目次
■3回、命拾いをした~1回目。挙手しなかったお陰で
■2回目~馬に蹴られて入院した為、沖縄戦で命を落とさなかった
■その後、除隊に
■三段峡に行った後、帰宅
■3回目~九州のどこかに移送され、原爆にあわずまた命拾い
■命への、気持ち
■「孤独死」について
■娘さんと離れて暮らす理由
■「死に方」について
■注釈1・注釈2
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■3回、命拾いをした~1回目。挙手しなかったお陰で
1回目は、内務班に配属され、リンチまみれの苦しい生活の中
班長「つらいと思うものは手をあげろ」
と、ある日言われ、手をあげた者は、全員起立させられました。
班長「貴様らそんな根性で 天皇陛下に
ご奉公できると思うか」と殴られ、
翌日、臨時部隊が編成されて、出動しました。
(福島さんの)除隊後、軍の事情に通じていた兄に聞くと、
その臨時部隊の乗った輸送船は、米軍潜水艦に撃沈されて、
ほとんど死亡。
挙手をしなかったことで、1回目の命拾いをしました。
兄は、宇品の船舶運営会に勤め、兵員輸送の配船の
仕事をしていたため、その船に僕たちの臨時部隊が
乗船したことを知り、
「菊次郎が乗った輸送船が撃沈された。
もう生きてはいないだろう。」と、家に連絡をしました。
母は、僕が死んだと思い、戦死の広報もないのに
仏壇に線香を焚き、
「あの海の好きな子(※1)が海で死ぬとは」
と、毎日泣いていたそうです。
■2回目~馬に蹴られて入院した為、
沖縄戦で命を落とさなかった
その後、雑用係として、働いていました。
■ともちゃんからん質問~その当時の軍務に関して
ともちゃん「軍服を繕ったりもですか?」
福島さん「そうです」
2度目の命拾いは、隣の馬繋柵につながれていた、
一匹、癖の悪い、札付きの暴れ馬に、腹と腕を蹴られて気絶し、
担架で病院に運ばれました。
肋骨と左腕骨折で20日あまり入院中、
原隊が沖縄に出撃して、玉砕しました。
■その後、除隊に。
左腕は折れた状態で、(布か、包帯か)で、
手は吊ったまんま、退院しましたが、
”そんな体で兵隊としてつとまるかー”と、いうことで、
除隊になりました。
副え木をした腕を肩から吊った惨めな姿で兵営を出て、
トボトボと、広島駅まで歩いて、その後、
二輌連結の汽車に、 飛び乗りました。
■三段峡に行った後、帰宅
汽車はちょうど中国山脈のなかにコトコトと入っていき、
三段峡行きでした。
三段峡で降りて、一軒ほど、空いている宿に、泊まりました。
自分達家族と一緒の食事でよければと、泊めてくれましたが、
そう長い間そのような生活を送れることはできず、
自分だけこの国から取り残されたような心細さに、
一週間余り滞在して、無理に副え木をはずし、
痛いのを我慢して、終列車で下松の家に帰りました。
母は、僕のことを、輸送船で死んだと思っていましたので、
僕を見ると顔色を変えて玄関に駆け下り、
「お前は本当に菊ちゃんか、幽霊ではないのか」
と、言い、足元に取りすがって泣きました。
■3回目~九州のどこかに移送され、原爆にあわずまた命拾い
その後、二度目の召集をされました。
3回目の命拾いは、原爆投下の7日前に、
広島西部第10部隊で、広島におったのに、
その後、軍隊が九州のどこかに、出撃をしました。
どこかは、秘密にされ、いまだに分かりません。
人間爆弾の、自殺部隊としてでした。
そこで、原爆にあわずに、再び、3回目の、命拾いをしました。
その後、終戦を迎えました。
八月末、市外の農家の部屋に疎開をしていた
母と姉のところに戻ると、母は
「お前はまだ生きていたのか、本当の菊次郎か、
今度こそ原爆で死んだと思うておった」と、
足元に取りすがって泣きました。
■命への、気持ち
3回も、軍隊にいたときに、命拾いをしましたし、
同級生の、約半分は、もう、16~17歳の時に、戦争で死んでいったしで、
自分は”死に損ない”と、思ってしまうのです。
本音言うなら、このまま死ぬのは惜しいですよ。
■「孤独死」について
娘には、”お父さんは、ここで孤独死を、するけれど、悲しむなよ”
って、話をしてあります。
本音言うとね、孤独死だって、したくありませんよ。
けれど、このままなら、孤独死をしてしまうでしょ。
(一人暮らしをしておられた為)
■ともちゃん「どうして娘さんと一緒に住まないのですか?」
1960年に、子供を3人連れて、上京しました。
その当時、長男が高校2年。次男が中学1年、
一番下の長女は、まだ小学校1年生になったばかりでした。
そんな、母親を一番必要としている時期に、引き離してしまった
という負い目があります。
子供達にも。ワイフにも。あります。
それで、今も娘に一緒に暮らして、迷惑をかける訳にはいきません。
と、お答えになられました。
★余計な心配をしました。
失礼な質問じゃったとしたら、申し訳ないです。
■「死に方」について
自分の死の時は、自分なりに考えて、映像化する計画をたてて、
●●さんに話をもうしてあります。
でも、もし、憲法改正となったら、自分の命を絶って、
訴えたいと考えています。
この考え(※2)は、変わりません。
そうならないなら、
葬式は要らない、お墓も要らないから、
自分が教えた場所に、散骨してくれ
と、娘にも、伝えてあります。
(「福島菊次郎さんへのインタビュー3」を終わります)
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※1=福島さんが海が好きな話は、以下の本にも詳しいです。
福島菊次郎さん著『写らなかった戦後2 菊次郎の海』
現代人文社。2005年7月第一版
※2=自害する気持ちの理由に関して
福島菊次郎さん著『写らなかった戦後1 ヒロシマの嘘』
現代人文社、2003年7月第一版
最終更新:2013年03月25日 08:23