比較して、通常の近代兵器では「銃を撃った」「爆破した」といった表現に終始しており、機能面での用途・描写が一切ないため。また、これらを用いた航空機・車両なども登場しないことが挙げられる。
    • この作風はPSO2でも全く改善されておらず、クラリスクレイスの爆破云々といった発言や、EP5の「〇〇は~~した」の繰り返しで世界地図を塗っていくだけの展開からも見て取れる。一応擁護しておくと、SFであるPSO2では現代兵器とは異なった爆破の使い方があってしかるべきであり、テクニックはそのような用いられ方をするべきである。また、(爆破を連呼する)最初期のクラリスクレイスはそういう短絡的なキャラクター(語弊を恐れずにいうのであればアホの子)なので、ある意味ではキャラ付けになっており『伊月の戦争』におけるこの問題とは別である。EP5の地図塗りに関しては擁護の言を持たない。
  • 上「距離の概念が出てこない」と併せて、戦場の状況やそこで出来る事、出来ない事といった世界のルールや常識が全く示されない。
    例えば「100m先の影獣に『+』を投擲し倒す(P.183)」というシーンがある。100mといえば概ねプロ野球本拠地球場のホームベース〜外野最奥部にあたり、プロ野球選手が全力でバックホームしても到達まで2〜4秒はかかる。当然躱そうと思えば躱せる。
    これが命中したのは、弾速が異常に速かったからなのか、偏差射撃したのか、影獣が気づいていなかったからなのか、影獣に「避ける」という発想がなかったからなのか、といったことが不明。
    単に「出来たから出来ることなのだ」と作者の言うことを丸呑みするしかなく、予測したりそれを裏切られたりという楽しみがない。
    「足が早い」「パワーがある」「コントロールが良い」とキャラクターの能力はアピールされるが、やっている競技が野球なのかサッカーなのかアメフトなのか分からない漫画のようなものである。
  • 《補足》;「祥陽が投げた剣はその軌道上にいた影獣を吹き飛ばしながら100メートル飛び、霧散した」となっており「100メートル先の影獣に剣を投げつけて倒した」というよりは「巻き込んで吹き飛ばした」また、状況は敵の拠点(のようなもの)に攻撃を行っている最中で、祥陽たちは状況的に最前線で孤立しているので「気づかれていない」から当たったのではない。文章では「暴風を伴ってうんぬん」という描写になっているので、おおむね「弾速が異常に早い」「影獣に避ける発想がなかった」(影獣が攻撃を回避しようとする描写はないので)の両方が自然な解釈か。
  • 《補足》
    上記の「祥陽が『+』で影獣を倒す」シーンは「現れた新しい英雄が圧倒的な力で影獣を駆逐する」シーンなので、そこまでしっかりとした描写が求められるかどうかというと難しいところ。
    この「剣山決戦」の序盤は、人類側が打って出る「反抗作戦」のために上向きのムードで、影獣はそのための引き立て役であり、やられキャラになっているため。


撃たれた翌日に出撃する

【分類】:《不自然・知識不足・疑惑》
  • 理由:痛みに慣れているから
    • 普通、撃たれた部位や状況にもよるが「痛いから」出撃できないのではない。もちろん痛いに決まっているのだが、それが第一の理由ではない。
      弾丸などの異物が体内に入り込むことで起きる筋肉組織や神経、血管、内臓や骨などの肉体のダメージが行動に支障をきたすから。銃弾は猛烈な運動エネルギーを伴って衝突するため、被弾箇所の周辺はひしゃげ、ねじ切られるように部位の破壊が起きる。これはカミソリでスパッと切ったような傷ではなく、消毒して包帯を巻いたらすぐ直るようなものではない。
    • 人間の身体が微弱な電流で制御されていることは知られていることだが、弾丸や破片といった異物によって受けた肉体のダメージが脳の命令に対して正しく信号を伝達できず、運動性のパフォーマンスが低下することもあげられる。
      また、異物が帯びている雑菌などによって感染症を引き起こし、発熱することも少なくない。つまり通常の人間では戦闘行為はおろか日常生活にも支障が出る。
      被弾によりその場から撤退するなど移動するだけであればまだしも、翌日出撃などは到底不可能。この状態の負傷兵が交戦する必要があるとしたら、ほぼ全滅同然の状況。
  • 現実にも、撃墜され重傷を負いながら徒歩で基地に帰還し数時間後には出撃したルーデルや、全身に多数の銃弾を受けながら戦闘を続行し、致命傷を食らって捕虜になっても目を覚ました直後に脱走し米軍弾薬庫を爆破した船坂弘といった例があるが、
    現実にはあり得ないことを現実にやってのけたから凄い(面白い)のであって、作者の筆先一つでどうとでもなってしまう小説で「ルーデルや船坂と同じ」というのは興醒めである。
    • 上記のような「明らかに重傷を負っているのに活動を継続できた」というケースについて、一般には常識外れに強靭な肉体に加えてアドレナリンやエンドルフィンなどのホルモンの作用により出血が抑えられ、痛覚が麻痺することが原因だとされる。
      ただ、彼らについても「負傷直後」の活動である。普通一日も経過すればそれらのホルモンは枯渇し、上記の超人的な活動は不可能であると思われる。
  • ガンパレード・マーチでは登場人物の多くは強化骨格や強化筋肉、遺伝子操作によって強化された若者たちであるため大怪我をした翌日でも出撃できているだけ。
    • また、ガンパレード・マーチはシミュレーションゲームであるため、負傷翌日だろうが行動してもらわないと他のシステムとのタイムスパンが合わず、まともにプレイできないという事情もある。
    • 「伊月」では「過剰な薬物投与を行った」「概念兵器が云々」などの理由付けの方がよかったのではないか。

駐屯地に大人が居ない

【分類】:《不自然》
  • 学徒兵にとって支えや指針となる大人が必要という記述はあるが、鴨志田区は戦略的に重要でない基地なので大人は居ないという設定。しかし伊月たちの拠点を突破されると「市街地まで一直線」「非戦闘員が虐殺にあった鴨志田の悲劇」という描写から戦略的に重要でないわけがない。
    そもそも駐屯地などの拠点には「責任者」というかたちで大人(ないし正規の軍人)が配置されるはず。しかし鴨志田区にはそもそも責任者が登場しない。この点はPSO2でも同じく責任者不在の烏合の衆。
    • ガンパレード・マーチでは大人が物理的にいなくなっているため、学生兵として若者が召集されているだけである。

組織としての体裁をなしていない

  • 文民統制(シビリアンコントロール)とは

民主主義国家における軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的統制をいう。すなわち、主権者である国民が、選挙により選出された国民の代表を通じ、軍事に対して、最終的判断・決定権を持つ、という国家安全保障政策における民主主義の基本原則である。(wikipedia)

  • つまり原則として軍人の主観的な意思でもって軍事行動を行ってはならない。『伊月の戦争』では終盤にクレアの「お願い」で軍人たちが自身の意思で作戦行動を開始する。
    また、遊佐少将はあえて命令を行わず、軍人が自ら行動を起こすことを望んでいたと独白しているが、それはクーデターである。
    遊佐少将以下の全員はその(伊月を救出せよという)ような命令を受けておらず、またそのような作戦の具申もない。完全な烏合の衆である。これを是とするのであれば民主主義の否定であるが、そのあたりは大丈夫なのだろうか。
    • 加えて遊佐少将は自らの意思で行動を起こし命令を下したのではなく、「部下が勝手にやりました」という逃げ道を残している。卑劣極まりない男である。
  • 実力組織としての体裁をなしていない点はPSO2のアークスも同様。そもそも作者が軍事組織の何たるかが理解できていないものと思われる。
  • 余談だが、TVアニメ「機動戦士ガンダムSEED」続編の「-DESTINY」でも同様の描写がある。それまで血で血を洗うような凄惨な戦いにあって、粛々と軍務に就いていた軍人たちがアイドルの演説を聞いて突然命令を無視して個別に行動をはじめ、作戦遂行が不可能になって敗北するという展開になっている。くだんのアイドルの発言があまりにも強すぎるため、アイドルの命令に逆らえない『洗脳されているか、オーダー66のように遺伝子に組み込まれているのではないか』といううわさが流れたことがある。

大人(正規軍人)がことごとく無能

【分類】:《不自然》
  • 少年少女が活躍するライトノベルではよくあること。有能な大人がひしめいて物語を進めてしまっては本末転倒。
  • しかし、『伊月の戦争』では全体を通して「上層部」というようなフワッとした表現で組織として全く不明。少し考えれば気付くであろう欠陥作戦に許可を出し、失敗すれば献策した学徒兵を吊るし上げ、命令に従わなければ銃殺も厭わないなど無能の塊。
    • 序盤に伊月が「不安にかられた子供を導くことができるのは同じ子供ではなく、揺るがない大人の存在である(P.48~)」と述べているが、こんな無能で無責任な大人しかいないのに「導く」「揺るがない」とするのは不自然。若者を活躍させるための不整合を大人に押し付けている

だが、俺は正規の軍人。借りは返す(P.275)

【分類】:《不自然》
  • 小野大祐大尉の台詞。軍人じゃなくても返せ。
    • 「貸し借り」で行動を決定するのであれば軍人として不適。むしろ正規の軍人だからこそ貸し借りではなく任務や使命を優先すべきでは。
    • このあたりの組織の在り方、軍事組織の在り方の無理解さがアークスといういびつな組織の構造と全く同じ。

学徒が主戦力となるのは自明の理だった(P.294)

