東電をはじめ、原子力村のあり方がこんなにひどいものかと感じている。 公的性格をもつ企業は公共性をシビアに守らなくてはならない。 だが、利益ばかりを追求する東電は、自らの使命を忘れたようだ。
脱原発か否かという段階ではなくなったと思う。原発の時代が日本には あったが、それを乗り越えていく「節目の時」を迎えたと理解するべきだろう。
本紙に「政府が示す案の『根拠』には目を光らせなければならない」 という記事があったが、これに尽きると思う。
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