そもそも「原子爆弾」って、何じゃろうか?
●Wikipedia~フリー百科事典により、「原子爆弾」調べたよ!
ここ↑に、よると、
原子爆弾は、高温の熱線と強い爆風だけでなく、
強い放射線を放出し、放射能を有する塵などを多量に排出したため、
被害はTNT換算で推し量れる爆発の熱や爆風だけに留まらず、
原爆症と呼ばれる放射線障害や白血病や癌などの病気を被曝者に引き起こし、
その影響は現在も続いている。
実戦においては1945年8月に日本の二つの都市に原子爆弾が投下された
(日本への原子爆弾投下)。
とあるね。
●私のルーツは4人中3人が被爆者
私の、父方の祖母と母方の祖父母の3人もが、被爆者じゃよ。
両親を被爆者に持つ影響で、母は奇形胎児として生まれたん。
また、私ん父方の祖母は、助産婦さんじゃって、
自分も被爆したんじゃけど、
原爆投下前から働きよったけん、
多くの奇形胎児をとりあげたんじゃって・・・。
ほいでも祖母は、助産婦という立場から、
守秘義務があるけん、事実を明かすことができんかったけん、
「人に言えんようなんを、いっぱいいっぱいとりあげた」
言うだけで、目撃した事実は墓に持って行きました。
ほいでも最後は、道路に飛び出して、自分から死んだもんじゃけん、悲しいです。
●広島で出会うた、放射能障害のある人々
ほいじゃけえ、祖母から聞いた話じゃのうて、普通に生きる中で、
知った人で、広島で生まれた赤ちゃんの中に、
小頭症の赤ちゃんじゃとか、
「みつぐち」と言うて、「ビローン」とした、
下唇の赤ちゃんとかが、生まれたんじゃって。
みつぐちの人は今も元気で生きとられるよ(平成23年時)
※そん人は、父親が、大学時代広島に過ごした、
というだけで、母親も県外の人間じゃし、
父親も、そん後に広島を去っておるようじゃよ。
残留放射能の影響じゃって、県立広島病院の医師に、
断言されたんじゃってー!
県立広島病院の医師も、”当時は
そんとな奇形胎児がとても多かった”、って、
言われたらしいん。
一説によると、目が一つしかなかった赤ちゃんのケースもあったじゃとか。
私の先輩は、(2世か3世の世代じゃけど)
耳が無かったです。
●被爆者の妊娠は、喜べん事実!?
ほいじゃけん自分もまた、誕生のその瞬間まで、
奇形胎児であることが可能性として疑われとったけん、
母は、僕を妊娠したと分かった時、
「奇形じゃないことが確認できん限り喜んだらいけん」
と、祖母から言われとったらしいん。
●たまたま奇形じゃあなかった私
自分は誕生して、母はまず、5本の指が5本、
きちんとそろっておるか、確認するよう言われました。
ほしたら、母には、目と、耳と、鼻と、口と、5本の指が確認できました。
そこで初めて、誕生したことが喜ばれました。
●虚弱体質について
奇形じゃあ無うても、体の弱い幼少期を送り、幼稚園の頃なども、遠足など行けたことなど一度も無く、
皆がうらやましいばっかりじゃったです。
現在では
股関節の軟骨がほとんど無い為、
一生涯、車椅子生活です。
●一人じゃあない
ほいじゃが、他の被爆三世の方で、原因不明で車椅子で過ごされておられる方じゃとか
他の被爆二世の方で、左股関節が半分しか無かった方を、
最近ようやく知りました。
自分一人じゃあなかった!
●ニューヨークでの旅に、学ぶ、生きる姿勢
2012年に一ヶ月滞在をしたニューヨークでは、
車椅子の人たちは、とても堂堂と生きとるよ!
ほいじゃけえ、彼らを見習うて、自分も、堂堂と
車椅子でも生きていけばええだけなんよ。
●お友達を 守ることが 自分に与えられた 役割!
ただ、被爆四世のお友達は、先天的に、左の膝を損傷して生まれて、
長う歩くことは不可能で、時々左足が痛むようです。
お友達の左膝をかばいながら、遠方への外出などの際、サポートするすることが、
自分に与えられた役目じゃと思うとります。
●これまた、上記のお友達一人じゃ ない
他の被爆四世で、背骨の奇形の小さな子供も、おられます。
鼻血の止まらん子供も、おります。
友達の2世も、背骨の奇形、4世も、背骨の奇形・・・・
被爆4世にまで、放射能の影響は、色濃く残ると思われます
●隠ぺいの結果、明かされない医学
まあ、なにぶん被爆の事実は、
原爆投下をしたんがアメリカじゃったのに、すぐに占領したけん
戦後、日本に入って、占領した、占領軍にとっては、
”自国の落とした原爆によって具合が悪うなった”
言うて、世に明かすのは、不都合じゃったん。
隠蔽と隠蔽と、隠蔽に隠蔽を、更に更に重ねられておりますけえ、じゃけえ、
当の本人達ですら、放射能の実態を把握するのは、難しいということです。
●中区か、そうでないかによって、大きく左右する未来
それに、うちらは、原爆が投下された、広島市中区の子孫じゃけえ。
こんページの右の場所にある「コラム」から、
リンクを貼っとる、「フンルコ」を発症された方ん
子孫さんじゃって、
中区ん子孫じゃけえ。
反対に、南区の知人なんかは、「広島に住んで30年。
そんな、被爆者に何かあるじゃなんて聞いたことない。」って
そう言うん。
●中区の親戚全員死んで、南区の親戚全員生き残った家系
ほいじゃけえ、科学的に立証されとらん今、
僕ん中区の親戚が、ほぼ全員みんなガンで若死にして、
南区の親戚が同じ被爆者でも1人も早死にしとらんかったけん
自分の目でみて 強う感じた 事実を ただ 素直に書いてみたよ!!!
●みんな どうか 信じてね
最終更新:2024年01月29日 08:58