福島菊次郎さんへのインタビュー2

目次


■福島菊次郎さんが徴兵された当時の話
■「生きて帰ってこいよ」長兄さんからの本気のアドバイス
■注釈1~注釈3

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■福島菊次郎さんが徴兵された当時の話

僕の時代は、生めよ増やせよの、時代でした。

僕の同級生は、一クラスが50人で三クラス。
全部で150人。うち、男性が、半数。
そのうち、約半数が、戦争で、死にました。

・・・・・・・・

最初から志願して兵隊になっていた人たちは、
中国で”ドンパチ”やっていましたが、

最後の頃に徴兵された人たちは、当時はまだ残っていた、
硫黄島や、沖縄に、移送される、輸送船(※1)の段階で、
沈められて、大勢死にました。

輸送船は、普通、護衛艦がつくのですが、
もう、最後の頃は、そういうものすら残っていなかったので、
たくさん沈められて、大勢死にましたから。

僕は、徴兵もなかなか来なかったし、
徴兵された時期が遅かったのです。
徴兵された時は、2週間、ご飯を食べずに行きました。

その前に、黄疸が出て、目も黄色く、
医者は、”こんなのでは、兵隊にはなれんから、
徴兵猶予の診断書を書いてやると”、言ってくれました。

しかし、それをつっぱねて、健康診断を受けました。
この「健康診断」とは、兵隊になる前に、皆
受ける必要のあったものです。

当時は、まだ、
”華々しく戦って、戦地に散って行きたい”
という、軍国主義者でしたから
右翼でした(これは、冗談でした)

徴兵の、健康診断では、
「このように痩せてガリガリっで、
使いものの兵になんか、なれるかー!!」
娑婆でどうせろくなことはしていなかったのだろう、
根性を叩き直してやるっ」と怒鳴られ、
軍医からは、骨と皮になった知りを蹴飛ばされましたが、
徴兵をされ、入隊できホッとしました(※2)。

頭数をそろえたかったのですね。

当時は、たとえ障害者であっても、徴兵をされ、
目の見えない視覚障害者でも、何かを磨くために、徴兵されました。

■「生きて帰ってこいよ」

広島・宇品の軍関係の船舶輸送業務をしていた、長兄に、

徴兵された次の日に、徴兵されたことを話をすると、駆けつけてくれました。

「よう聞いておけ、一度しか言わんぞ」と前置きをして

「お前生きて帰れんぞ」と、言われました。

兄貴は、当時、軍の事情に通じておりました。

生きのびるために、色々とアドバイスをくれました。

「お前は入隊したらすぐ沖縄に送られる。
しかし日本軍はもう制海権も制空権も失い、

兵隊を積んだ船足の遅い輸送船は宇品から出向し、

沖縄に着くまでにはほどんどアメリカの潜水艦や艦載機に撃沈されている。

船に乗ったら新兵は一番底の船倉に入れられるから
絶対にタラップの真下に席をとれ。

靴を履いていては泳げんから すぐ脱げるように紐を緩めておけよ。

それから船がやられたとき重い銃や軍装品を持ってにげようなどと
絶対考えるな。

水筒と止血帯(※3)を忘れるなよ。

乾パンも三、四日分貯めておけ。

夜やられたらすぐ停電して真っ暗になるから
甲板に出る順路をよく覚えておけ。」
と、噛んで含めるように言って聞かせました。

「「ドカーン!」ときたら すぐタラップを駆け上がり
甲板にでて海に飛び込み、

そして、船が攻撃を受けた場合は、船と直角に
船の長さだけ泳ぎ急いで船から離れろ。

そうこうしているうちに、船が真っ二つに割れて
沈んでいくだろうから。

沈没したときの渦に巻き込まれたら助からんぞ。

船が沈没したらいろんな物が浮いてくるから
すぐ掴まる物を探せ。

ただ、傷だけは、気をつけておけよ、
サメやらフカやらが、血をかぎつけてやってくるから、

もし怪我をしていたら海のなかでは血が止まらんから
すぐ止血しろ。

その場合、ふんどしを二枚、つなぎ合わせて、長く作れ。
サメやらフカやらは、自分の体調より長いものは、襲わないから、
ふんどしを垂らしておけ。

そうして、その後はできるだけ落ち着いて、鼻歌でも歌ってろ。

焦って助かろうとする奴から体力を消耗して死んでいくからだ。

それから言っておくが、人を助けようなどと
絶対に考えるな
体力を消耗してしがみつかれたら
一緒にお陀仏だぞ。

海のなかでは海水に体温を奪われて死ぬから
泳ぎ難くても上着は脱ぐなよ。

それから階級章はすぐ引きちぎれ。
新兵は掴まっている物を古兵に奪われ、たとえ
ボートや筏(いかだ)に収容されていても
収容者が一杯になれば新兵から海に放り込まれるからだ」

「人間は生死の境に追い込まれたら、
何をするかわからん生き物だ。

筏で漂流中に食料がなくなって、
新兵から殺して食ったという話もあるから気をつけろ。

これだけできたら、運がよければ漂流しているうちに
味方の船に助けられるかもしれない。

いいか、聞いたことをよく覚えておけよ、
生きて帰ってこいよ」。

そうアドバイスをしたお兄さんは、
手を握って涙を拭ったそうです。

この話は、13歳も年上の、お兄さん自身が、船員時代、
太平洋海域で二度撃沈されて、泳いで逃げて、
生還した貴重な体験談だったそうです。

従兄弟の機関長は、5回も、輸送船を撃沈されて、
泳いで逃げて生還したそうです。

(「福島菊次郎さんへのインタビュー2」を終わります)

■注釈■

※1=輸送船とは?



上によると、

「輸送艦(ゆそうかん)とは、陸上や他の船舶に対して
武器弾薬や人員を輸送するための軍用輸送船のうち、
国際法上の軍艦にあたる艦艇のこと。

日本語では、大型のものを輸送艦といい、
小型の場合は輸送艇とよばれることが多い。

洋上で他の船舶に武器弾薬や燃料などの物資を
供給することに特化した設計の艦は、補給艦と呼んで、
輸送艦とは区別する。

また、兵士の輸送に使用される船舶を、
軍艦以外の徴用輸送船などまで広く含んだ用語としては、
輸送「艦」ではなく軍隊輸送船あるいは兵員輸送船と呼ぶ。」

とあった。

※2=福島さんが徴兵されたのはいつかについて

福島菊次郎さんの著書『ヒロシマの嘘』(現代人文社)より

※福島菊次郎さんが徴兵されたのは、
”1944年4月、第五師団広島西部第十部隊
に召集を受けた”、とあります。
当時は、日本軍が、太平洋海域から、敗退を続け、
米軍サイパン基地からB29爆撃機が
本土主要都市や軍事施設を攻撃し始め、

沖縄決戦が叫ばれていた頃だった。
と、あります。

※3=「止血帯」とは?



「止血帯(しけつたい)とは、血流を止める際に使用するバンドである。
ゴム製のものが多く使われるが、代用として
三角巾や風呂敷を畳んで使うことがある。」

とありました。

■参考文献■

福島菊次郎さん著『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』
現代人文社、2003年7月第一版

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最終更新:2013年03月26日 16:26