【分類】:《不自然・疑惑》
学徒が主戦力となるのは、3年前の徴兵令が発布された時点で自明の理ではあった。上層の老人どもは、正規兵練成までの時間稼ぎに使い捨てるようだったが(中略)
日常を愛おしみ、欲するようになればどんな困難をも超えてゆく力となる。やがて来る平和の世を願い、邁進するだろうと。
はたして学徒は、平和への渇望を糧に、戦場における要と成り代わった。超常的な存在は学徒を依り代に選び、英雄と呼ばれる存在は学徒の内より生まれ、全てを打開するための道しるべは学徒によってもたらされた。
  • 大人に成り代われる理由が意味不明。この理屈だと「大人は平和を求めず、日常を欲しない」ことになる。大人も平和を求め、日常を愛おしむのであれば「成り代わる」ことにはならない。
  • 非日常のなかで生き抜くために日常がどれほど尊いことかを知るために平穏な日常が必要という理論はおかしくない。しかし、だから「子供が大人に成り代わる」理屈はおかしい。
    • これは『蒼穹のファフナー』で竜宮島がそのように維持されていたことと理由が同じ。しかしファフナーでは「大人が子供の代わりになれない」という絶対に覆せない理由があったからである。
      『伊月の戦争』ではその明確な理由がない。むしろ伊月は「大人の存在が必要」と言っている。
  • この「よくわからんけど可能性に賭けてみよう」はアークスの「新生児の設計はせずに突然変異的に生まれてくる個体に賭ける」のと似通っている。その割に遺伝子操作をガンガンやっているわけだが……。
  • 「上層の老人どもは、正規兵錬成までの時間稼ぎに使い捨てるようだったが」は完全にガンパレード・マーチの芝村準竜師の言い分。

影獣の発生源が解っているのに待ち伏せしない

【分類】:《不自然》
  • 影獣は夜になると跡形も無く消え、太陽が昇ると同時に出現するという設定。つまり夜のうちに発生源まで出向き、爆弾なりを仕掛けて破壊すれば作戦完了である。発生源は鴨志田戦区の隣であり、主人公達は半日に3つの戦区を転戦出来るほどの機動力を持つため出来ない理由がない。
    • しかし夜明けを待って作戦開始、何故か拠点から出撃して無駄な進軍シーンまで入れるアホっぷりである。

53 名前:名無しオンライン[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 11:55:54.01 ID:xxxez8jS [4/4]
連投失礼
>>42
読んでないのかも知れないけど、もう少し勉強しないと笑われるよw

>古墳の中にあるであろう「=」を破壊するのが目的なんだから夜明けを待って強襲するとか馬鹿すぎるだろ、アークスじゃないんだからw

↑
先ず標的の『=』の形状や大きさや存在そのものも不明。古墳内に存在すると推測されただけで詳細な位置も判明していないので爆弾の設置など不可能。
要するに「出現するまで存在していない敵」を生み出してる(または原因となる)【何か】をどうやって見つけるかすら判明していない以上、先制攻撃は不可能と推測できる。
決定的なのは『伊月』が「あれらを破壊できるのは同等の力を持つ、概念兵器のみ」と明言している事。何のヒントも無しに古墳に突入して『=』を見つけ概念兵器で破壊する、など素人でも少し考えればわかる無策で無謀な行為だと思う。
軍事的な作戦としては「中核になる天宮隊を一般兵で援護しつつ出現した影獸を突破し原因となる『=』を捜索、発見したら概念兵器による破壊を行う」というものかと。
作戦開始が夜明けなのは捜索には一般兵が必要であるという事に起因する。正体不明な目標を捜索するのには人海戦術で出現数の多い方向に『=』が有る可能性が高いと推測するのが順当だから、に過ぎないという程度。アバウト過ぎる作戦ゆえに呆れられたのは本文にある通り。
そもそも、どうやって『=』を見つけるか、を真面目に考えてたか疑問であり、戦争が始まってから敵の出現位置を初めて特定できた事に舞い上がっていたとしか思えない愚行で失敗したのは当然の結果。
【PSO2】宇野のシナリオに物申すスレ48【涼野遊平】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/ogame3/1388638978/

  • だが、上記の理由も無理筋。
    また、作戦のベースである「中核になる天宮隊を一般兵で援護しつつ出現した影獸を突破し原因となる『=』を捜索、発見したら概念兵器による破壊を行う」は昼夜を問わず可能なはず。
    影獣は建前上夜には出現できないが、人間は明かりさえあれば夜間の活動も可能。「総人口が減ったので物資が尽きることがない」ので、ライトや電力といった物品が足りないはずはない。
    「正体不明な目標を捜索するのには人海戦術が云々」といっても、昼間に影獣の猛攻を凌ぎながらあるかどうかもわからない、形も場所もわからないものを捜索するのと、影獣の抵抗がない夜間での捜索とどちらのほうが成功率が高いのかは問うまでもない。
    どうしても昼間でなければダメなのであれば爆撃機などによる航空支援、戦車や迫撃砲などの長射程からの火力支援くらいはあってもいいはず。それすらもなく「砂漠で落としたコンタクトレンズを探す」かのような徒歩での作戦は間抜けにもほどがある。

量で劣るのに包囲戦

【分類】:《不自然》
  • 逆包囲されて敗走。作戦の立案者(伊月&クレア)はそのアホさ加減に気付いていた。作戦を実施するに辺り総軍の許可を取っているのだが、他の上官の誰もが欠陥には気づかないご都合展開。
    なお作戦を承認した遊佐少将が作戦失敗時にクレアに語るのは「俺の傘下に無駄に出来る兵は一人もいない」的な台詞である。それなら最初から欠陥を指摘し、作戦は承認するなよという話。
    • 「おかしな作戦だけど神がここで作戦を失敗する展開にしてるので失敗しますね」と言っているとしか考えようがない。
    • しかし下記にも記述されているが、剣山決戦は人類側初の反攻作戦でもあったため一気に決着をつけるという狙いはあながち間違いとも言い切れない。
      もちろんこれで影獣が倒しきれなければ玉砕待ったなしのリスキーな作戦で成功率が高いとは言えず、不確定要素も多い。また、「鴨志田地区の五分の一の戦力だが、全投入も厭わない」程度の認識なので「逆転を狙いたいがオールインする度胸もない」というどっちつかずの印象も受ける。
  • 兵士というリソースは命ではなく「金がかかってるから」無駄にできない、という考え方はミリタリーものではよく使われる思考法なのでこれをもってしてパクリとは言いえないが、おおむね同様の意味をガンパレード・マーチの本田先生が講義の中で語っている。このセリフを言わせたかったのだろうが、全く説得力がない。

わざと撃たれる・被害が小さすぎる

【分類】:《不自然》
  • 極度の興奮状態になった祥陽をなだめるために自分から撃たれる伊月。
    • わざと撃たれたのは後述する理由があったからだが、影獣の武器は人類側と同等のものであると作中でも語られている。
      末端部である手を撃たれれば指の一本や二本どころか手が丸ごと吹き飛んでもおかしくない。まして手は骨・筋肉・神経が複雑に入り組んだ構造をしているため、どんな弾丸であれまともに動かすことはできなくなる。
      それにもかかわらず、撃たれた直後に包帯を巻いた程度の簡易な治療で「ぶんぶんと手を振って」みせられる程度の被害しか負っていない。
  • 左手を撃たれた直後に出撃し、今度はわき腹を撃たれて3日昏睡。その後「概念兵器」を受領し、1日で3戦区を転戦し、司令部で精神鑑定を受けて深夜に風呂に入る。人間ではない。

負傷でしか休息期間がない

【分類】:《不自然・無理解》
  • 上記で伊月が意図的に負傷したのは「精神的に負担が大きかったため、負傷を理由に休息期間がほしかった」からである。戦場にいる限りは肉体的にも精神的にも激しく消耗する。
    当然兵士が相応のパフォーマンスを発揮するために相応のケアが必要になるが、それが適切に取られていないと思われる。
    もし負傷の回復『のみ』が休息期間を与えられる条件であるとしたら、この方針を決定した責任者はとてつもなく無能。ブラック企業の雇用者が労働者を使い捨ての消耗品と考えているのと同じである。
    だが兵士とは消耗はするがカネと時間がかかるため使い捨てにするのは装備も込みで考えると非常に効率が悪い。要するに替えが効かない。
  • 元ネタとなったガンパレード・マーチでも出撃の可否は乗り込む人型戦車のコンディションのみでしか判別されていない。
  • しかもそこまでして休息期間を取ったにも関わらず、翌日に襲撃を受けて結局戦闘に出ている。全く無意味な展開。
    • 撃たれたことで理性を失っていた祥陽を落ち着かせることができたが、彼はその場にはいなかったため実際に撃たれる必要はなく、落ち着かせる目的だけなら演技でよかった。
  • 《余談》かつて自衛隊も同様に「休息の必要性」を理解していなかった。
    米軍との合同訓練で「他の隊員が任務に従事しているときに自分だけ休めない」という日本人らしい理由から休息をせずに隊員全員で限界まで任務にあたった結果、ものの数日で全員がまともに作業をこなせなくなってしまった。
    それを見た米軍関係者から「休息は義務」「人を働かせて悪いと思うならしっかり休んでそれだけ働け」とアドバイスを受け、大いに参考にしたという。

万の敵を消し飛ばせば、万の味方が消し飛ぶ攻撃を見舞われた

【分類】:《不自然・無理解・》
  • お互いが武装した戦闘集団であれば、1回の交戦で数千・数万の大被害を与える/被るような状況になるとしたら、極端に広い範囲で交戦が行われるか、航空爆撃や大量破壊兵器などの瞬間的な広範囲・高威力の兵器を用いない限りは普通は起きない。
    • 非戦闘員の集まる拠点などを襲撃されたりすればその限りではない。物語中では「鴨志田の悲劇」と呼ばれる非戦闘員の虐殺があったため、人類側はそうやって被害を受けた可能性はある。しかし、影獣は拠点を持たないため人類側は交戦を行って「数万の敵を消し飛ばす」必要がある。
      ところが、伊月の戦争では車両や航空機といった兵器が一切登場せず、必ず歩兵による戦闘を行っていることから人類側は歩兵戦で一方的に数万の敵を撃破していることになり、かなり不自然。
    • 影獣は人類側の戦闘員には手も足も出ないので非戦闘員だけを狙う、とすればわからなくもないのだが、概念兵器『=』のルールにより、影獣は「相手が手を出してこなければ反撃を行わない」というルールに従わなければならないので、非戦闘員を狙うのはルール違反ということになる。とすると影獣も人類同様に交戦を行って「万の味方が消し飛」ばしたことにならなければ整合性が取れない。影獣も人類同様に車両などの兵器を用いないため、同じく歩兵戦でそれだけの被害を出さなければならない。ますます不自然である。
  • これらの不自然な状況は物語の根幹にかかわることなので不自然であることが正しいのだが、そうであるにしても「お互い歩兵戦でターン制バトルのように被害を交換している」というのは物語の都合でそうしているとしか言いようがない。ありていに言ってしまえば伏線の貼り方が陳腐。

