兵舎の寝室の中央に巾二米程の通路がありました。その板敷の上を「精神棒」(直径五糎ほど、長さ一米五十糎ほどの樫の木の棒)を突き立てながら当番教班長がやってきました。
「お前らに軍人精神を叩き込んでやるゥ」軍人精神が欠如しているとの理由で分隊中の総員罰直が始まるのです。私達新兵一人づつ通路の端にある支柱に両手をかけさせ、下半身を裸にして尻を突き出すのです。そこを当番教班長(今週の新兵の仕置き係)が精神棒で力一杯ぶん殴るのです。それで私達新兵の尻は皆んな青赤く腫れ上がっていたものです。
当番の教班長が疲れると別の班長が交替してやりました。軍隊では、上官の命令には絶対服従、正当な理由などや、個性的な思考、理性的な判断などの人間性は全て無視されたいわば極限に近い集団だと思います。
 夕食は午後四時だったと思います。食後はさまざまな雑作業をやりました。海軍では調理場のことを烹炊所(ほうすいじょ)と言います。
そこでは主計兵(海軍の経理、衣服、食糧関係を担当する兵科)達が食事を作っていました。

就寝は午後九時でした。その五分前に「巡検」と言う命令が伝達されますと、総員が寝たフリをしなければなりません。その時に分隊長と当直下士官が見廻りにくるのです。巡検が終わりますと、「巡検終わり、たばこ盆出せ。」と、いう号令が出ました。「たばこ盆出せ。」ということは巡検が終わったので、たばこ等吸ってもよいということだそうです。
ある時、分隊の中の一人の新兵が失態をやった。直ちに教班長が現われ、「貴様ら、たるんどるぞッ、気合いを入れてやる」各教班毎に向かい合い二列に整列し、お互いに相手の頬を殴り返すのです。これを往復ビンタ、と言います。他に虫殺シ、前支へ、がありました。「虫殺シ」とは、顔の額を二本の指で強く弾く行為です、これは案外痛い仕打ちでした。

人間的な理性や個性を無視された生活を続けていると、人間性を失うものと思います。私など、子供の頃から内向的な性格だったので、外に出ることよりも、家で探偵小説や冒険小説などをたん読していたものです。

特に、江戸川乱歩、南洋一郎など、よく読みました。そしてその合間によくオナニーをして楽しんでいました。それが今は、全くそうゆう感情は失ってしまったようです。
それは、人間性としての深層心理の奥で、動物本能としての性意識が歪められた生活環境の中で、その正常な感情を喪失したものと思います。


●初の陸上演習が始まる



四月になり、海兵団では新兵による初の陸上演習が行われました。陸戦隊(アメリカの場合、海兵隊)を仮編成し、上陸作戦、匍匐訓練など行いました。私はこの時、下痢症状になっていました。
昨日、空腹に耐え兼ね兵舎の裏山で雑草を食べたのが原因のようでした。演習の最中、下腹がゴオーッと鳴り、耐えきれず遂にそのままビオーッと、漏らしてしまったものです。
生温かい内容物がスルスルと足の方へ下がるのを夢の中の出来事の様に感じていました。身に付けている支給品の下着は足首の所で、紐で結んであるので外に漏れることはなかった。しかし、海兵団では体に不調があった場合、直ぐ所属の教班長に報告する義務がありました。私はそれをしなかったのです。

下痢患者の場合、唯一の治療法は絶食でした。絶食を宣告されるのは死を宣告されるよりも恐い実感でした。私は二日程その状態で過ごしましたが、同僚の新兵に、「原田、お前臭いぞ、何したんや」と言われてしまいました。「えや、陸上演習で糞を踏んだんや。」と、ごまかしはしたものの、遂に隠しきれず発覚してしまいました。
分隊中の新兵の前で丸裸にされ、第八教班長に、「教班長の顔に泥をぬるような事しやがって、このヤローッ。」と言ってビンタを五回ほど喰らったものです。下着を脱ぐ時、両足の下から黄色の乾いた砂の様な物がポロポロと落下するのが見えました。
その日は、日常の行事は全て中止になり、分隊中の総員が入浴して身体を洗うことになりました。

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最終更新:2013年01月26日 02:42