福島菊次郎さんへのインタビュー6

目次


■天皇が原爆投下を事前に知っていたかの質問と答え。
■著書『ヒロシマの嘘』の「嘘」の意味
■著書『殺すな、殺されるな』について
■生活は、「彫金」で
■取り組んだことは、全てものになったこと
■注釈1~注釈7

――――

福島さんへの質問を一つ、お答えも、載せます。
質問は、
質問
として、もろうたお答えを、そん下に書きます。

また、四つほど、質問とは違いますが、
■話題
としても、お話を載せます。

――――

Hさん「天皇が、原爆投下を、事前に知っていたという噂
について、どう思われますか?」

福島さん「それは、ないと思います。」

「広島には当時、「大本営」があり、
(※1戦時における天皇直属の最高統帥機関のこと。)
天皇は、ちょくちょく訪れていた為に、
そういう噂があったのかもしれないと思います。」

■福島さんの著書『ヒロシマの嘘』の
”嘘”の、意味について

福島さん「『ヒロシマの嘘』は、
この、”嘘”という題名が、聖地ヒロシマを冒涜した、
という理由から、
多くの人から、批難されました。」

半世紀にもわたって、原爆問題を取材して
問題提起を続けてきたのに、

「ヒロシマを、裏切った」呼ばわりされました。」

・・・・・

Hさん、ともちゃん「裏切ったとは到底思えません」
と答えた。(※2)

・・・・・

福島さん「しかし、広島の呉市には、原爆でも燃え残った、
兵器工場などが、ありましたが。

それらの工場などが、”自衛隊を作ることで、
また、活かせるじゃないか”とのことで、

朝鮮戦争の際、それらの呉の工場では、アメリカが出撃する為の
兵器などを、多く作っていました。

そのことで、多くの利益を生みました。(※3)

それは、日本国憲法9条の、
「戦争をしない」
という、うたい文句(※4)などとは、大嘘で、

再び日本は戦争に、参加していました。

このような、言語道断な地、「広島」であるにもかかわらず、
一時は”ヒロシマ・アウシュビッツ”などと、
呼ばれたりなんかしたことも、ありました。

そういった、愚かしい呼び方は、歴史科学の
大きな”間違い”です。

このように、”戦争をしない”と憲法9条にうたいながら、
世間をだまし、戦争に加担していた、

そんな広島の、どこが、”聖地ヒロシマ”ですか?

そういった意味も込めて、この本には、こういう題を、
つけたのも、ありました。

■ともちゃん「『殺すな、 殺される』、衝撃を受けました。
被害者意識が全くの誤りであることを、学びました。」

福島さん「『殺すな、殺されるな』は、
いい本と、評判です。

それは・・・・

取材のノウハウも、習わない、アマチュアのカメラマンが、
体当たりで、取材をやって、

相手のところに、飛び込んで、
そこから、丸ごと真実を写しているからです。

※朝鮮から、戦前強制連行で日本に強制的に連れてこられて、
筆舌に尽くしがたい苦労を、強いられた、
朝鮮の人たちが大勢おられた。
彼らのうち、北朝鮮に、かなりの年数が経った後に、初めて
帰国のかなった、人たちもおられた。

そんな北朝鮮の人々を取材した時には、日本人への憎しみを込めて、
殴られた話も、してくださいました。(※5)

■生活は、何で、しておられたのかについて

福島さん「出版の印税は、かなりもらっていましたから、
収入は、多くありましたが、

全てが、取材のお金に消えたり、交通費などに消えました。
取材も、滞在日数が長いもんで、
滞在費などで、消えて行き、

島に行ったときには、残っていませんでした。」

「そこで、印税ではなく、彫金(※6)で
生活をまかなっていました。」じゃそうです。

福島さん「彫金では、色んな女性雑誌に、
作品の写真が載りました。」

と、お話をしていただいて、その雑誌を見せて頂きました。

「日本彫金作家ベストテン」にも、ランクされたそうです。

福島さん「彫金も、誰からも、習っていません。
下松の時計屋で培った腕で、好きな、
虫やら、ちゅうちょやら、動物やら
を作りました。

物を作るのは好きですから」

と、物作りへの、喜びを、お話してくださいました。

福島さん「娘とは、彫金の展示会を、共にしました。
娘も彫金をやります。」

と、京都での「父娘展」のパネルも、見せてもらいました。

福島さんの、彫金の、作品も、見せていただきました。

島に入植時代には、生徒さんにも、教えておられたようでした。

■取り組んだことは、全てものになったこと

僕は人生、やり始めたことは、全てものになりました。
全て金になりました。

彫金では、全国10人以内に、選ばれましたし、

講演会の為には、交通費と、ビジネスホテル代をもらって、
全国50箇所くらい行きましたよ。(2011年時点で)