もっとも被害が少なくなると演算された四人一組の歩兵隊による交戦にシフトしていった

【分類】:《不自然・無理解》
  • 「千の敵をすり潰すように撃退すれば、同等の攻撃で千の味方が鏖殺され、万の敵を消し飛ばせば、万の味方が消し飛ぶ攻撃を見舞われた」とある以上、一万人を四人組にしたところで4対4の交換を何度もするだけであり被害は同等なのでは。倒した敵が同じなら倒された味方も同じになるのが『伊月の戦争』のルールになっているはず。すでにこの時点で設定が破綻している。
    • やや重箱気味だが、「すり潰すように」「撃退」は不自然。すって潰したのであれば殲滅しているはず。撃退であれば敵は退いているのだから「すって潰」れていない。
      • ただ、人類側からすれば影獣が何体いるか、どういう行動原理なのかが分からないので、「すり潰すように」しても「撃退」としか言えないのは仕方ないかもしれない。
  • 独立して戦闘を行う部隊が4人1組というのはかなり少人数。例を挙げると、アメリカ陸軍が1分隊9名、陸上自衛隊が同7~8名とされている。
    • 例えば4人のうち1人が歩行不能の重傷を負った場合、怪我人を運ぶのに2人が必要なため、戦闘要員はたった1人で3人を守らなければならない。戦闘単位として極めて脆弱である。
      • 四則演算の記号が4つしかないので4人であることは想定できるが、戦隊ものでもあるまいし概念兵器の数にこだわらず隊員数を決めることはできたのでは。
        ガンパレード・マーチでも主力となる1組人型戦車部隊は4人になっているが、これは配備された兵器と施設がそれだけしかなかっただけの話でシステム的には3人にもでき、「4人であること」が前提ではない(ゲーム的な仕様で5人、6人と増やすことはできない)。
      • 冒頭で死亡した小杉隊と合わせて1分隊扱いにしておけば、「分隊の半数損耗により人員補充まで出撃不可能」など前述の休息期間についてもまだ説明がついたのではないか。
  • 元ネタになったガンパレード・マーチでは「幻獣との休戦期間が1か月後に迫っている」ことと「本土で急ピッチで進められている正規兵の訓練」のために時間稼ぎをする必要があった。そのための学徒兵であり、彼らはそもそも捨て駒だった。
    この点は『伊月の戦争』でもそのまま用いられており、遊佐少将のセリフからもそれは明らか。
    しかし、宇野氏はガンパレード・マーチのように「戦闘にはどれだけの人の手が必要なのか」が理解できていないため人員を増やすことができず、「4人1組だと被害が少なくなる」という理屈で人員を省いてしまっている。
    ガンパレード・マーチでは「休戦までに学徒兵は全滅する」と想定されており、そのため4人1組がどうのこうのではなく、日本全国から可能な限りかき集められてきている。
  • 「歩兵分隊」に限定している点も意味不明。車両・航空機などの乗り物を用いないのはあまりにも不自然。人類が戦車や戦闘機を用いたことで影獣も同等のものを用いたのであろうことは当然考えられるが(むしろないほうが異常)、通常であれば戦車や航空機などを用いた戦闘は激化するはずである。しかしそうした戦力が過去に用いられた描写は一切ない。
    人類側にはもはやそうした戦力がないのであろうことは察せられるが、そうした描写もない。後述するが、影獣側は「人類側に対して戦力的に優位に立った場合は人類側を補填する」はずなので、乗り物を失ったぶんだけ何らかのかたちで補填されていなければならないはず。この間まで使っていた兵器を突然影獣が使わなくなっていくのはあまりにも不自然ではないか?いくらなんでもすべての乗り物が大砲やミサイルを撃ち合ってすべて相打ちになったとは考えがたい。

乗り物が一切出てこない。

  • 『伊月の戦争』では車や飛行機が一切登場しない。祥陽の腕時計は船便による輸入品なので、船があることは確定。「影獣はインフラを狙わない」ので船による輸送が可能ならば、車両や飛行機の輸送インフラも存在するはず。これらが存在するなら軍事転用するはず。車両や飛行機は軍事転用したので影獣に攻撃されて登場しないのであれば、船だけ転用されていないのは不自然。海上から陸地に向かって支援砲撃なりなんなりできるはず。「人口が減ったので物資が尽きることがない」ので船舶の改修や兵器の搭載ができないはずがない。
    第2次世界大戦中には徴庸された多数の船舶があり、改修されて航空母艦となった飛鷹などは有名。にもかかわらず、『伊月の戦争』では戦闘および戦闘地域への輸送手段としての乗り物は一切出てこない。自転車すらない。舞台は神奈川県がベースになっているので、電車の一本も通っていないというのはなおさら不自然。影獣はインフラを攻撃しないはずなので、電車が破壊されているのであれば「インフラを攻撃しない」という分析がなされるのはさらに不自然。インフラを攻撃しないと判明しているのであれば再建していないのはこのうえなく不自然。
  • 物語的には「持っていたが先の激戦で喪失した」「鴨志田区は重要なエリアではないので配備されていない」とするのが(そもそも乗り物がない時点で不自然極まりないのだが)自然な解釈か。
    • だが「尽きることのない物資」はどのように輸送しているのだろうか。原材料から加工・生産にいたるまでを人の手で賄っているのだとしたら相当に非効率。また、そんな非効率な状況でも「尽きることがない」ほど生産・供給をしているのだとしたら、相当な人的リソースを割いていることになる。少年少女を前線に送り、彼らの多くが犠牲になることを明確に認識しながらなおそのような非効率な生産に固執するような指導者なら影獣との戦いに勝つことなど不可能。そもそもこんな連中がトップにいる時点で敗北している。
  • もしかしたら動力式の車・飛行機・船舶といった輸送手段は存在しておらず、すべて人力によるものなのかもしれない。
    であれば伊月達天宮隊は概念兵器を受領してから3つの地区を徒歩で移動したことになり、いくらなんでも緊張感に欠ける(学園ミリタリーものとしては健全で絵面的にはありかもしれない)。祥陽の腕時計も手漕ぎボートで海外から輸入しているのかもしれないが、そうであればいち学生の手に入るような額になるとは思えない。

敵を誘い込み一網打尽

【分類】:《疑惑》
  • 伊月が得意とする戦術。いつの間にか設置していた爆弾で一掃する。伊月の戦争ではこれが最強戦術。
    • 流れ弾や瓦礫に巻き込まれて誤爆や誤作動、不発なども考えられるが、昨今の高性能なものだと少ないらしい。
  • 「ガンパレード・マーチ」に登場する人型戦車「士魂号・複座型」の切り札「ミサイル」を用いた戦術とほぼ同じ。
    • 士魂号・複座型の「ミサイル」は全方向に超強力な攻撃を行う、文字通りの必殺技だが有効射程が短く「敵のど真ん中に突っ込む」「1回切り」という大きなリスクを背負っている(より正確には予備弾薬を持ち込むか補給車が出撃していれば再使用は可能だが、こうした補給をはさまなければ1回切りであることは変わらない)。
    • ガンパレード・マーチ序盤では基本的にこれだけで勝てるのだが、中盤以降は敵の数や強化によって被弾も多くなり「突っ込んでいってミサイル」だけでは手詰まりに陥ってしまう。
      そこで必要になるのが「士魂号という戦力」ではないく、敵の行動予測と戦術というプレイヤー側の数値に見えない強化によって補っていくようになるのがガンパレード・マーチの戦闘面における秀逸な点であり、発売後20年以上経っていまもなお不朽の名作として語り継がれている要因の一つである。宇野の戦術理解度はこの「突っ込んでいってミサイル」どまりということ。

戦争

【分類】:《誤用》

人間VS影獣は「戦争」ではない。戦闘である。

8 :ここがオカシイ「伊月」Wiki:2014/05/29(木) 19:25:59.05 ID:ISJcW3nc
引き続き「伊月」Wikiの異常性を具体的にあげる 

更に【戦争】で 
「人間VS怪獣は「戦争」ではない 個人VS個人も、やはり「戦争」ではない」 

と書いてあるが『読んでない者の極致』と言える。同様に 

「反論への反論 :「でも、これは戦争じゃないんだけど」 
投稿日:2014/01/03(金) ID:C26kb80s」 

の発言こそ、作品そっちのけの妄想垂れ流しである。 

本編には以下の記述がある。 
「(前略)戦争の終わりを望まなかったものたちの願いを『=』は叶えただけ(中略)
戦争が終わらないで欲しいと願ったのはかつての人類であり、私と僕はその願いを叶え続けているに過ぎない」 
「そのかたちが、影獸という不倶戴天の敵性存在……延々と戦力が拮抗するように影獸が存在すれば、
戦争はいつまでも続く。そうか、だから影獸は……こちらの戦力に合わせて……」 

と、戦争の継続を目的として生み出されたのが、敵である影獸だとハッキリ書いてあり、
別項への“説明”も明記されている。どこを読んでWiki編者は明言したのだろうか? 

