福島菊次郎さんへのインタビュー4

目次


■被爆者中村杉松さんの取材のこと
■相手が”悪”ならば、それを上回る悪役になり撮影
■中村さんの気持ちに沿う
■ABCCの嘘に、正しさで突いて取材許可を勝ち取る
■自衛隊と兵器産業の実態を暴く
■脅迫される、暴漢に教われる、放火される、怪我を負うなど
■お父さんの一番大切なものを、守った、娘さんの勇敢な行動
■注釈1~注釈3

――――

福島さんの取材のやり方、”相手のところに、飛び込んで、
そこから丸ごと真実を写している”
取材方法についてなど、書きます

また、取材公開後の、嫌がらせ、放火、怪我などの
体験も、書きます。

■被爆者中村杉松さんの取材のこと

広島の被爆者の、中村杉松さんを、
長年に渡り、密着取材され、
著書の『ヒロシマの嘘』の、表紙の写真
にも、彼と犬の写真が飾られています。

その写真は、犬が、中村さんの顔をなめている写真です。

※我が家の福島さんの本の表紙を撮影。
小さいですが、アップしてみます。
見せていただいたパネルは、
もっともっと大きいサイズです。



こん写真ん解説をしてくださいました。

中村さんが泣いておられるところを、犬が、
涙をぺろぺろとなめて、励まそうと、
一生懸命になっているところの、写真じゃそうでした。

その犬は、原爆の放射能障害により、体が不自由になって
生活もままならない、中村さん(※1)に、

広島市が、

”生活保護を与えるのに、犬を飼う余裕などないではないか”

と、

「犬取り(※2)」に、出して、殺せ、

と、命令をしていた、犬と、中村さんとの写真でした。

・・・・・

この話は、著書の『ヒロシマの嘘』にも、書かれてあり、
どれほど広島市の生活保護課が、
被爆者に対して非情極まりないか、よう伝わり、
胸が痛みます。(※2)

・・・・・

結局、中村さんの犬は、殺されました。

それは、福島さんが「逃がしんさい」と、アドバイスしても、

中村さんは「こいつ(=犬)は、馬鹿なやつで、
わしが、なんぼう(=どんだけ)殴っても、蹴っても、
戻ってくるんですよ。」

と、言い

そうこうしているうちに、「犬取り」が来て、
犬は、捕まってしまい、殺されてしまった、

というのが、広島市の生活保護課のやったことの、
真実として、福島さんの著書にも、書かれてあり、
お話も聞かせてもらいました。

たとえ生活保護を受けているとはいえ、
原爆症で、身動きもできず、
弱って貧しい中村さんに、

犬を飼うという癒しすら、禁じてしまう、

「聖地」ヒロシマとも呼ばれたが、
そんとな「聖地ヒロシマ」とは、
いかに真っ赤な嘘であるかが、書かれてあります。

・・・・・

中村さんとわんちゃんの、その時の、取材の写真の、
本の表紙(上の写真と同じ)のパネルを、見せてもらい、

ただ、見るだけで、話を詳しゅう知っとるけん、あまりにも悲しく、
涙が出そうになるのを、こらえるので、必死でした。

■相手が”悪”ならば、それを上回る悪役になり撮影

ほして、相手(広島市の生活保護課)が悪い場合、
それを上回る悪い人を演じて、本気で取材と撮影をやった、
そのやり方を、伝えてくださいました。

・・・・・

法律上は違法行為である、部外秘の、
広島市生活保護台帳を、強制的に
撮影により、複写。

中村さんの生活保護の悲惨な実態と、
行政が加えていた偏見と軽蔑の事実を知るために、

やむをえない行為じゃったそうです。

■中村さんの気持ちに沿う

★中村さんの病態や福祉課との確執を
中村さんの苦悩を、世に公開することで

”被爆者がどんじょに(どんな風にして)苦しんじょるか
世界中に見てもろうて仇をとってくれんさい”