※7あと、パネル展も、日本全国たくさんされた話も聞いたが、
下の注釈に詳しく書く。

(「福島菊次郎さんへのインタビュー6」を終わります)

――――

■注釈■

※1=大本営について。

大本営会議、大本営陸軍部(参謀本部)
および海軍部(軍令部)などで構成される。

以下のサイトに、より詳しくありました。


※2=このような意見が「スーッ」と出た背景

福島さんは、著書
「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」
(現代人文社、2010年)の中で、日本が
アジアの国々の人々に対して、どれほど惨く、
残酷なことをしてきたかを、伝えて下さった。

被爆者も、「日本国民」という枠から見た時、
ひどい加害者であることを、痛感できる本でした。

その本を読んだ後に、インタビューにのぞんだ為、
このような意見が「スーッ」と出ました。

※3=日本が朝鮮戦争によって、どれほどの利益を得たか


に、より詳しい情報が載っています。

日本は戦後の経済の貧しさを、
この、朝鮮戦争の軍需利益によって、乗り越えました。

※4=「戦争をしない」という平和憲法について。


によると、

「日本国憲法 第9条(にっぽんこくけんぽうだい9じょう)は
憲法前文とともに三大原則の1つである平和主義を規定しており、
この条文だけで憲法の第2章(章名「戦争の放棄」)を構成する。

この条文は、憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」、
憲法第9条第2項前段の内容である「戦力の不保持」、
憲法第9条第2項後段の内容である「交戦権の否認」
の3つの規範的要素から構成されている。

日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶのは
憲法前文の記述、および、この第9条の存在に由来している」

※5の更に詳しい内容について

福島さんの著書
『写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな』
283ページ~314ページまで
「裏切られた北朝鮮帰国」のページに、
より詳しく載っています。

※6=”彫金”とは?


によると、

・・・・・

”彫金(ちょうきん)とは、たがね(鏨)を用いて
金属を彫ること意味する。

プラチナ、金、銀、銅、真鍮、鉄、アルミ、錫
などの金属を主材料にして作る。

装飾(ジュエリー・アクセサリー)や仏具・家具などの
飾り金具などを主に制作するための技術である。”

・・・・・

とあります。

・・・・・

★また、福島さんが、どのようにして、彫金作家になられたか、
その経緯については、以下の著書に、詳しく載っています。

福島さん著「写らなかった戦後2 菊次郎の海」

★インターネットでいくつか福島さんの
彫金作品の写真を見つけました。

ご紹介してみます。


※7=パネル展も日本全国で行われた。

インタビューの際、”パネル展も、日本全国で数多くした”
ことについて、伺ったのですが、
詳しいデータが消失。本当に申し訳ないです。

そこで、福島さん著「写らなかった戦後3
殺すな、 殺されるな」他、を参考に、以下を書いてみます。

パネル展について~
”「公害日本列島」は110会場。
「原爆と人間の記録」は65会場。

「戦争責任展」「写真で見や日本の戦後展」は、
全国520会場、行脚された。

「戦争責任展」パネルは、昭和天皇が死亡した
89年から2003年まで、全国700ヶ所以上に
無償で貸し出しされ、

全国各地の主催者からの新聞のコピーを
送られただけでも、480紙におよび、
67500語のキャンペーンを、得ることができた。

福島菊次郎遺作展「9千人の証言 写真で見る戦争責任」展は、
全国140都市、7大学を巡回。
約10万人が来場し、3600通に及ぶ感想文が
送られた。”

■参考文献■

福島菊次郎著「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」
現代人文社、2003年7月第一版

福島菊次郎著「写らなかった戦後2 菊次郎の海」
現代人文社、2005年7月第一版

福島菊次郎著「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」
現代人文社、2010年9月第一版

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最終更新:2013年03月26日 16:29