  • 上の指摘は「影獣との戦闘=戦争の代用品」ゆえに「影獣=戦争」である(そうでないと影獣の存在意義が揺らぐ)という解釈であると思われる。
    一理あるのだが、一般に使用される「戦争」とは意味が異なってしまう。
《戦争ではない》
軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと。特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態。(デジタル大辞泉)
~国家が自己の目的を達成するために行う兵力による闘争がその典型である。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
  • 上の「戦争」の定義に当てはめると、影獣には「自己の目的」が欠けているため「戦争」とは言い難い。
    • 普通「目的」を達成するための手段は相手の降伏/服従である。「全滅させるまで戦闘を続ける」のが「自己の目的」であった場合「戦争」ではなく「虐殺」である。
      • 「激しい争い/混乱」を指して「戦争」とすることもあるが、「戦争を終わらせたくない人の願いを叶え」る人物の理解としては浅すぎないだろうか。受験戦争や交通戦争でもよくなってしまうし。
  • 「戦闘を激化させて人類を減らし、最終的にはゼロにする」では「戦争を終わらせたくない」人の願いをかなえられない。終わってしまうからだ。
    • 戦争を無くせないのであれば戦闘の規模を徐々に小さくしていき、恒久平和条約によって各国の平和を維持しつつ犠牲を最小限にするという手段もあるはず。世界はこの戦争を名目上はなくそうとするが、その実それぞれがそれぞれの立場や利益から介入をし続けることで戦争は最小化しつつもそれら介入者の対立が解消されるまでは続くことになる。代理戦争である。
      「機動武闘伝Gガンダム」のガンダムファイトは様々な思惑が入り乱れた代理戦争であり、単純なショーではなかった。「機動戦士ガンダム00」で登場する戦術予報士のカティ・マネキンは「戦争を無くせないのであれば早期決着によって被害を最小限にとどめる」と語っている。
      戦争であるというのであればこうした「ドンパチする」以外のアプローチがないのは不自然である。
    • また、「人は戦って死ぬべき」として『=』は事故死や病死、自殺などは戦争に含まれないのでライフラインを狙わないという理由付けをしていたが、これが戦争であるならば「兵糧攻め」のような持久戦も含まれなければおかしい。あるいは厭戦ムードを作り出し「影獣に降伏しよう」という世論を作り出し、内部工作で戦意を削いだり、味方同士で対立させたり戦わせたりする工作もなければおかしい。これが「戦闘」であれば「正面切って撃ち合いで命を落とさなければならない」とするのは構わないだろう。
  • 『天宮伊月』という個人が、『この世界で生き抜いていく』という姿を指して「天宮伊月という勢力」の物語を『伊月戦争』とするのは妥当。

中破

【分類】:《不自然・誤用》
  • 伊月の戦争では生身の人間が被弾して「中破」と報告する。
    • 生身の人間の腕が撃たれてダメージを受けたとき、それを中破とは言わない。通常は負傷、程度は(微傷)軽傷・重傷とするのが普通。ミリタリーものなのでトリアージの色で表現してもいいだろう。
      元ネタのガンパレード・マーチは人型戦車≒ロボットに乗って戦うゲームなので、腕部分が壊れたら「中破」でいい。
      特に設定を推敲せずそのまま持ってきた送還⇒PSO2の手法そのまま。
  • 小破と大破は出てこないが中破だけは連呼される。
    • 伊月が左手を撃たれて「中破」、左手を消毒して包帯を巻く処置を行った。伊月がわき腹を撃たれて3日間意識不明でも「中破」。祥陽が頭を撃たれても「中破」。
      クレアが「被弾して中破という情報しかなくて心配した」と言っているが、末端部を撃たれたのと体幹部を撃たれたのでは全然意味合いが違う。
      • 味方が負傷すれば、自力で帰らせるなり担架で運ぶなりの対応をしなければならない。後方の野戦病院等にしても同様。その判断基準が(伊月世界では)「中破/大破」であり、なんでもかんでも「中破!」では怪我の程度を表現する意味が無くなってしまう。
    • 要するに「小破では危機感が出ないが大破だと死亡になってしまうから」一緒くたに中破としたのだろうと思われる。
      「中破」という語も、同様の発想で「軽傷」「重傷」の間が思いつかなかったので「大/中/小破」を使ったか?
      • 人間のケガの場合「軽傷/中傷(中等傷)/重傷」か、「重傷」のうち特に命に関わるものを「重体」とすることが多い。辞書を引けばすぐ出てくる程度の話。

左前腕部

【分類】:《不自然・誤用》
  • 前腕部は肘から手首までを指す医療用語。伊月が撃たれた部位は左手。重箱気味だが、「左手を撃たれた」をかっこよさげに言い換えようとして間違えている。
    左手であれば左手とすればよいだけ。どうしても違った表現にしたいのであれば左手掌(しゅしょう)が妥当。

回転(P.165)

【分類】:《不自然》
  • 墓参りで伊月が行った行動。
  • 常識的に考えれば足元を支点に横回転したのであろう。いくらなんでも会話中に縦回転する人はいない。はず。
    • 普通は「踵を返す」「背を向ける」「反転する」などとする。「回転」はこれらに比べて「1周以上ぐるぐる回る」というニュアンスが強い。
      もちろん1周以上回ったのかもしれないが、それならそれで「くるくると回った」のほうが自然ではないだろうか。「回転」とするのはあまりにも機能的、無機質な印象になる。
    • ほかのシーンでは「回った」「踵を返した」と表現していることから、そうした表現を知らないわけではないのだろうし、一般的にはそちらのほうが自然。なぜここだけ「回転した」なのだろうか。

外連味(P.315)

【分類】:《誤用・不自然・無理解》
  • 宇野氏お気に入り、鉄板のネタ。シンフォニックドライブでも使われている『外連味』の誤用。ウノリッシュ誤用編(外連味)
  • 作中では祥陽が取った行動。ピンチに陥った飛鳥を救出しようとしたが、間に合わないと判断して彼を蹴り飛ばした。判断としては間違いではないが
しかもヒーローものの演出で見るような豪快で''外連味''にあふれた、いわゆる跳び蹴りを腕の当たりにお見舞いしたのだ
  • ……とある。そんな緊急避難的な救出を行う時に「外連味」は必要だろうか。跳び蹴りは別に外連味が主体の攻撃ではない。
    おそらくはラ○ダーキックというような表現を使いたかったのだろうが、編集から待ったがかかったのではないか。宇野がこういうときに自制できるわけがないし
    • 格闘技的に言えば前蹴りや回し蹴りと比較して外連味があるとは言えるが、救助活動の際の飛び蹴りは普通の手段である。「感電事故の救助はドロップキック」と指導を受けた方もいるのではないか。
      • さらに言うとヒーローものの飛び蹴り(片足)で腕の当たりを蹴ると脱臼や骨折などの危険が大きい。胴体部分をドロップキック(両足)で飛び蹴りするのが普通。両足の足の裏で蹴った方が片足の場合に比べて力が広い面積に分散し、蹴った側も捻挫などしにくいため。また両足の力が使えるので、蹴飛ばす距離も増す。蹴る場所についても、胴は腕に比べて脂肪・筋肉も厚く、肋骨という柔軟性のある構造になっているため大怪我になりにくい。
    • 表現としては「緊急時でもヒーローぶってカッコつけた行動を選択する人物」「テレビ番組などの創作物の影響が強い人物」という印象を持たせることはできるが、祥陽の人物像としてはややズレるか。
      しかし祥陽は性格的には「戦隊レッド」の熱血ヒーローのキャラクター付けなのでやりたいことはわかる。
  • 「演出」は「舞台や映画に含まれる演技、音楽、セリフなどの表現に調和を持たせる作業」。ヒーローものの飛び蹴りは表現そのものであり、演出ではない。
  • 「いわゆるXX」は「世間一般で言われているところのXX」という意味で、XXには意味の限定された名詞が入る。「飛び蹴り」はかなり一般的な名詞であるため不自然。
    • 上で推測されているように「いわゆるライ○"ーキック」であれば自然なので、何らかの指摘があったため単純に飛び蹴りに置き換えたか?
  • 「見舞う」は「相手にとって好ましくないことをする」ことであり、味方を救出する行為には使わない。飛鳥にとっては「助けてもらったけど好ましくない」のでこれはこれで絶対におかしいかというと微妙なところか。

齢三十五(P.176)

【分類】:《不自然》
  • 遊佐少将の年齢。
  • 一般的に齢は老齢の人物に用いる。
    • 普通「若いのに立派」とアピールする場合「弱冠xx歳」
    • トシの割には威厳があるというシーンなのだが、たかだか35歳で「齢(よわい)」は盛りすぎ。
      遊佐少将は有能らしいがどう有能でどのような積み重ねがあるのか全く分からない。そこに言葉だけで仰々しく箔をつけたところで所詮は実態が伴っていないぶん逆にヘナチョコなだけになってしまう。

あたしの記憶がまやかしでないのなら……(P.51)

【分類】:《不自然・誤用》
まやかすこと。ごまかすこと。いんちき。にせもの。 「そんな-にだまされるものか」
(三省堂 大辞林)
  • 一般的にはまやかしとは「人がすること」であり、「記憶違い」や「誤認」のようなものではなく意図して行うものがほとんど。「私が記憶と称して嘘をついていなければ」という意味になってしまう。
    「記憶がまやかし」を使うとすれば、発言者がトラウマ等からの逃避として偽の記憶を多数作り出すような精神状態にあるか、幻影やトリックに釣られている(いた)可能性がある場合か。
    天宮伊月は別に誰かに記憶操作を行われたというわけでもないし、なにがしかのトラウマを抱えて記憶を「まやかす」状態にない。
  • 《もしかして》「あたしの記憶が確かなら……」
    「私の記憶が確かならば」はTV番組「料理の鉄人」で主宰役:鹿賀丈史の語り出しの一節。元ネタはアルチュール・ランボーの詩「地獄の季節」。

人類側損耗率35%と前代未聞の被害

【分類】:《無理解》
  • 冒頭の世界観説明「同等の戦力と幾度も相打ちになり」と矛盾する。前代未聞ではない。
    • 師団・連隊規模で考えると、実際に戦闘を行う人員は数割なので「35%損耗=前代未聞の大損害」は矛盾とまでは言い切れないのだが、伊月隊が分隊規模で行動を完結させているところを見ると、やはり前線部隊だけの割合で考えるのが自然ではないか。
  • なぜ35%が前代未聞なのかを考えると、ゲーム「ガンパレード・マーチ」で語られる「損耗率5%で撤退、10%で大敗、20%全滅」(実際は自・友軍総戦力の20%を失うとNPCは撤退を始める)という基準で「35%=大損害」と考えていると思われる。
    しかし、『伊月』では、軍事のうんちく・作品世界独特の知識がほとんど語られないまま「35%は前代未聞の大損害」とされるため、意味不明になっている。
    損耗率〇〇%は大敗、XX%は軽微な損害という話をしないのであれば、割合の話題など出さず「大損害を被っており、多くの部隊が再編成もままならない」とすればよいだけの話。何となくものを知ってるぜ的な知識をひけらかしただけで終わっている。

