目次
■ウィキペディアに載っておる福島菊次郎さん
■僕自身のブログの、プロフィールURL紹介
■インタビューをさせてもろうたこと。
■映画「ニッポンの嘘」も、見に行った。
■「ニッポンの嘘」を見た感想
■映画館の外で、見た、福島さんの写真展
■放射能障害の一例
■時に「死産」扱いされて殺された、奇形胎児
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■ここ↓、ウィキペディアの、「福島菊次郎さん」のURLです
福島菊次郎さんの情報が、載っています。
■また、以下の僕自身のブログにも、福島菊次郎さんの
■プロフィールを、ご紹介載せとります。
■僕は、2011年9月に、会いに行きました。
■福島菊次郎さんに、取材をさせてもらいました。
それは・・・・・
自らも被爆をした、祖母が、助産婦として、
原爆投下後、数多くの奇形児をとりあげながらも、
守秘義務から、明かすことができなかった。
祖母は、最後は、道路に飛び出して、死んでしまった。
その為、祖母が何を目撃したのか、正しく知り、
世にきちんと、伝えたいという願いがあり、
半生もの、長きに渡って、広島を撮影された、カメラマンの、
福島菊次郎さんに、インタビューさせてもらいました。
御協力ありがとうございました!
※こんホームページには、福島さんへの
インタビューの話を、1~8に分けて、載せております。
■映画「ニッポンの嘘」も、見に行った。
これは、福島菊次郎さんを写したドキュメンタリー映画です。
インタビューさせてもろうた日から
ちょうど、2年後の、2012年9月10日まで、
広島「八丁座」で上映されておりました。
■「ニッポンの嘘」を見た感想
福島菊次郎さんの、カメラを抱えた姿を見て、
純粋に、長年色々心注ぎ込んで写された、
熱い魂を感じ、涙がとまりませんでした。
カメラマンとしての”世に伝えねばならん”という使命と、
心の愛情の部分とで、時に大きく葛藤もしながら、
生きる生き様を目にして、また涙がとまりませんでした。
■映画館の外で見た、福島さんの写真展
映画館の外には、福島菊次郎さんの写真展が飾られていました。
福島菊次郎さんの訴えは、いろいろと
世に知ってもらいたいと、個人的に願うものです。
そこで、彼の残してくれる、
本当にとても多くのものの、ほんの少しでも、
伝えられたら、と思います。
以下、福島菊次郎さんの写真展より
Sさんについて、書かれてあった文章です。
原爆と同義である、原発がある限り・・・
奇形胎児として生まれた私の母親は、
Sさんは、
明日の皆さんの、愛する子孫たちの姿かもしれないのです。
■放射能障害の一例
「両親が被爆後生まれた長崎のS君は、
放射能遺伝障害による「内臓逆位症」で
全ての臓器が左右逆転している。
右側にある心臓を手術して 重度の障害を残したまま青年期を迎えたが、
”僕は死なない、絶対に生き抜く”
と言い切って原爆反対運動を続けていた。
姉は死産
妹も生まれてすぐに亡くなった」
福島菊次郎さんの写真展のコピーを終わります。
・・・・・・・・・・・
※福島菊次郎さん著『ヒロシマの嘘』(現代人文社)
2003年7月 第一版にも、
●「内臓逆位症の被爆二世」
として、S氏のことが、書かれてありました。
『ヒロシマの嘘』191ページ~192ページによると
「Sさんは父親が長崎で被爆し、心臓をはじめ
すべての臓器が左右逆になっている「内臓逆位症」の子として
生まれた。
幼児から虚弱体質で、(中略)
少年時代に数万人に一人という心臓逆位症の手術をして、
日本における最初の心臓手術の臨床例として
学会にも報告されたが病態は変わらず、
再度の手術をした後、小康を得て
被爆者青年同盟の運動に加わった。」
と書かれてありました。
■時に「死産」扱いされて殺された、奇形胎児
Sさんの姉妹が該当するという意味ではありませんが、
事実、ヒロシマやナガサキなどでは、生まれた胎児が奇形じゃった場合、
「死産です」
と 嘘をついて、世に奇形児を増やすまいと胎児を殺したことも あった
と、 耳にしています。
その為、奇形の人の存在が少ないし、長生きできんかったりで、目立たん、
という理由から、放射能障害は、比較的軽い、
ということには、値せんです。
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福島菊次郎さん著『ヒロシマの嘘』(現代人文社)
2003年7月 第一版、191~192頁
最終更新:2024年01月29日 11:54