という、中村さんの気持ちに応えようと
中村さんの同意も得た上での行動じゃったそうです。

■ABCCの嘘に、正しさで突いて取材許可を勝ち取る

ABCCは、原爆障害調査委員会であるが、
ここでは、被爆者を治療は、まったくせず、
10万人もの被爆者をただ、モルモットにしました。

そのことで、原爆の威力と被害の追跡調査や、
放射能障害の実態、そして、次の核戦争から
いかにアメリカ国民を守るかを研究し続けている。

福島さんはまた、アメリカ大使館を騙して、
広島のABCCを撮影し、いかに
被爆者をモルモットにしたかの、告発キャンペーンを
張ったことも、話をして聞かせてくださった。

■自衛隊と兵器産業について、告発

また、そんとな取材のやり方は、
広島市生活保護課、ABCCだけでなく。

自衛隊と兵器産業についての取材のために、
防衛庁をだまし、自衛隊に潜入。
取材した内容を、雑誌などに告発もされました。

それは、”憲法9条を侵害して、再軍備をした、
犯罪的な自衛隊を告発するためであり、

平和憲法のもと、大嘘を言って国民を騙している、
嘘には嘘で応えるしかないから”

じゃそうです。

・・・・・

■脅迫される、暴漢に教われる、放火される、怪我を負うなど

各誌で告発を始めると、明らかに防衛庁関係者や
右翼からと思われる嫌がらせの、脅迫電話がかかったり。

三人連れの男たちに襲われて大怪我を負うて
救急車で運ばれたり、

また、自宅を放火されるなども、体験されました。

■お父さんの一番大切なものを、守った、娘さんの勇敢な行動

放火されたその日。娘さんは、近所におられて、
「火事だ」との大騒ぎを聞いて、外に飛び出したら、
自分の家が燃えていたそうです。

咄嗟に、煙の中に飛び込んで、福島さんの
フイルムを、全部持ち出してくださったそうです。

お父さんの一番大事なものを、煙の中で、咄嗟に
判断して、持ち出してくれたことを、感謝しておられるそうです。

・・・・・

(「福島菊次郎さんへのインタビュー4」を終わります)

――――

■注釈■

※1=原爆症について

”原爆症は、いったん発症したら、本人が死ぬまで、
直ることはない”と、赤十字原爆病院の院長から、言われた
とも、福島さんから聞かせてもらいました。

※2=「犬取り」とは?

現在でいう、保健所が、野犬などを捕獲。
殺してしまう公的機関の、昔の呼び名。

※3=広島市の生活保護課のもう一つの顔。
ともちゃんから見た広島市の、また一つの姿。

我が家から、とても近いとある場所に、畑がある。
そこの畑を耕すおばあさんは、

弟さんが、被爆をされました。

原爆に遭うた兄を探しに出かけ、二次被爆をしたのです。

その後、お兄さんは、河から死体としてプカプカと浮いて
流れて来て、結局死んでいたそうでした。

それが、弟さんが広島市に入ったのが、
手帳交付条件ギリギリはずれとった為、

「条件にあわないじゃあないじゃないか」などとの理由で、
原爆症で苦しんでも、長い間、原爆手帳を出してもらえず、
病弱な体で、医療を受けることすら不可能で。

最近になって、同じく被爆者の、
母が亡くなった。

被爆者の母も、生活保護に頼っていた。

広島市からは、弟さんは、
「今まであんたの母親に払ってきた、
生活保護費を、返せ。

それならば、あんたに原爆手帳を出してやってもいい」
と弟さんは言われて、

未だに病弱のまま、60数年間も、
放置されている。

もはや、姉として、言葉も出ない。涙しか出ないそうです。

――――

■参考文献■

福島菊次郎著「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」
現代人文社、2003年7月第一版

福島菊次郎著「写らなかった戦後3 殺すな、殺されるな」
現代人文社、2010年9月第一版

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最終更新:2013年03月26日 16:28
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