総人口が減ったから物資は尽きることが無い

【分類】:《不自然・無理解》
幸いなことに物資が尽きる気配はなかった。いや、実際には減っているのだろうが、それ以上に人の数が減っているので問題になることはない。
  • そんなわけはない。
    • これは太平洋戦争後に人口が減ったがそれ以上に生産力が激減していたため大変な物資不足に陥ったことを知っていれば実情に即していないことがわかる。
      『伊月の戦争』では発電施設などのライフラインを攻撃されないというルールがあるため「使う以上に生産している」と考えれば物資が足りなくならない裏付けになるが、”余っているのにも関わらずなお生産する”という非効率な生産であることにもなる。
  • 戦時にはそれらを扱う「手」が足りないために生産要員を戦闘要員に回すことは妥当な判断であり、順序で言えば生産力が落ちないわけがない。
    本来なら伊月のような若年層はまず生産要員として回されるはず。そして生産要員が戦闘要員になるのが自然。伊月のような少年少女たちまでもが戦闘要員になるということは、生産要員はほぼカツカツの状態でなければおかしい。であれば物資に余裕があるはずがない。
  • しかし時勢を鑑みて取水制限は行われている。この「時世を鑑みて」というのも意味不明。尽きることがないのなら取水制限など全くの無意味。
    物資が余っているのに逆に自制して禁欲に走るというあたりは日本人的といえなくもないが……。
  • ガンパレード・マーチで学徒兵まで駆り出されているのはなにより「人が足りない」からである。もちろん物資も足りていないのだが、それ以上に「それらを使う手」が足りていないから。伊月の戦争は「子供たちを戦争に出したい」が先に立っているためにこのあたりの整合性を放棄している。
  • にも拘わらず、
物資が足りずに戦争をやめるという例は枚挙にいとまがないというのに、不思議な話である。
  • と述べられている。つまり「あれ~?明らかにおかしいけど物資不足にならないね、ふしぎだね~?」と言っているのである。PSO2でも乱用されている「そういうことになっているから思考停止してそういうことだと理解してください」とやっているのと全然成長していないのがわかる。

概念兵器

【分類】:《不自然》
  • よくわからないが超スゴい何か。人の意思や願望に適した形を取り超常現象を引き起こす。
  • なぜこんなものがあるのか、だれが、どのようにして、なんのために、いつからあるものなのか、何もかもが不明。
    超常的なものとはえてしてそんなもので、「わからないもの」であればそれはそれでオーパーツとして物語に登場することは構わない。
    だが、それが「わからないもの」であるかどうかさえも物語中ではまったく触れられていない。
    • 発端としては「恒久平和条約によって戦争がなくなる」という世界の変化に『=』が反応して物語が始まったわけだが、「なぜそのタイミングだったのか(ほかのタイミング、別の事象でいけない理由)」からして不明。
      それに対抗しうる概念兵器を持つ「白く光る奇麗な人」何の布石もないまま唐突に伊月たちのところに現れたことも不明。
概念兵器とは、願いを叶えるものだ。祥陽たちが己の願いを各々の武装として具現したように(P.202)
  • 「己の願いを各々の武装として具現」。
    設定や名称がPSO2、PSO2 The ANIMATIONの具現武装に流用されている。また、何のためにあるのか、由来が不明なまま「なんかすごいもの」として祭り上げられている創世器にも一部転用されている模様。

『英雄隊』

【分類】:《不自然》
  • すごい!つよい!
  • 英雄だ!すごい!
    • PSO2の六芒均衡と同じで「何がどう強い」「何をするから・何ができるから強い」「どんなことをしたから強い」が一切ない。
      武器はナイフのみで銃火器を用いない。
      「英雄だから普通の違うことをしなければならない」ために銃器を用いないことにしたのであろうことは理解できる。しかし影獣が人類と同等の近代兵器を用いることや、人類側は圧倒的に不利な状況にあるにも関わらず、あえて不利な武器だけを用いる「手抜き」によって英雄隊と、その対となる影獣の脅威が削がれてしまっている。
    • そのうえできることは「転移」なので終盤で明らかになった能力も大したインパクトにならず、結局祥陽達とは白兵戦に終始。転移能力の鉄板、入れ替わって味方と同士討ちを誘うなどもなし。せっかくの能力を全く活かせていない。
    • 結局宇野氏の鉄板のネタ、思考停止して「凄いから凄いんです!」「英雄だから英雄なんです!」。

謎の彗星

【分類】:《疑惑》
  • 謎。
    • 結局最後の最後まで「観測と同時期に影獣が現れた」因果関係に関しては語られなかった。その後どのように変化したのかも語られていない。
      元ネタであるガンパレード・マーチには意味深な物体があるので、これを踏襲して天体に意味深な物体を配置しただけ。
  • ガンパレード・マーチの「黒い月」はアルファ・システム社の他の作品、いわゆる『無名世界観』の複雑な設定が土台となっているため、編集人の力量不足もありここでは詳細には解説しない(できない)。
    • ざっくりと説明すると、黒い月と呼ばれる物体はガンパレード・マーチの「幻獣」を生み出しているとされるすべての原因。しかしゲームプレイにおいてはいかなる手段を用いてもこの根本的な原因への直接アプローチはできない。つまり通常の手段では幻獣との闘いを終わらせることはできないということになる。
      例外的に、最高評価のエンディングを迎えた場合に限り幻獣が生まれてくる「より根源的な理由」を根こそぎ吹き飛ばして『めでたしめでたし』となる。

影獣

【分類】:《不自然・疑惑》
  • 概念兵器『=』が生み出すもの。「戦争が終わってほしくない」という人々の願いを叶えて永遠に人と戦うために生まれてくるもの。
    『=』の方針でインフラ設備などは狙わず、人類との戦闘のみでその数を減らしていく殺戮装置。とにかく不整合の塊
    • 《夜には出現しない》
      夜になれば視界が狭まり不自由にはなってしまうものの、戦闘自体は昼でも夜でも行うこと自体は可能。むしろ戦争であれば相手の都合などお構いなしに、あるいは深夜のような時間帯にこそ奇襲攻撃が活きる。
      影獣との激しい戦闘を指して「戦争」とするのであれば、夜に安心して眠れる状況やあと一息で撃破できるという状況においても「定時なので帰る」というような手抜きの戦闘が当てはまるとは到底思えない。ではなぜ影獣は夜に出現して戦わないのか。
      ライターである宇野氏はミリタリー知識が極めて弱い。これは昼間の戦闘ですら戦車などの車両や航空機を用いた展開戦術、機動戦術を描写することができず、すべて徒歩による歩兵戦で構築していることからも明らか。
      しかし、夜間の戦闘は昼間の戦闘と異なった戦術やノウハウを必要とする。そのためただでさえ不足している戦術的な知識を夜間戦闘にまで拡張できないからではないかと考えられる。
    • 《戦力の均衡を計る》
      影獣は概念兵器『=』の能力で「人類が戦い続けるための均衡をとらなければならない」というルールのうえで戦闘を行い、人類の数を減らすことがその存在目的である。
      そのため影獣は人類側に対して先制攻撃をしてはいけないことになっている。これは物語終盤で遊佐少将が執った戦術が裏付けになっている。
      また、影獣は人類側に対して数的優位に立ってもいけないことになっている。影獣が数的優位に立ってしまうと『=』の「辻褄合わせ」によって人類側に補填がなされてしまうからだ。これも物語終盤で伊月が「辻褄合わせ」によって復活したことが裏付けになっている。この展開からは「影獣が数的優位に立ったらそれだけの影獣が消えればいい」という引き算は行われないと解釈できる。
      これらの均衡は時間的・距離的な制約を受けなければならない。なぜなら終盤で遊佐少将が執った「千日手」の作戦は「影獣は先制攻撃を行わない」という絶対のルールが前提になっているが、世界中で戦闘が行われている状況からみれば「この瞬間だけ世界中のどこでも不均衡が発生していない」とするのはあまりにも不自然。距離的制約を受けないのであればどこかで±1でも不均衡が発生すれば遊佐少将の作戦は瓦解するからだ。時間的制約についても同様。「この瞬間、これまでに戦ってきた人類と影獣との戦力はピッタリ同じになった」とすれば以降は人間が手出ししなければ影獣は無害化されたことになる。とすれば終盤の灰の白沢のセリフと齟齬が生じてしまう。
      • しかしここで問題が発生する。「鴨志田の悲劇(P.47)」である。これは「幼子や非戦闘従事者などの見境なく蹂躙された」とされており、彼らが先制攻撃を行ったとは到底考えられない。影獣が「他の地域やそれまでに受けた被害から、均衡を取ろうとして非戦闘員を虐殺した」とすれば説明がつくが、上記の通り影獣の均衡はある程度の距離的・時間的な制約を受けなければおかしい。制約を受けないのであれば遊佐少将の作戦は失敗しなければおかしい。
        そもそも『=』の能力は全世界的に影獣を生み出すというかたちで影響を及ぼしているのだから、距離的制約を受けるのはおかしいのではないだろうか。
    • 《進化する》
      影獣は物語序盤では数にものをいわせて押す一辺倒しかできない。そのためわざと退き、敵を引き込み殲滅するという単純な戦術でも数を減らすこと自体はできた。だが学徒兵の練度に合わせるように影獣も手ごわくなり、ひいては伊月の得意とする「敵を引き込み殲滅」という戦術まで使うようになる。
      だが、影獣は『=』によって人類側の戦力と均衡をとるようにできてきているため、数で押す以外の戦術は必要ない。学徒兵が手ごわくなったのであればそれだけ数を増やせば済むだけの話。
      『伊月の戦争』ではこの「囲んで殲滅」以外の戦術が用いられず、そもそも「囲む」「囲まれる」という押し引きの部分が全く描写されていないため「囲んだから囲めた」「囲まれたから囲まれた」という低レベルなものに終始している。
      この程度の戦術のやり取りもろくにできず剣山決戦では大惨敗という結果になってしまうが、これでは影獣が戦術を使ってきたというインパクトより人類側の無能さが浮き彫りになってしまっている。
      ガンパレード・マーチでは「プレイヤーが戦術に熟達してきたあたり」で敵勢力の大増援が行われるようになっている。これは戦術vs戦力というガンパレード・マーチのテーマそのものともいえるもので、「押す一辺倒の敵がさらに押してくる」という状況に対し、より戦術に磨きをかけて生き残らなければならない。
      『伊月の戦争』ではこの部分をあえて「戦術vs戦術」という形にアレンジしているが、用いる戦術が低レベルなうえに影獣の特性から戦術を用いる必要性がないため物語的なカタルシスが生じていない。
  • 影獣は一見『=』のルールに乗っ取っているように思われるが、その実少なくない「ルール違反」を行っているため読者側は多すぎるイレギュラーによって物語の真相を予測することが事実上不可能になっている。それを最後に「実はこうだった」と種明かししたところで説得力などありはしない。PSO2においてもこのような「イレギュラーだらけ」「できたんだからできた」という思考停止論法は健在である。
  • 物語が決着し、影獣の発生源である『=』が倒された後は制御を失って人類との戦いを続けていくことが明かされている。世界の均衡が目的であった『=』は消滅し、その役割も終わったというのに、なぜ?
    よしんば戦いが続くとしても人類側との均衡は取れているのだから無害化されているはず。
  • 元ネタであるガンパレード・マーチにおける敵役は「幻獣」。こちらは明確に人間を能動的に襲う「人類の天敵」。数が減ろうと増えようと、「ヒトだけを区別して襲う」もの。それゆえにライフラインへの攻撃を行わない。
    • その正体は「ヒト」そのもの(ガンパレード・マーチの設定では厳密には人間ではない。ガンパレード・マーチでは純粋な人間は一人も出てこない)。
      ガンパレード・マーチの用語では「あしきゆめにしてヤオト体」。
      可能な限り伝わるように解説すると、「絶望・嫉妬・憤怒などの負の感情から生まれるもの。世界を終わらせようとする意志。悪意。」を持つ「ヒトの変異体」のこと。またはガンパレード・マーチ世界に隣接する並行世界から半実体化させられた別世界の住人。
    • 『伊月の戦争』ではこの設定を物語に落とし込むことができておらず、「生まれてきた原因は人の願いそのもの」という部分や外見的な一部の特徴などの上っ面だけを安易にコピペしているだけに留まっている。
      幻獣のもつ「明確で容赦ない敵意」「圧倒的な物量と戦力で蹂躙しつくす」「昼夜関係なしに襲い、自身の命が尽きるまで戦い続ける暴力性」といった文字通りの「不倶戴天の敵」といった部分を無くしており、
      そのために「夜は戦わない」「ライフラインは襲わない(襲わないわけではない)」「手を出さなければ相手も手を出してこない」という手加減と肩透かしでお茶を濁し、敵役としての迫力がなくなってしまっている。
  • ガンパレード・マーチでは「あしきゆめ」と「よきゆめ」の決戦存在、すなわち竜とHEROとの闘いを経て、ヒトがあしきゆめ(≒幻獣)が生まれてくる絶望や恐怖といった負の感情をよきゆめがもたらす希望が上回わり、幻獣が生まれてこれなくなってしまう。そうして本来近づくことすらできなかった幻獣を生み出す存在「黒い月」を回収して戦いが終わるという完全な決着を見る。
    • 『伊月の戦争』では、「戦いを生み出している原因は人間自身」という点を踏襲しているが、結末はオリジナル展開になっている。それがパクリ批判を避けるためか、自分ならより良い結末を紡げると思ったのからなのかは不明だが、ラスボスが敗れる原因が「飽きたから」という、ここまでの物語を完全に否定するかのような理由付けになっている。
      ガンパレード・マーチの逆を行くのなら、せめて「人間が戦いを辞められるかどうかの判定装置だった」とか「『=』が起動したのはエラーだった。エラーを抱えていた『=』は伊月たちが戦う姿を見て戦いを終わらせたいという願いを理解し、それを叶えてしまった」といった「何のための戦いだったのか」くらいの説得力を持たせられなければ物語としてのカタルシスは弱いものになってしまうのではないだろうか。
      このあたりの作品自体を崩壊させるような理由付けで無理やり展開させることが宇野シナリオの盛り上がらない原因ではないだろうか。

