2013年1月。沖縄では、渡嘉敷島に行きました。

渡嘉敷島の元村長さんの、座間味昌茂さん(当時は現役)から、お話を伺うチャンスがありました。

彼の了解を得て、こちらに彼のお話をアップさせて下さい!

沖縄と広島にも歴史で繫がりが色々あるんじゃね!

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広島に投下目的で、原子爆弾を積んでいた船『インディアナポリス』は、本国からテニアン島まで行った。

※テニアン島(「ケニア」と発音がなかなか似ていますね。
オセアニア > ミクロネシア > 北マリアナ諸島 > テニアン島(Tinian)は、
北マリアナ諸島の島の一つ。

面積は約100平方キロメートルで、サイパン島からは約8キロメートルの距離にある。
現在はアメリカ合衆国の自治領である。

その『インディアナポリス』は、元は、沖縄戦で戦って、傷ついた船であった。

※『インディアナポリス』は、1945年3月31日
沖縄攻略戦で神風特攻隊の洗礼を受け、艦尾に1機の突入を許します。

そこで、アメリカ本国に戻り、修理をして、その後、秘密裏に
テニアン島に行ったのであった。


その船には、原子爆弾を乗せられていた事は、秘密であったため、
乗せていた『インディアナポリス』側にすら、自分達が何を積んでいるのかは
全く知らされてはいなかった。

ただ、慎重に扱うよう言われて、緊急時には優先して、救命ボートに乗せるよう、
船側は言われていただけだった。

原子爆弾は、アメリカ本国から、テニアン島

に運ばれた後、テニアン島から、広島原爆投下するよう言われた、エノラゲイの機長、
ポール・ティベット・ジュニア氏に、渡され、広島に投下されたのだが、

『インディアナポリス』は、原子爆弾を、渡した後、空も海も、覇権を奪われて、
当時ありえない場所に、なぜか生存したまま

いた、日本の潜水艦『伊58』潜水艦が、奇跡的にその場におったのに、居合わせた。

※もう終戦まであと20日というこの時期、既に日本軍は壊滅的な打撃を受けていて、
まともに反撃する、力も、残されていないと、思われていました。

しかしこのテニアンから次の場所への間に、日本の『伊58』潜水艦が
最後に米軍に一矢報いるために、潜伏していたのです。

その後、攻撃を受け、12分ともたなかった。

『インディアナポリス』の船員達が、助け出された後この話を明かし、秘密が分かったのである。

この話は、あまり知られてはいないが、この話を耳にした人々は、
『インディアナポリス』のことを”広島のばちがあたったんだ”と、言うたらしい。

★渡嘉敷島の元村長さん 座間味昌茂様、貴重なお話をありがとうございました!

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最終更新:2014年11月19日 18:21