フランスの経済

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坂上 紀が訪れたフランスの経済
2009年3月、「経済危機のつけを労働者に回すな」をスローガンに、1月の前回100万~250万人を上回り、全国で300万人が統一行動を行った。サルコジ政権は、昨年12月260億ユーロ規模の経済活性化対策を発表した。さらに所得税減税など14億ユーロ規模の低所得者向け支援策を提案し、その後26億ユーロ規模に増額した。

2010年のフランスのGDPは2兆5554億ドル(約210兆円)であり、アメリカ、中国、日本、ドイツに次ぐ世界第5位である[18]。観光客入国数では世界一、農産物輸出額では世界第2位を占める[19]。農業は生産額世界第6位と依然としてフランスにおける重要な産業であり、EU諸国中最大の規模を誇っている。

第二次世界大戦後は、鉄道や航空、銀行、炭田の国有化が行われた。マーシャル・プランを原資としたモネ・プラン、次いでイルシュ・プランで経済復興が行われた。自動車・電子・航空機産業についても国が主要株主となり、政府は石油と天然ガスにも投資した。1981年のフランソワ・ミッテラン大統領の社会党政権時代には産業国有化がさらに進められたものの、経済成長の鈍化で頓挫した。1986年に保守派シラクが首相になって国家の役割が縮小されたものの(第1次コアビタシオン)、アメリカ合衆国やイギリスなどと比べても金融・保険・電力・運輸・国防産業などの分野で依然として政府は大きな影響力を有し、国家資本主義の色彩が濃い。

1990年代後半は、ヨーロッパ通貨統合に参加するために強硬な財政赤字削減策が実施されたが、国民の強い反発を招き、消費拡大による景気刺激策に方針が転換された。しかし、2000年を境にGDPの実質経済成長率は大きく低下して、財政赤字は2002年以降、連続して対GDP比3%以内というEUの財政協定の基準(収斂基準)を大きく超えていた。1990年代の大きな問題だった12%をこえる失業率も、90年代末から改善されて2001年には8%台になったが、その後は再び悪化して2005年初めには10%を突破した[20]。しかし、05年以降、世界経済の好調に助けられる形で経済は持ち直し、財政赤字は3%を切り、失業率も8%台にまで改善されたものの、世界金融危機_(2007年-)で財政出動を余儀なくされたことから、GDP比3%の財政赤字の基準は守れておらず、EUの欧州委員会から財政赤字の立て直しの勧告が出されている[21]。

2008年度版フォーチュン・グローバル500によると、総収入を指標とした全世界の企業ランキングリストのうち上位100位に含まれるフランス企業は、国際石油資本のトタル(本社パリ、8位)、保険のアクサ(パリ、15位)、金融のBNPパリバ(パリ、21位)、金融のクレディ・アグリコル(パリ、23位)、小売のカルフール(ルヴァロワ・ペレ、33位)、金融のソシエテ・ジェネラル(パリ、43位)、自動車メーカーのプジョー(パリ、66位)、電力会社のフランス電力公社(パリ、68位)、電気通信事業者のフランステレコム(パリ、84位)、水道や電力、ガス事業などを行うスエズ(パリ、97位、現GDFスエズ)が並ぶ。

2009年3月、「経済危機のつけを労働者に回すな」をスローガンに、1月の前回100万~250万人を上回り、全国で300万人が統一行動を行った。サルコジ政権は、昨年12月260億ユーロ規模の経済活性化対策を発表した。さらに所得税減税など14億ユーロ規模の低所得者向け支援策を提案し、その後26億ユーロ規模に増額した。