剣山決戦

  • 影獣の発生源に対して行われた大規模な包囲戦。人類の反攻作戦。
  • 実は概念兵器を手にした伊月たちによって人類vs影獣の均衡が崩れ始めたことを危惧した『=』が仕掛けた罠。
    伊月とクレアは剣山の古墳から影獣が発生しているという偽情報から「そこが影獣の発生源」と短絡的に判断し、数で劣る人類側は包囲戦を仕掛けるが逆包囲され敗走。
    伊月は行方不明(文脈からして死亡で確定)、祥陽は中破で戦闘不能と惨敗に終わった。
    • これはクレアが述べているように「夢を見てしまった」ことが原因。
      影獣は進化していると知っていながらこれまで戦術を用いてこなかったので大丈夫だろうと思ってしまったことや、初めて影獣の先手を取ることができると思い込んでしまったことが主な理由だが、そのほかにも『=』の暗躍があったことも伺える。
    • また、逆包囲に関しても影獣の性質上当然起こりうると予想できたが、「それまでにケリをつけられる」と思うほどに概念兵器の力が優れていたからと考えると、欠陥作戦であっても目の前にぶら下がった勝利からすればハイリスク・ハイリターンな選択ではあるもののやむを得なかった側面はある。
  • 問題は地上戦力のみを作戦に投入したこと。『伊月の戦争』では航空機などの支援や車両などの描写が一切なく、基本的に歩兵のぶつかり合いに終始している。
  • 『英雄隊』の2名も最初は参加を拒否しておきながら、途中から参戦している。英雄が参戦したことで人類側がより深追いしやすくなるというのを狙った可能性もあるし、この決戦で天宮隊からの欠員を狙っていた可能性もある。しかし瀕死だった祥陽を無事救出しているため彼らが出てきた理由が薄い。
    • 祥陽はこの後、戦場で孤立しているところを包囲されて窮地に陥っていることから、別に剣山決戦で死亡していても問題はなかった。なぜ彼を生かす必要があった?
      「一度に英雄が失われるよりも徐々に数を減らしていったほうがじわじわと追い詰められていくプレッシャーを与えられる」という意図もあったかもしれない。
  • 様々な事情が重なったため、剣山決戦は「無謀な欠陥作戦」であったか「乾坤一擲の反攻作戦」であったかの評価は分かれるかもしれない。
【分類】:《疑惑》
  • 一方、物語展開上の中盤の山場としての位置づけはガンパレード・マーチの「熊本城攻防戦(熊本城決戦)」とほぼ同じ。無茶な作戦で主人公たちの部隊が苦戦を強いられる点や、主役の女性キャラが一人残って死亡する点も同じ。これが仕組まれた作戦であったことも同じ。



作家としての問題点


意図的なネタ被り

  • あとがきによると、過去のネタ帳を引っ張り出したと書いている。
    「いつかやりたいとずっと温めていた」という意味で、過去のネタ帳から「未発表またはボツになったものを練り直して用いた」という意図であれば大変結構。作家冥利に尽きるというものだろう。
    とはいえ、PSO2での犯行を見るに単に「前に使ったネタを流用したい」という意味であることは誰の目にも明らかだが……それをあとがきで喜々として書いてしまうことも含めて、話のタネの流用がどれだけ程度の低いことかを理解していないようである。なお、この「前に使ったネタをまた使う」のは次作「アトラ・シンドローム」にもみられる

校正で80ページ削られる

  • 校正前は、PSO2ではそのまま放置している「性能も高い高性能モデル」というような言い回しや、指示語にするべき固有名詞を連呼するなどで文字数を荒稼ぎしていたものと思われる。新人がよくやらかす空振りをここでもやらかしていた。
    • 具体的には冗長な名称(『白く光る奇麗な人』『学徒の娘』や、『クレアはキーボードを叩いて~』などの頻出の記述。
  • また、編集者の指示に「これ以上けずれません」と答えていたことから、そうした文字数稼ぎを問題のある行為だと認識していなかった可能性もある。単に文字数が多ければいいというわけではない。話の長いオタクが延々と語るかと話が短いが本質を端的に語るかの違いに近い。
    • 辛辣な物言いをするのであれば、中身のない会話シーンや前後にかかわりのない「無意味」なシーンや、回りくどいだけで必要な情報が出てこない「意味深なだけ」のシーンを削るだけで80ページくらいはゆうに削れる。
      だがその場合は作品としてある程度の再構成が必要になってしまうことから「自分が書きたいシーンだけを書いた」ところからは削りようがない、ということなのだろう。
  • 文字稼ぎ自体は実際のところ物書きの仕事であれば条件によっては時々出てくる話ではあるが、それをそうと思わせないことがポイント。その点から言えばこのような文字稼ぎをしているようではどの程度のレベルの物書きかと測られてしまうだろう。

伏線が無い

  • 宇野氏の作風と言えばそれまでなのだが、その場で起こった事しか書かないという書き方をしている。
    ○○は××をした。が360ページ延々続くと思ってくれていい。
  • 起承転結の転にあたる部分も、死んだはずの伊月の手紙が突然あった事になる、通信から伊月の声が聞こえてくる等、シーン毎の因果関係が全く考慮されておらず完全にご都合である。
    • 《反論》
      伊月からの手紙は「あったことになった」のではなく、「伊月が生前に遺しておいた手紙が見つかった」ことがトリガーであったためこの点は問題ない。
      また、通信から伊月の声が聞こえてくるシーンも『辻褄合わせ』によって伊月が復活した瞬間なのでこちらも問題ない。
  • しかし中盤以降、物語が再び動き出して以降は「そうだったのか……!」「なるほど、な」といった形で核心に迫るような意味深なタイミングで場面転換を行うため、それが何であったのかを引き延ばし続ける。
    結果、あちこちシーンを行き来して肝心かなめのキーワードを明かすことなく尺稼ぎに終始している。
    バラエティ番組で「この後衝撃の事実が!」→CM→「この後、なんと!(エエーッ!?)」→CM→「さて、次の衝撃映像ですが……」とやっているのと同じ。
  • また、後出しの理由付けだけを用いることでどのような理由付けでも可能になっており、盛り上がらない展開に一役買っている。この「突然○○だったことになっている」「実は○○だった」作風はPSO2においても全く改善していない。

BLEACHの影響?

  • オサレ漫画こと「BLEACH」で多用される展開をそのまま最終決戦で使用している。
    • 能登飛鳥が白沢雪姫&夜上比呂との闘いで窮地に陥り、あわやというところで御永祥陽が駆けつけるという「待たせたな!」のシーン。
      この直前、孤立していた祥陽は死亡したものと思われていた(といっても直前の場面で読者はクレアと遊佐少将によって救出されていることを知っており、悪堕ち状態からも復帰していることを知っている。つまりこのシーンで「死んだと思った○○が!」という展開で驚くのは白沢と夜上の2名だけということ。伊月の手紙を受け取って復活をやりたいがためにサプライズを潰してしまっている)。
    • その際、飛鳥を蹴り飛ばして救出した祥陽を咎め、ラスボスをほっぽって口論を始めてしまう。この寒い漫才を受けて白沢は絶好のチャンスをみすみす逃し「命のやり取りをしているとは思えませんね。隙がありすぎて狙う気にもなりませんでしたよ」と攻撃を行わなかった。
      ここでいわれているのはBLEACHに登場する敵役が「隙だらけで攻撃する気が起きなかった」「本気で戦うと楽勝すぎるから手加減してやった」「弱すぎて興が乗らなかった」という「上から目線で余裕を見せて主人公達にやられる&あっさり負けた後に潔く退場」という王道、お約束、悪意的に表現するとワンパターンな展開のこと。
      BLEACHではエピソードごとにこれを用いていたために(作品の知名度もあって)広まったが、別にBLEACH専売というわけでは決してない(はず)。
      だが、「ボスを前にして味方で口論」はラノベ界で非常に安易に用いられる傾向にあるが、話の腰を折るだけの悪しき風習と言わざるを得ない。
      事実、2ページにわたって寒いやり取りしたシーンは白沢に「それで」と即座に話を切られてしまっており、次につながらない意味のないシーンだったことが伺える。『伊月の戦争』のラスボス戦の盛り上げを一旦ここで切ってしまったことで英雄隊と『=』の正体、影獣との戦争の真実、そして祥陽の『+』をコピーされて窮地に陥り、そこから大逆転というクライマックスのカタルシスを阻害をしてしまっている。
    • また、白沢と夜上が再生するシーンでは「なん……だと……」と一世を風靡したBLEACH鉄板の演出をやらかしている。
      「ド ン」がないのが悔やまれる?
  • さらに伊月が復活するシーンもBLEACHの「助っ人登場」のパターンを踏襲。
    • まず味方である祥陽と飛鳥が呆然と立ち尽くす。ラスボスは何が起きたのか把握できず「?」となる。そして背後から灰の白沢の肩を叩き、伊月が「こんにちわ」と登場。
      このシーンはいきなり復活した伊月が登場するため「待ってました」ではなく唐突に登場した主人公に困惑する。その後理由が説明されるため「後だしの種明かし」。
      要は大ピンチシーンで味方の援軍が到着し、デフォルメされたおちゃらけシーンを挟みつつ話を切ってしまう展開。
    • ラスボスが突如やる気をなくして「飽きた」と戦いを投げ出してしまうところも酷似。完全に負け惜しみ、逃げ口上なのだがBLEACHではそれをそうと思わせないテクニックでワンパターンでありながら話を盛り上げていた。だが宇野氏の作風ではラスボスは「実は悪くなかった」という形で救済しようとするために腰砕けに終わっている。
  • PSO2でも言い訳のできない形でBLEACHのパクリをやっているので無関係とは言い切れないだろう。

ラスボスがあっさり倒される

  • 飽きたから。
    どう見ても直前まで全力で戦っているが作者も飽きたからではないかと思われる。
  • 濃厚な心理描写、詩的な表現と反比例して、戦いの情景描写は稚拙。
    「祥陽は漆黒の剣をやり過ごし、純白の双剣を振るった」のような表面の描写しか行わず、終盤戦では攻防のキモとなる空間転位を行わなくなるなど「手抜き」のバトルに。
    空間転位のお約束、味方と入れ替わって同士討ちを誘うなどもなし。単に移動するのみにしか使えてない。これは作者の戦術への理解の薄さが原因。
    次作となるアトラ・シンドロームでも「超能力は力の強さ」という論拠が出てくるが、このあたりからしてもガンパレード・マーチを元ネタにしたとしか思えないにもかかわらず、「戦力で戦うな、戦術で戦え」というこのキーワードを全く理解していないことが伺える
  • 宇野リオでは本来キモ中のキモ、ラストバトルで盛り上げることができない。これはここまでに語られているように設定ありきのストーリーのため「なぜそうなったのか」「なぜそうしたいのか」という物語の根幹の部分に強い説得力を生み出すことができないから。
    『伊月の戦争』では『=』が人間の願いをいびつにかなえて「終わらない戦いを続けなければならない」というループに陥っていた。だが、このループ自体も『=』の機能的なものであり、終わらせるには『=』を破壊するという決定的な結果が必要になるが、そこに至るまでの積み重ねができていない。
    これは後付けで物語を展開していく作風のせいで、なぜ強いのか、なぜ戦うのかといった説得力のある理由付けができないからであることが強く関係していると思われる。
  • 「自分のキャラが好きすぎる」宇野氏の悪癖のため、完全な決着という形で「勝者と敗者」「善と悪」といった結末を避け、「実は人間が勝つのを願っていた」「本当は誰も悪くなかった」というあやふやなめでたしめでたしにしようとしてしまっている。
    本来『=』はただのシステムであるため、全ての悪行を抱えて消滅してしまっても構わない。それにすら思い入れを注ぐゆえに「飽きた」「本当は人間の勝利に賭けていた」という腰砕けの結末になってしまっている。


とにかく話があちこちに飛ぶ

  • 宇野氏の作品はとにかく唐突。特に場面転換や状況の変化が突然「そういうことになっている」ことが非常に多い。
    • 終盤では祥陽→飛鳥→クレア→鴻→祥陽→クレア→飛鳥→……と2、3ページおきに場面が飛び続け、どれも核心に迫る重要な真実が明らかになる直前に次に飛んでしまっている。
      バラエティ番組のCMをはさみまくるのと同じで、重要なシーンをこそしっかりと描写しなければ盛り上がるものも盛り上がらない。
      宇野氏の作品がクライマックスで盛り上がらないのはコミカルシーンを挟む点と、「そうだったのか!」と読者に得心させる瞬間を見せないから。
      これは本人がそうした説得力のある根拠を示すことができず、曖昧に「分かってくれよ」と言わんばかりに誤魔化すから。
      毒のある言い方をすれば「どこからか上っ面だけをパクってきたものだから、一番重要なネタ明かしができない」ということの証左ではないだろうか

その他

  • 作中での説明がない、または希薄なため憶測を多く含む可能性があるものなど

35 名前:名無しオンライン[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 01:27:48.61 ID:xxxez8jS [1/4]
>>31
一応、推測可能な範囲で書いてみる

Q.伊月はどうやって爆弾を運んでいるのか
A.全くもって不明。なにせ爆弾の種類や起爆方法も不明でリモートらしき描写はあっても他に何のヒントも無いので推理すら不可能なレベル。おそらく作者が一番わかってないかもw

  • 冒頭に伊月が兵器庫を開けるシーンがあるため「モノがある」ことは間違いない。
    しかしそれ以外のシーンでは「スイッチを押した」「ポケットの中で小型爆弾の起爆装置を~」といったリモコンを操作する描写はあるものの、爆弾それそのものを扱うシーンが全くない。
    鴨志田公園に出撃した際も、包囲されて絶体絶命の天宮隊は古い防空壕に逃げ込んで周囲を爆破、事なきを得るという場面でも「いつの間にか仕掛けている」または「前々から仕掛けられていた」ということになっており、徹底して爆弾、ひいては武器そのものの描写を避けている。これは作者の知識不足、特に銃器のような専門知識を必要とする近代兵器ほど顕著。
    • 爆弾が事前に仕掛けてあったのなら、何かの拍子に爆発する可能性も考えると「いつ来るかわからないけど事前に設置しておいた」は危険すぎる。また、伊月の持っている起爆装置は手のひらに収まるレベルの小さなものなので「あれとこれを起爆する」「これとそれは起爆しない」といった小回りが利くようなものとも思えないし、複数の起爆装置を使い分けている描写もない。配置してある爆弾をすべて把握しているとも考えにくい。宇野のキャラクターだから当然天才なので把握できていてもおかしくないが
    • 爆弾を伊月が持ち歩いているのなら、設置するシーンが全くないのは極めて不自然。仮にそういうことになっていたとしても、鴨志田公園では伊月は胴体を撃たれているため、身に着けて持ち歩いているのであれば誘爆して死亡してもおかしくない。
      伊月の用いる爆弾は(数にもよるが)周囲を更地に変えるほどの破壊力を持っている。とすれば重量も相応のものだろう。それほどの危険性と重量の爆弾を身に着けて持ち歩くとは考えにくい。万一誤爆したり、被弾して誘爆すれば味方も巻き込んでしまうだろう。
      となれば、専用のキャリーバッグなどで持ち歩いているとするのが自然だが、もちろんそんなものは一度も描写されていない。
      誤爆・誘爆の危険性がなく、女の子の筋力でも大量に持ち運べ、設置に時間がかからない夢の爆弾、というのなら解決するのだが……。

Q.伊月たちが4つの概念兵器を手に入れたのに敵はそれに対応する兵器を入手しなかったのは何故か
A.影獣は『=』の生み出したモノであり兵士役だが個として知性や意志が有るとは考え難く「ゲームの敵役(駒」でしかないと思われる。また概念兵器は人間が生み出した物ではないので複数入手するのは不可能と考える方が自然。
『=』が英雄の手に渡ったのも偶然だろうし、伊月たちが概念兵器を入手したのは更にイレギュラーな事態だろう。

  • 若干の誤解があるが、『=』が英雄の手に渡ったのではなく、『=』が英雄だったのが正しい。

Q.英雄が概念兵器の所有者だと何故誰も気付かなかったのか。他の人はともかく伊月は予想できたはずなのにスルーしたのは何故か
A.概念兵器という【概念】そのものが人間には想像できないのが当然であり、実際「影獣」が概念兵器の産物だと認識できた人間は存在しなかった。伊月たちですら『=』の存在を教えられただけで詳細は理解不能だった。
効果や意味の分からない概念兵器を持っているという事を前提に動くには(描写も含め)証拠が皆無であり、データから割り出して伊月は気付きクレアと意見交換をしかけ、後に飛鳥は内側から確信を得た筈かと。

  • 補足すると、「英雄が概念兵器の所有者」ではなく「概念兵器が英雄を装っていた」。
    つまり概念兵器『=』は影獣を生み出すと同時に英雄を演じ、人類を戦いから逃れられないようにしていた。敵と率先して戦う立場の味方が実は敵、というのはよくあることだが、これを気付けというのはやや無理な話。
    伊月とクレアは祥陽からもらった「海外製の腕時計」をヒントに影獣の目的が「人類の駆逐」ではなく「均衡」であることまではおおむね予測していた。
    といっても「インフラ設備を狙わないわけではない」「非戦闘員を襲わないわけではない」というあいまいな部分があったため、確定とするまでには至っていない。また、英雄隊に関しても『=』の目的の障害になりうる祥陽を託していることからも、剣山決戦の時点での伊月は英雄隊が黒幕であるところにまで到達していない。クレアはこれをもとに伊月が遺した懐中時計のデータ、施設に侵入して得た情報と遊佐少将の言葉から導き出した(といってもやはり内部の敵がいるようだという点どまりで、英雄隊にまで到達できていたかどうかは微妙)。
    飛鳥も伊月の手紙からヒントは得ていたようだが、最終的には自分の判断で英雄隊が怪しいと踏んで「斥候」に出たことで明らかにしている。

Q.クレアの「お願い」で軍隊が動くのはおかしい
っていうか隣の偉いオッサンが命令しろよ
A.オッサンが裏から命令で各部隊に指示を出したとしても全く疑問は無いが、兵としてより人としてクレアの心からの叫びに魂を揺さぶられ鼓舞されただろうというのは間違っていないと思うので、そんなに非道い間違いではないかと個人的には愚考する。

  • クレアのお願いの場面では行動を起こしていないが、続く場面で斑鳩学園を徴発した臨時司令部に赴き、全軍に命令を下している。
    また、その直前には「人間が意思で行動すること」を是としている旨も語られており、『クレアのお願い』の時点で彼が何も言わなかったのは「行動を起こす」きっかけを「命令」ではなく「意思」によるものを期待していたから。


続刊未定

知名度皆無のラノベなので当然であるが、売り上げは多くても3000部程度と予測されている。どうでも良いがアマゾンで中古品が1円で売っているものの全く売れないことから、相当不評だったことを伺わせる。
他の受賞作家はエヴァの丸パクリをやった作家が2巻を出版したのみで、残りは全滅である。
あまりの新人作家の惨状に第13回SD文庫新人賞より応募要項に「プロとして継続して活躍していける人材を熱望します」といった
担当編集者のメッセージが追加された程である。(現在は削除されている)
(※伊月の第二巻ということではなく、涼野名義での新刊が出ない、ということ)
2014年5月23日にアトラ・シンドロームが発売される。詳細は当該ページにて。


問題ない部分

敵はインフラや電力施設を攻撃しないが、理由は解らないので説明しない

この項目は、未読者による編集があったものと思われる。
これについては作中で説明される。

+ 以下は、誤った指摘と訂正を求めるコメント
何故か敵がインフラ関連施設を攻撃しない。
この不自然な状況について、作中では「何故か攻撃しないが、理由は分からない」と言われている。
メタ的に言えば「作者にとって都合が悪いから」だが、そこに何かしらの理屈をつけるのが作家の仕事である。
(例えばGEのアラガミ防壁のように)

スレに書き込まれた反論:「戦争で死なせるのが目的だから、それ以外の死に方はさせない」
50 名前:名無しオンライン[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 11:37:24.70 ID:xxxez8jS [3/4]
何せ「餓死なんて許さない、事故死もだめ。自殺なんてもってのほか。全ての人類は戦争によって死ぬべき」と明言されちゃいますからね、ラスボスに。

反論への反論 :「でも、これは戦争じゃないんだけど」
61 名前:名無しオンライン[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 13:06:09.30 ID:C26kb80s
年表でも思ったけど宇野先生は「戦争」を「戦闘の格好いい言い方」だと勘違いしているよね
>>50で「人類は戦争で死なないとダメ、とラスボスが言う」とあるけど
影獣との戦いは戦争ではないので目的は果たされなくなる
(原作で「戦争で死なないと」ではなく「戦死しないと」とあるなら話は違うが)

「戦争」で人類を絶滅させるつもりなら、
例えば核保有国間のパワーバランスを崩すとか、
膠着している状況で片方を攻めて弱体化させるとか、
保守派代表を殺し過激派を台頭させるとか、
他のやり方があると思う

また、この戦いを「戦争」だと認めた場合、ライフラインの破壊により食料供給が断たれ餓死したのであれば、それも「戦争による死」であるのだが……。


嗜好品の輸入も続けられてるけど、理由は解らないので(ry

同上

参考資料

宇野シナリオに物申すスレ117@PSO板にてID:DffloIwQ氏が劇中の地理情報をまとめた地図。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1xgwNe2nMPqvd5cd9mrBvp4LWbbc




コメント

  • 劇中でフロントアタッカーって単語があったけどなのはStSからのパクリかな?チームが4人組、チーム毎にリーダーが居るってところも似てるが・・・ - 名無しさん 2017-11-02 17:57:30
    • チーム4人1組は珍しいことじゃない。軍事マニア的にはデルタフォース由来と思われる。チームリーダーは当然いるに決まってる。ほかになのは由来のものがあればワンプッシュになると思うんだけど、フロントアタッカーだけでコレというのはちょっと早計な気はするなあ - 名無しさん 2017-11-04 05:38:05
  • あらすじの「満十二才以上の学徒すら動員される時代。」←この時点で日本語に違和感がある - 名無しさん (2018-09-01 06:20:36)
    • 普通は「こんなに若い人が徴兵されるんですよ!」って言いたいはずだから「~歳以上」は逆の印象になっちゃう - 名無しさん (2018-09-01 06:48:24)
      • 無難な所で「わずか十二才の」かな?散々言われてるように文字数稼ぎやら頭良い人ぶりたいって悪癖が抜けないんだろうね - 名無しさん (2019-01-14 01:33:05)
      • 「12歳の若者すら徴兵される時代」くらいの方がいいよね - 名無しさん (2019-01-15 08:35:29)
  • 齢は齢十八とか若くても使われるよ - 名無しさん (2020-09-29 05:29:44)
    • 本文読んだ?その齢は「年齢18」という使い方で、本本中では「35歳にして少将にまで上りつめ、貫禄のある」というシーンだから使い方が違うよ - 名無しさん (2020-10-01 19:55:19)
  • これガンパレをパクったっての本当かも知れないな。剣山決戦が始まる前、作戦が決定した時の台詞ガンパレとほぼ同じなんだが - 名無しさん (2021-01-30 20:08:23)
    • 挙げ句投入する戦力を発表した後の台詞が「必要なら(全軍の)半分を突っ込む、それだけの価値がある」なんて言い回しは違っても同じ台詞言ってるんだが - 名無しさん (2021-01-30 20:43:47)
  • 過去のネタ帳引っ張り出してきたとかと言ってるけど、2011年にムラクモ出版から題「終わる世界の物語 LAST BIRTHDAY」として出してるんだよな、ページ数は伊月に80ページ足した位 - 名無しさん (2021-01-30 20:51:32)
    • LAST BIRTHDAYが最初みたいね。 - 名無しさん (2021-01-31 19:15:32)
  • 受賞の経緯の項目ですが、宇野氏は伊月の戦争(応募時には「終わる世界の物語」で、出版にあたって改題された)の前に2回応募しており、二次選考で落選しています。時期的にすでにPSP2iなどでシナリオの仕事をしていたはずなので、(もちろんセガでの仕事が後押しになったことはあるかもしれませんが)憶測にしてもちょっと悪意的かなと思いました。 - 名無しさん (2021-02-01 16:52:35)
  • ガンパレ熊本城攻防戦の動画 https://www.nicovideo.jp/watch/sm427129 30秒頃から作戦の説明だけどそっくりだなぁ - 名無しさん (2021-02-02 18:12:08)
  • ガンパレからそのままパクったようなセリフ有るんだが - 名無しさん (2023-03-20 23:07:29)
    • 思わせぶりなところで終わるのやめてくれwどこがどうとか教えてくれないとモヤモヤするじゃないか - 名無しさん (2023-03-21 05:52:29)
  • ガンパレの熊本城攻防戦が決定した日のHRと剣山決戦が決定してその命令が出た時のやりとりがまんまそっくりだ。もっとも重要度の高い命令、小隊の何分の一かを投入する、必要なら半分を投入するだけの価値がある…投入する戦力の割合だけ変えてるのがまた狡いな。熊本城攻防戦の台詞 http://www.ne.jp/asahi/home/textnerd/gpm/words/castle.html - 名無しさん (2023-08-09 21:47:18)
    • 本文にも真上のコメントにも既出既出アンド既出 - 名無しさん (2023-08-15 12:01:07)
  • 伊月の同人版があって、そこから原稿を流用したのがこれって本当かな - 名無しさん (2023-09-21 11:49:08)
    • 本当だけど認識がちょっと違う。元々は同人サークルで発表していた「終わる世界の物語」を加筆・修正してスーパーダッシュに出したのがより正確。つまり流用ではなく作品としてはそのまま。これ自体は普通にあることなので全然問題じゃない。Re:ゼロから始める~やSAOも同じで元々は公開されていたWeb小説。確かムラクモ出版とかそんな名前のサークル名だったと思うんだけど、以前はGoogleとかで普通に引っかかったが今はサッと掘った感じ出てこないので名称に関しては話半分で。 - 名無しさん (2023-09-30 20:25:53)
最終更新:2022年10月07日 21:21